新しい年創作ノート02

2016年2月

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02/01/月
大学。出かける前にテレビでFootballにチャンネルを合わせたが、プロボウルと呼ばれるオールスター戦みたいなもので興味なし。いまはデンバーブロンコスのペイトン・マニングにしか興味がない。このプロボウルは以前はスーパーボウルの翌週にやっていたのだが、いつからは前週ということになった。これではスーパーボウルに出場するチームの選手は出られないので、本物のオールスターではなくなってしまった。まあ、弟のジャイアンツのイーライ・マニングが頑張ってはいたが、真剣勝負ではないのでどうでもいい。大学ではいろいろと雑用があり、たいへんだった。授業はもう終わっているのだが、学生の宿題の締切を1月末に設定していたので、それを読んで成績をつける作業もやらないといけない。学科会がわりと早く終わったので助かった。夜中は親鸞に取り組む。順調に進んでいる。

02/02/火
本日は大学には行かず。著団協の懇親会。さまざまな人と月遅れの賀詞交換会。やや疲れる。仕事は順調。

02/03/水
大学。さまざまな雑用と、学生の文集のゲラが届いていたのでチェック。学生からデータを貰っているのだが、改行マークが入っていないなどの不備がある。入稿前にチェックはしているのだが、こちらのミスがいくつかある。それから漢字の間違いなどもある。印刷所でも校正をやってくれているようで、こちらが気づかなかった指摘があり助かっている。夜中は親鸞。

02/04/木
貸与権センターの理事会と懇親会。わたしは理事ではなく相談役だか顧問なのだが、毎年この会には参加する。設立の時、けっこういろんなところを回った記憶がある。ビデオショップなどのマンガの貸本に対応するシステムが順調に稼働していて、あとは推移を見守るだけだ。とくに問題もない状態なので、和やかな宴会ということになる。飯田橋だったので帰りは徒歩。焼酎を3杯飲んでいい気分だった。

02/05/金
オーファン勉強会。あとはひたすらパソコンに向かっていた。最終章、エンディングに向かって進んでいる。終章はまだ半分くらいか。9章の終わりにも新たな付加をしたので、そこからプリントをした。自宅のプリンターはインクジェットなので時間はかかるのだがきれいなプリントになる。紙も上質だ。これを明日の入試の待機にもっていく。

02/06/土
土曜日だが入試。7時に起きて7時半に自宅を出る。あとはひたすら待機。用意したプリントを読み、メモも少し読んだ。最初からのプリントなど、作業に必要なものはすべてバッグに入れて持参したので、第一章から少し読み返してみたが、もはや直すところは何もないという気がした。校正の機会もあるので、ここは赤字を入力するだけでフィニッシュにしたいと思う。次週の週末に入力したい。そのためには草稿を入力し終わらないといけない。

02/07/日
日曜日は休み。ひたすら入力。床屋に行く。いよいよ明日はFootballの最大イベント、スーパーボウルだ。今週はスーパーボウルのことはあまり考えなかった。とにかく奇蹟を祈るしかないという心境だから、祈るだけで考えることもない。だがとにかくここで、今シーズンを振り返っておきたい。今シーズンの最大のポイントは、パンサーズのQBキャム・ニュートンの大変身だ。これまでは体力と走力があって、エースランニングバックみたいに走るという印象しかなかったのだが、今シーズンはパスが正確になった。オフェンスラインも強くなったのだろう。しかもディフェンスも強く、圧勝を続けた。ただシーズン後半になると、前半のような圧勝はなくなったのだが、プレーオフを見ても余裕の勝利が続いた。わたしが応援しているジャイアンツは最後まで調子が上がらなかった。シーホークスとスティーラーズは前半は不調だったが、後半は盛り返して、ワイルドカードでは1勝したのだが、そこまでだった。デンバー・ブロンコスは最初からペイトン・マニングが絶不調だった。それでも連戦連勝だった。マニングのパスが決まっていないのに、デイフェンスがインターセットやファンブルを誘ってリターン・タッチダウンで辛勝するパターンが続いた。そのうちマニングは出場できなくなって、代役のオスワイラーが出てもチームは勝ち続けた。終わってみればカンファレンス1位の勝率で、プレーオフではつねにホームゲームだった。それで辛勝を続けてスーパーボウルまでたどりついた。評論家の意見は誰に聞いてもパンサーズの圧勝という予想だった。これでは奇蹟を信じるしかない。しかし奇蹟はありうると思っている。それは今年のブロンコスがディフェンスで勝ってきたからだ。ディフェンス・ライン、ラインバックの能力が優れていることはもちろんだが、ディフェンスが強いチームは、コーチの戦略が秀でている。Footballは戦略ゲームだ。肉体をもったコマを動かす将棋に近い。プレーオフの決勝からスーパーボウルまでには2週間のインターバルがある。この間に、じっくり戦略を練り、対応策をプレイヤーに叩き込むだけの時間がある。ニュートンをシャットアウトする覚悟で攻撃的なディフェンスを仕掛けていけば、接戦にもちこむ可能性はある。接戦にもちこんで、あとは神に祈るしかない。ディフェンスのチームは後半になると疲れが出る。ニュートンの個人技は想像を絶している。マニングの脚と肩の衰えも目立っている。マイナス点を数えていけば奇蹟は起こる。神に祈りたい。いまは親鸞を書いているので阿弥陀仏に祈るべきか。Footballはアメリカのスポーツだから、やはり全能の神に祈るべきだろう。

02/08/月
朝8時に起きてテレビの前に陣取る。プロンコスが先に攻撃権をとった。一進一退。両軍ともディフェンスが強く点が入らない。かろうじてキックが決まって3対0でブロンコスのリード。ディフェンスが完璧にニュートンを止めている。どこまでこのディフェンスが続くのかと思って見ていたら、強烈なサックでニュートンがファンブルして、ブロンコスがリカバー・タッチダウン。10対0で第1クォーターが終わった。相手のディフェンスも強くマニングにもミスが出て、7点取られた。ブロンコスの頑張りもここまでかと思ったが、相手のキックミスがあって、6点差のままでハーフタイム。後半もブロンコスがキックで3点を入れた。9点差なら1回のタッチダウンでは逆転できない。そのまま時間が経過していく。3点返されて6点差。これではタッチダウンで逆転される。時間がなくなっていくが、6点差のままなら、ヘイルメアリーでも逆転される。あと3点とれば安全圏、と祈るような思いでいたところで、またQBサックが飛び出した。またもボン・ミラーのサックで、ファンブルを誘い、敵のゴールラインの直前で攻撃権を得た。ここはランニングで時間をつぶして、キックで3点とれば安全圏、と思っていたら、そのランニングでタッチダウンが決まった。これで12点差、キックで1点追加しても仕方がないので2点コンバージョンを狙った。ここでマニングのパスが決まった。この試合、唯一のマニングの見せ場だった。これで14点差。そのまま逃げ切った。奇蹟が起こった。MVPはディフェンスのミラーだった。当然だ。ディフェンスが奇蹟を起こした。ニュートンに先攻を許さなかった。立て続けにサックをしてファンブルを誘った。それ以後はニュートンにあせりが出た。これこそが奇蹟だと思ったが、終わってみれば奇蹟ではなく、ディフェンス・コーチの戦略ゲームの勝利だ。まさにストラテジーだ。戦略が勝負を決定する。マニングはこれで引退だろう。マニングはパスを投げなかった。ロングパスは一度もなかった。ほとんどをランニングバックに渡すか、短いパスで時間を使った。まったく前進できないことも多く、短いパスでもインターセプトが1回あった。しかしマニングはやはりヒーローだ。無理をせずロングパスを投げなかった。ひたすら我慢をして時間を使った。これが相手のあせりを誘った。あせってロングパスを投げようとするニュートンに決定的なサックを見舞ってファンブルを誘った。ディフェンスの頑張りは、マニングによってもたらされたものだ。QBというそういうもので、ゲーム全体の司令塔なのだ。しかし、監督と、攻撃と防御のコーチの勝利でもある。こういう戦略ゲームを見るのは楽しい。今日が休みでよかった。

02/09/火
大学の研究室で新聞の取材を受ける。文学の話は久し振り。あとは学生の文集の校正を見る。まだ昨日のFootballの余韻が残っている。全チャンネルを見たりしている(NHK・日テレG+・ガオラ)。生ではNHKを見た。夜中に日テレを見た。日テレはタレントの悲鳴などが入っていて臨場感がある。ガオラは本日の夜に見た。解説が専門的でそれなりに面白い。オープニングでマニングはけっこうパスを投げている。39歳のマニングはもうパスは投げられないという前提でパンサーズは守備をしていたようだ。その逆をついたパス攻撃は当たった。パスが通ればランも前進できる。タッチダウンはできなかったがキックで3点とれた。プレーオフでパンサーズは先制して一挙に点差を広げるという勝ち方をしてきた。リードされたのは初めてで、あせりが出たのだろう。サックによるファンブルでディフェンスのタッチダウンを奪われ、10点差になった。それ以後、マニングは無理にパスを投げなくなった。そのため一進一退の展開になったが、ディフェンスが強いのでそれでもちこたえられると判断したのだろう。実際に6点差か9点差かというところでもみあって、それでも第4クォーターで6点差になった時は、ニュートンのランでタッチダウンをとられて逆転負けといった事態を想定したのだが(神に祈っている割りには悲観的/神を信じていない)、神の代わりにボン・ミラーがいた。ミラーの神の手が、ニュートンからボールを奪い取った。2度目のファンブル・リカバーヘで、勝敗は決した。今夜はじっくりと日テレのビデオを見る。

02/10/水
京は休み。ひたすら仕事。そう思っていたのに、前夜寝る間際に寒気に襲われた。熱が出ていたようだ。妻がインフルエンザで倒れている。感染ったのかもしれない。医者に行って検査したら反応がない。熱が出た直後ではキットが反応しないこともあるそうだ。注射の嫌いな妻と違って、わたしは学生と交流するので予防注射は受けている。まあ、効かないこともあるらしいが。いずれにしても咳がが出るようになっていたので、薬を山ほど貰う。先月の初めにも、妻とわたしと同時に風邪をひいた。これは正月に孫から感染されたものだ。その孫たちは四日市でインフルエンザになっている。遠隔操作で風邪が感染したわけでもないだろう。1月の風邪では目まいを感じた。今回はまだそこまでは行かない。明日、大学の行事がある。大丈夫か。

02/11/木
目黒の喜多流の能楽堂で、武蔵野大学とのコラボレーションの能の会。大学の先生方が交代で小話をする。学部長なのでトップバッターだったが、それなりに笑いがとれた。しゃべっている間は咳は出ない。しかし他の先生が話を始めると咳が止まらなくなった。これでは能を見るのは失礼なので、中座させていただいた。帰って熱を測ると下がっていた。何とか行事をこなせてよかった。ネットを見ていたら、Football Lossという言葉があった。自分はこれかもしれない。

02/12/金
大学。判定会。不思議な会議だ。学務の人と打ち合わせ。文集のゲラを見て、それから転部試験の面接。必要な仕事を果たせた。風邪は水曜日が発熱のピークで、昨日は咳が激しく、今日も咳は長引いているけれども、熱っぽさはなくなった。週末は仕事に集中したい。

02/13/土
週末は休み。この2日間に、プリントの赤字を入力することにした。まだ草稿が完成していないのだが、草稿のエンディングができたらただちに完成ということにしたいので、赤字入力の作業を機械的に進めていく。目次。主な登場人物。あとがきも書いた。いま目次を入れるとページがプリントとずれてしまうので、これは最後に調整する。そこまでが準備で、いよいよ冒頭から赤字を入力していく。半分くらいのところまでは、すでに何度か読み返したところなので、赤字はほとんどない。どんどんページが進んでいく。半分くらいできるかと思っていたのだが、7章まで終わった。

02/14/日
最終章の第十章の半ばまであった赤字の入ったプリントは昨日と今日の2日間で入力を終えた。入力している間はひたすら赤字を目で追っているだけだが、それでも話の展開はわかる。いい流れで物語が進んでいることが確認できたし、ここぞという名場面ではセリフがきっちり決まっている。うまくいっていると思う。明日、明後日は入試の待機。エンディングに向けてメモを書き続けたい。

02/15/月
朝6時50分に起きて朝食抜きで7時20分に自宅を出る。8時20分に大学到着。それから午後4時過ぎまで、会議室で待機する。いつもの入試だが、本日と明日は、年に1度のメイン入試。とにかく待機するしかない。用意するものはノートのみ。もうプリントにチェックを入れた赤字の入力は終わっている。エンディングを打ち込むだけ。そのためのメモ。しかし考えてみると、かなりのプロットを書き込まないといけない。1日かけて大量のメモを書く。終わらない。まだ明日がある。

02/16/火
昨日と同じ。ひたすら待機。ひたすらメモを書く。ノートがなくなった。ふつうは右ページにしか書かないので、ノートがなくなれば最終ページでターンして左ページに書いていく。左ページはノートを閉じるスパイラルがあるので書きにくいのだが、かまってはいられない。大量のメモを書く。入力が大変だ。まだ終わらない。だがゴールが見えてきた。明日は学部長会議があるだけ。とにかく時間が必要だ。

02/17/水
2日連続での入試待機のあと、また学部長会議で同じメンバーと顔を合わせる。学生の文集の編集、ようやく最後のゲラが出て台割も確定する。これで作業がほぼ終わった。結構大変だったが、毎年、これをやっている。わりといいかげにやっているのだが、何となく出来上がっていく。終わってみれば綱渡りみたいなところがあるが、とにかくまとまってよかった。

02/18/木
本日は休み。医者に行った以外はひたすら入力作業。まだ咳がとれないので薬だけもらってきた。月曜、火曜の入試待機で書いたメモを入力している。かなり難しい内容だが、もはやエピローグの断片的な展開になっているので、なるべく短い断片にして並べていく。

02/19/金
担当編集者に2月半ばに渡すと言っているのだが、まだ出来ていない。エンディング直前の最大の山場を本日入力。ぶっつけで入力したのだがうまくいった。ここだけドストエフスキーみたいになっている。あとは短いエピソードを断片的につなげていって、さりげなく終わればいい。本日、夜中まで入力して、できたところまでをプリントして明日の仕事とする。明日は明日香で講演。京都までの新幹線は短すぎて仕事にならないかもしれないが、いちおう十章のプリントをもっていく。京都から近鉄に乗るのは初めてだな。近鉄は大阪から乗るものと思っている。大阪に生まれた。近鉄で京都に行くことはない。東京から横浜に行く時に小田急に乗ることがないのと同じだ。そもそもわたしの子どもの頃は、京都から奈良方面に行くのは「奈良電」であって近鉄ではなかった。とにかく明日プリントを見て日曜に入力しておしまいにしたい。本日は文藝家協会でオーファン勉強会。毎日、何か仕事がある。来週もぎっしりスケジュールが入っている気がするが、来週のことは考えないようにしている。こうして日々の労苦に耐えていれば、いつの間にか作品が出来ている。それだけを生きる喜びとしている。

02/20/土
明日香で講演。8時すぎの新幹線に乗り、京都で近鉄に乗り換え、橿原神宮前。この路線に乗るのは初めて。京都で下りることもめったにない。乗り換えは意外と簡単だった。奈良県立万葉文化館。咳が残っているのだが、講演中は緊張しているので咳は出ない。サイン会をして本が10冊ほど売れた。来た時と同じ経路を逆向きに帰る。一日仕事だが、近鉄から見る景色は初めてなので面白かった。新幹線の中では用意したプリントをチェック。ノートにメモも書いた。これで終わったかな、というところまで来た。

02/21/日
日曜は休み。ひたすら入力。親鸞が最後に歎異抄の一部を語る場面を残していたのだが、歎異抄を引用しながらメモをとる。これでメモは完了した。紀要の締切なので15ページ一気に書く。45枚。さすがに疲れた。

02/22/月
早朝から大学。会議が4つに文集の編集。すべてが予定通りに終了。それよりも大学に向かうバスの中で、親鸞と娘の覚信尼とのやりとりを思いついた。エンディングはコンパクトに進行するつもりだったが、ラストの直前に娘との会話がほしいと気づいた。よかった。いまならまだ修正できる。少し早く大学に着いたので講師控えしつでメモをとる。娘の姿は妻の姿と重なっている。妻だか娘だかわからなくなる。90歳で亡くなる直前だから、少しボケた感じを出したい。信徒の人は怒るかもしれないが、それが小説のリアリズム。一人の人間として描く。わたしの小説は基本的には青春小説なので、老人になった主人公を描くことはあまりないのだが、親鸞の場合は最後まできっちり書き切りたいと思った。最後にキーワードの、地獄は一定住処ぞかし、という文言を入れる。自宅に帰ってひたすら入力。新たに書いた部分をプリントして読み返し、新幹線の中でチェックした部分とともに赤字を入力する作業が残っているのだが、明日には完成するだろう。明日、明後日と休みなので、一両日中には完成する。

02/23/火
昨日の夜中に最後までプリントしたものを読んで赤字を入れた。本日はその赤字を入力するだけ。昼過ぎにすべての作業が終わった。ただちにメールで送り、届いたという返事が来た。やれやれ。それにしても、昔は原稿をもって出版社に出かけ、担当編集者に渡したあと、飲みに出かけたものだ。まだ新人だった頃は、原稿が戻されてくることが多いのだが、とにかく渡した日は相手はまだ読んでいないので、祝杯をあげたものだ。いまはメールで送るだけ。いつからこんなことになったのか。わたしがパソコンを使いだしのは早かった。編集者が皆、パソコンを使い、メールアドレスをもつようになったのはいつごろだったか、もう想い出せない。

02/24/水
1月の創作ノートから「新しい年」というタイトルをつけた。しかしここまでずっと『親鸞』を書いていたので、「新しい」ことについて考える余裕がなかった。ようやく『親鸞』が終わったので、そこから先のことを考えてみたい。念頭にも書いたと思うのだが、作家というものはたえず仕事をしないといけないので、一つの仕事をやっている間も、次の仕事のことを考えている。一つの仕事が終わったら、すぐ次の仕事に取りかかれるように、資料を揃え、一部は読み込み、また出版社にも提案して、企画会議に通してもらい、およその締切を設定してもらう。それだけの準備がないと次の作品に取り組めない。しかし『親鸞』という作品は10年くらい前からの念願の作品なので、これに集中するとともに、これを書き終えたらしばらく休みたいという思いもあって、そういう準備をやっていなかった。よい機会なので、これから先のこと、といったももう「老後」といっていい時期だが、何を書くべきか、ということについてじっくり考えてみたいと思い、「新しい年」というタイトルでノートを書き始めた。といってもこのところ、作品社と河出書房でしか小説を書いていないので、販路の拡張みたいなことも考えないといけないかなと思っている。しかしこちらの老齢化に伴い、若い読者との距離が離れているので、重い小説だけでなく、軽い読み物についても検討したい。新書サイズのエッセーや入門書みたいなものの企画も考えつつ、重い小説についても考えてみたい。これまでにも企画を立てて、企画書の中のメニューには入れてきたテーマがまだ残っている。額田女王、薬子、紫式部……なぜか女性が多い。女性といえば、卑弥呼と神功皇后、イザナギ、アマテラス、青の皇女、手白香皇女といった伝説の女性のことも考えてきたのだが、親鸞を書いてしまうと、大きなテーマとは思えなくなった。戦国とか幕末とか、あるいは近代とか、歴史小説としてはよく書かれる時代について、自分はわざと避けてきたところがある。他の人が書いているから、自分が書く必要はないだろうという思いがあった。考え尽くされ、調べ尽くされている時代について、新たな視点が提出できるかという不安もあった。たとえば親鸞ならば、哲学的に書く、というだけで充分に新しい視点が提出できる。そういう意味では、禅僧についてはまだ書いていない。実は禅についてはまだ知識が充分ではないと思っている。親鸞には後白河、後鳥羽、九条兼実、源通親、頼朝など、当時の時代の政治の中枢にいた人物が登場して親鸞と関わってくる。日蓮でも北条時頼、時宗を登場させた。空海には桓武天皇、嵯峨天皇、藤原冬嗣などが登場した。僧侶は政治と絡んでいるから面白いということもある。自分は政治が好きなのかもしれない。栄西、道元、一休などにあまり興味がわかないのは、そのことと無縁ではないだろう。天海なんかは面白いかもしれないが。でも、もう坊さんからは卒業したいという思いがある。女性の方が、まだ政治に絡む面白さがある。まあ、こんなことをおりにふれて考えながら、このノートを進めていきたい。

02/25/木
本日はまず午後1時半から代々木上原のJASRACで、創作者団体協議会の臨時総会。わたしは議長なのでまず挨拶。それから今年で10周年を迎える協議会の設立の趣旨を確認したあと、この会を存続するかどうかの判断を皆さんにあおぎたいといった話をする。この協議会は著作権の保護期間の延長を求める活動として始めた。なかなか実現しなかったこの問題が、TPPの締結で実現しそうな見通しになってきた。しかしアメリカの大統領選挙では有力候補が反対という意見を述べているので、どうなるかわからない。さらに著作権保護期間の延長に対して、反対勢力が権利制限の拡大を求める動きもあるので、この協議会はさらに活動を続けなければならない、というご意見が多く、解散せずに存続することになった。終わって文藝家協会に移動。知的所有権委員会。終わってから軽く飲み会。冷たいものを飲むと咳き込むのでビールは飲めない。焼酎を常温の水で割ったものを飲む。いろいろな話題が出て楽しかった。

02/26/金
朝の9時20分から大学で判定会。それから文藝家協会で打ち合わせ2件と、出版社との協議会。長い一日だった。

02/27/土
週末と月曜が休みなので3連休。正月以来一度も車を動かしていないのでお台場まで行く。バッテリーがあがっているのではと心配したのだがちゃんと動いた。ビーナスフォートの上に車を置いてトヨタのショールームへ。車を替えたいと思っている。いま住んでいる集合住宅では電動のカートに車を入れないといけないので、ダウンサイジングしたいと妻が言う。かなり古い車だが、走行距離はそれほどでもないので、いま替える必要はないのだが、妻はいまだに車庫入れに苦労しているようなので、ダウンサイジングした方がいいかとも思う。実は十数年前、一度、ダウンサイジングしたことがある。しかし窮屈な気がして、その車は次男にやって、もとのサイズの車に戻した。で、ショールームに行って候補の車に乗ってみたいのだが、やはり窮屈だ。しかしいかにも小さく、取り回しが楽そうなので、魅力を感じた。浜松の仕事場に行く機会も減っているので、ほとんど車を動かすことがない。車庫の出入りが妻の負担になっていることもある。わたしはもう何年もハンドルを握っていない。ペーパードライバーになってしまった。都心で車を運転したいとは思わないが、浜松の郊外の空いた道路や山岳ロードなら、たまには運転したいという気がする。もう昔のように暴走することはないだろう。実はわたしはスピード狂みたいなところがあって、妻に運転を禁じられている。昔は一家の主として、子どもたちも乗せてドライブしたものだが、遠い昔のことだ。ここ十数年、仕事が想像を絶するほど多忙で、考え事をすることが多く、運転を妻に任せるようになった。すると移動の時間も頭の中では仕事ができるのでありがたかった。それでペーパードライバーになってしまった。
さて、『親鸞』が終わってから数日が経過したが、『親鸞』を書いていた日々が昔のことと感じられるし、どうやって書いたかも想い出せない。800枚もよく書けたものだと思う。次に何をするかも考えていない。いつもなら作品がゴールに近づいていくと、次の仕事の打ち合わせをして、出版の約束をとりつけ、一つの作品が終わるとすぐに次の仕事に取りかかったものだ。こんなふうに何も仕事がないというのは、何年ぶりか、想い出せない。とはいえ児童文学の短篇とやや長いエッセーの締切が来月に設定されているので、ひまがあるとメモをとっている。そろそろ仕上げにかからないといけない。まあ、あと数日は、ぼんやりと、将来のことを考えていたい。37歳の老人が将来のことを考えるというのも奇妙かもしれないが、80歳くらいまでは仕事をしたいと思っているので、まだまだ将来はあるだろう。わたしから仕事をとったら何もなくなってしまう。大学の先生の仕事はある何年かだし、文藝家協会の仕事もそのうちリタイアしたいと思っている。小説は書き続けたい。そのためには、少し売れるものを書かないといけない。時代小説は江戸ものでないと売れないと言われる。歴史小説も戦国末期と幕末しか売れない。しかしそのジャンルはすでに多くの作家が書いている。でも、考えてみれば、親鸞も多くの作家が書いている。ただ仏教に関してはいささか自信があるので、正攻法で書き切った。そういう自信のある領域であとしばらくは勝負したい。だが将来的には、未知の領域に踏み出していかないといけないだろう。現代小説とか、近未来とか、そういうジャンルも考えてみたい。『ペトロスの青い影』というのは一種の幻想小説だし、SFの短篇集『チューブワーム幻想』を出したこともある。だがこういうものは持続していないと感覚が鈍るものだ。歴史小説も神話の時代になると一種の幻想小説になる。そういう分野で何かできないかなと思っている。

02/28/日
3連休の真ん中。のんびりしている。

02/29/月
3連休の3日目。のんびりしている。


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