尼将軍05

2020年12月

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12/01/火
今年も最後の月になった。このノートも5ページ目になる。8月からスタートして年末に草稿完成くらいの見積もりで始めたのだが、2章が終わったところで最初からの修正を初めて、まだチェックが続いている。こういう修正はいつものことだが、今回はやや見通しが甘く、かなり修正が多い。しかし考えてみれば、柿本人麻呂も何度も書き直した。歴史小説を書く場合、ある程度のコンセプトをもって書き始めるのだが、ぼく自身の歴史認識が定まっているわけではない。書きながら考えをまとめていくということで、半分くらい書いたところでようやく先が見えてくる。その段階で、書き上げてしまっている部分の登場人物のキャラに変更が必要な場合がある。人麻呂でいえば阿閇皇女(元明女帝)のキャラを強化する必要を感じた。今回は小四郎義時と阿波局がクローズアップされることになった。途中からは完全に新たに書き直す感じになっている。まあ、必要な手続きなので粛々と作業を進めたい。先月、右肩を負傷するという想定外のアクシデントがあり、まだ完治していない。丸一ヵ月はかかるかなという予測を立てていた。もうすぐ3週間になる。あと10日で完治するかというと、やや危ぶんでいる。それでも徐々に回復していることは確かで、回復する人体を自分のこととして感じるのは不思議な感じだ。体の傷は治りやすい。精神障害とか、老人ボケみたいなものは、治りにくいのだろう。それと妻が孫のところに行っているので、障害者が一人きりで生活している不自由さがある。本日は洗濯をした。バスルームに干して明日取り込む前にバスルームに乾燥をかければいいだけだが、干すのに右手を水平くらいに挙げないといけない。けっこう痛い。でもこの前に洗濯をした1週間前に比べれば楽になった。来週はもっと楽になっていることだろう。

12/02/水
東京は真冬並の寒さ。朝からエアコンを作動させているので寒さは感じなかったが、夕方至近距離のコンビニに行くと本当に真冬の寒さだった。肩が痛いので冬の長袖ヒートテックのアンダーシャツを着ていないせいもある。まあ、寒さは今日だけらしい。延期になっているレイブンズ対スティーラーズの試合はまた延期になったようだ。アメリカのパンデミックはひどくなっているようで、49ナーズは無観客でもホームゲームが開催できなくなった。サンフランシスコ周辺は外国並の移動制限があって、遠征から帰ってくると2週間の自宅待機になるとのことで、それでは無観客でもスタジアムに行くことができない。結局、アリゾナカージナルスの本拠地を借りることになったようだ。デンバーブロンコスは控えQBが陽性になったと思ったら、QB全員が密な接触をしていたようで、全員出場できなくなった。大学時代にQB経験のあるワイドレシーバーが代役を務めたがほとんどパスが決まらなかったらしい。このところFootballだけが楽しみなので何とかSUPERBOWLまで進んでほしい。

12/03/木
天気予報では晴れで温かくなるということだったが、昨日と同じ曇天。雨は降っていないので散歩に出かける。仕事はなかなか先に進まず。明日はリアルな会議。必要な資料を鞄に入れる。歩いていける神保町だが、近いと油断するので早めに自宅を出たい。

12/04/金
旺文社のコンクールの選考会。もう10年以上この選考を担当している。以前は神楽坂の奥の書協ビルの隣にある出版クラブという会館で開催されていたのだが、3年ほど前に書協が移転したて神保町にビルを建てた。そこに会館も移ったので、御茶ノ水に住んでいるこちらにとってはありがたい状況になった。いつもの散歩のコースで、自宅から真っ直ぐ歩いていけば15分くらいだ。山の上ホテルの前を通るので多少のアップダウンがあるがほぼ直線を歩いていくことになる。例年3時間はかかる選考が今年は一部がカットされて2時間で終わった。自宅に帰ると妻が先に帰っていた。週末だけの滞在。一人暮らしに慣れてきたので、少し違和感。あれこれ指図されるのが煩わしい。まあ、週末だけの辛抱だ。

12/05/土
しばらく車を動かしていないので木場のギャザリアで昼食。『尼将軍』はまだプリントのチェックが続いているのだが、入力作業も始めた。右肩はまだ痛いが日常生活に支障はなくなった。

12/06/日
日曜日。とりあえず散歩に出る。入力作業を始めたのでパソコンの前にいる。少し右肩が痛いのだが打っている時は気にならない。だが長時間の作業は難しいので休みながら作業を進めている。妻は明日からまた孫のところに行くので、またテレビの前の作業台が使えるようになる。

12/07/月
月曜日はFootballの日。4時半に起きてDAZNを起動。どの試合も接戦でコーフンする。全敗のジェッツが今日は勝つか、という状勢になった時は手に汗握ってしまったが、結局負けてしまった。それでもジャイアンツが強敵シーホークスにディフェンス力で勝ちきった試合は見事だった。妻と昼食をともにしたあと、また孫のところに出かけたので、しばらくは独身の生活となる。仕事に集中できるはずだが、今週は雑用がかなりある。

12/08/火
文藝家協会のリアルな常務理事会。常務理事だけの小さな会で1時間で終わった。必要な報告をしたがとくに異論はなかった。大丈夫かと少し不安になる。ちゃんと報告してもあとで聞いてなかったという人が必ずいる。まあ、とくに大きな問題があるわけではない。自分の仕事は赤字の入力を進めている。第一章が終わった。かなり削ったつもりだったが書き足したところもあるので少し増えたかもしれない。もう長さにはこだわらずにとりあえず全部書き切ってしまうことにする。テレピ中継がないので見なかったのだが、ワシントン(旧レッドスキンズ)が全勝のスティーラーズに勝った。これはすごいことだ。これでワシントンは5勝7敗となって首位のジャイアンツと並んだ。直接対決で負けているのでこのままでは優勝できないが、対戦相手から見るとワシントンの方が有利ではないか。再起不能と言われていたQBスミスが復帰したとたんに勝ち始めた。このスミスは昔は49ナーズの先発QBだったのだが、キャパニックが活躍したため追い出され、チーフスの先発になったのだがマホームズに追い出され、ワシントンに入って大怪我をして再起不能とされた。それが今シーズンは何とかリザーブとしてメンバーに登録され、先発のチャンスが訪れた。そしていまや不動のエースQBとなった。地区優勝してプレーオフに出ればもっと大きな奇蹟を起こすのではないかと期待してしまう。ぼくはジャイアンツのファンなので複雑な心境だがスミスを応援したい。

12/09/水
昨日のリアルな会議に続いて本日は内閣府で作文とポスターの表彰式。もう何年もこの仕事を引き受けているので内閣府に行くのは慣れているのだが、表彰式といういわば公式行事なので、久し振りにネクタイなど締めて出席。短い時間だがけっこう疲れた。ところで昨日、ふと思いついて『新釈白痴』を読み返してみた。ドストエフスキー4部作の2番目の作品だ。他の3作は原点を下敷きにしたいわば「二次創作」だが、この作品だけはドストエフスキーの創作ノートの中の廃棄されたプランをもとにした創作なので、ほぼ三田のオリジナルだといっていい。創作ノートのこのプランを知ったのは、大学生のころで、小林秀雄の評論の中にこの廃棄されたプランへの言及があった。米川正夫訳の河出版の全集をもっていたのですぐに創作ノートを読んでみて、そこに書かれている「白痴」と呼ばれる人物に注目した。ドストエフスキーのすべての作品の中で最も魅力的な人物ではないかと思った。これを書くために『新釈罪と罰』から書き始めた。4番目に『カラマーゾフ』の続篇を書くという計画というか夢はもっていたが、書けるとも思えなかった。とりあえずこの『書かれざる白痴』を書くことが、自分の作家としての集大成だという思いで書き始めた。だが実際に何を書いたかは、ほとんど忘れていた。で、読み始めたのだが、おもしろい。まだ出だしのところを読み返しただけだが、原典にも出てくるホルバインの絵がいきなり出てくる。原典ではムイシュキンがただ回想として語るだけだが、三田の作品では原寸大の模写があって、その前で登場人物が議論をする。すごい作品だな、と思いながら、このおもしろさがわかる読者は皆無ではないかとも思った。それでいい。自分自身を満足させられる作品が描ければそれでいいのだ。そこで改めて、いま書いている『尼将軍』はおもしろいか、と考えてみたが、よくわからない。『光と陰の紫式部』は少女の紫式部が阿倍晴明と出会い、式神が取り憑くという設定があって、冒頭部分からおもしろい作品になっているが、『尼将軍』の場合は、まあ、ふつうの出だしだ。もっとおもしろくできないか、とも思ったが、政子が馬に乗り、剣術もできる、という以上の過剰な設定は不要だろう。

12/10/木
私学会館のロビーで待ち合わせて文化庁の人々とともに私学関係者に面会。予定の時間を大幅に超過する面談となったが、必要な役割は果たせたと思う。自宅に帰ってSARTRAS関係のネット会議。前の面談が長びいたのでやや遅刻で参加。こちらもふだんは2時間の会議が4時間に延びたが無事にまとまった。長い1日だった。さすがに少し疲れた。

12/11/金
本日は公用はないのだが、居住している集合住宅の設備点検で消防の査察が入る。妻がいたいのでぼくが対応する。スプリンクラーを黙視、排気口が荷物などでふさがれていないか。排気口は各部屋だけでなく、狭いシューズボックスやクロゼットにも設置されていることがわかった。無事終了。妻は今夜遅くには帰ってくるようだ。

12/12/土
週末。妻がいるのでありがたい。散歩に出て帰ると夕食の準備が進んでいる。右手の調子もいい。まだ違和感があるが、キーボードを打つときには痛みもなくまったく支障がない。ただ何かの拍子にチクッと痛みが走ることはあるし、右手を挙げようとするとまだ完全には上がらない。今朝、起きて仕事をしようとすると、ネットがつながらないことに気づいた。この集合住宅はネットのルーターが納戸の配電盤の隣の高い位置に設置されている。ネットの不調の場合は電源を落として初期化するのが第一の対策だ。ところがこのルーターが高い位置にあるので、右手を挙げて伸ばす必要があった。イテテテッ、と思ったがとにかく作業はすることができた。痛いけれども、これは体操などをしてリハビリにつとめれば治るだろう。ネットも修復された。今年に入ってからは会議の大半がネット会議になったので、ネットは重要だ。

12/13/日
東京では曇天が続いている。ウィークデーは四日市で過ごした妻が、毎日晴れだったと言う。雨は降らないので散歩には行けるし、わが集合住宅は日当たりがよすぎて、晴天だとカーテンをしめることになるのだが、毎日曇天だとさすがに鬱陶しい感じがする。肩を負傷してから一箇月が経過した。重いものも持てるようになり、日常生活に支障はなくなったが、腕の角度によっては傷みが走ることがある。まあ、回復の途上にはあるので、年内には完全に治るだろう。

12/14/月
朝5時半に起きてFootballを見る。早起きすると1日が長い。パソコンに向かって仕事。かなり仕事をしたあとで、10時半からのネット会議。終わって妻と昼食。妻はまた孫のところに出発。散歩に出ると必ずコンビニに寄って食料を購入。ふと思い出したのは、東日本大震災の直後のこと。妻は両親と旅行に出る計画をしていた。老いた両親との最後の旅行ということで計画を立て、旅館なども予約してあった。出発点は両親の住む大阪。震災の直後でも東海道新幹線は動いていた。ということで妻は出発。一人取り残されたこちらはコンビニに行ってみたが、弁当はおろか、ごくふつうのパンもない。これでは独身者は生きていけない。幸い自宅にはレトルト食品や、冷凍した料理があったので何とか生き延びることができた。この疫病流行の中でもコンビニはちゃんと機能している。ありがたいことだ。

12/15/火
また妻のいない日が始まった。右肩はほとんど治癒した。まだ多少の違和感があるが、ふつうに歩くぶんにはまったく痛みがない。本日は遠出。以前は毎日のように歩いていた小石川後楽園の外周を回るコース。外壁に沿った遊歩道があるのだが、後楽園の中からはみだした紅葉がちょうど見頃になっている。入場料を払って中に入ってもいいなと思ったが、妻がいないので1人で入場するのも寂しい。

12/16/水
本日は不忍池まで散歩。それだけの1日。

12/17/木
ネット会議2件。疲れる。ネット会議のいいところは内職ができること。午後を2件の会議でつぶしたのでいい天気なのに散歩には行けず。次の作品のことを考えつつある。いまの北条政子に興味が失われつつある。結局この女性は自分の息子を愛せなかったのだろうと思い。その気の毒なところをセンチメンタルに書くとつまらなくなる。しかし他にどのような書き方があるのか。女の強さを出していきたい。

12/18/金
メールで補償金の認可が下りたという連絡。2年にわたる労苦がようやく認められた。思えば2年前のプレーオフの時期に、会議が月曜日の午前中になってしまい、ペイトリオッツとチーフスの延長戦の試合をアメリカの公式サイトのボールの位置をイラストで表示する得点経過情報をちらちら見ながら会議に参加していた記憶がよみがえってきた。午後はオーファン委員会。といってもSARTRASとほぼ同じメンバーなのでまずは認可が下りたことを喜ぶ。祝杯を挙げたいところだがネット会議だ。それでも皆さんの顔が見えるZOOMの会議なので、喜びを共有することができた。自分の仕事は99ページのところで第2章が終わった。プリントでは再来年の大河ドラマになる「十三人」が選ばれるところまで引っぱって章を替えたのだが、書き込みが増えて8ページほど増加したためここで100ページになった。1章を50ページ、全体を4章とする。3章は実朝が死ぬところまで。4章で承久の乱を描くのだが、なるべくコンパクトにして、短く終わってもよしとしたい。とにかく頼朝が死ぬところできっちりと章が改まって収まりがよくなった。

12/19/土
昼前に妻とのラインを見ると四日市に来ないかという提案。めんどうだなとは思ったが、気分転換になるかとも思って行くことにした。荷物。火曜日までいる予定なので、パソコンは必携。iPadではメールソフトを使わずプロバイダーのサイトから入ることにしているので文字化けするものがあり、返事を書くにしても画面のタッチではスピードがでない。ということで重いけれども仕事に使っているパソコンを荷造り。あとは3日ぶんの着替えなど。仕事の資料は点検中のプリント。歴史年表のコピー。あとは文庫本1冊。それとスケジュール表。iPadも必携。これがないと月曜日の試合が見られない。あと妻がラインでややこしいことを言ってきた。老人割引の手帖があるらしい。引き出しの中から捜しだして、必ず「ひかり」に乗れという指示に従って14時33分発のひかり。手帖に記入して出発。御茶ノ水駅の人のいるみどりの窓口は反対側の入口なので遠回り。おりよく先客はいなかったので手帖を差し出す。すべて記入済みなのですぐに切符が出てくる。東京駅まで近いのがいま住んでいる集合住宅の最大の利点だ。乗り込んだ旨をラインで妻に伝えると、近鉄の特急券を送ってきた。乗り換え口でスイカで入場してあとはそのまま指定の席に座ればいいとのこと。乗り込むと突然、孫が現れた。名古屋の学校に行っている長男がちょうど帰る時刻で、父親が同じ列に指定席をとったようだ。そういうことがネットで出来るらしい。同じ列だが双方とも窓際で離れているため会話はないが、四日市まではわずかな時間。駅からは何やら会話しながら次男の集合住宅に着いた。酒を買うのは忘れたことに気づいた。次男は酒を飲まない。それでも古びたワインを捜しだしてくれた。これは寝酒。プリントのチェックの段階なのでパソコンは出さず。プリントに赤字を入れているうちに、チェックしていたプリントが終わりになった。新たにノートに文章を書いていく。次男がくれたワインを飲みながら書いているうちに、政子がわが子頼家を斬り殺す修羅場が書けた。もちろん史実ではない。小説だからこういうシーンがないと書く意味がない。ワインは小瓶だったので寝つきがよくないが、とにかく慣れない場所で眠ることができた。

12/20/日
朝は寝覚め爽やか。一人暮らしを長く続けていたので、妻、次男、孫のいるところに、「おはよう」と言いながら出ていく。浜松の仕事場ではよくあることだが、四日市の次男のところに泊まったのは初めてか。1回くらいはあるような気もするのだが。次男は名古屋にも集合住宅を確保していて、そこから嫁さんと孫の弟の方が来る。弟の方がピアノの発表会に参加するらしい。結局、次男と孫2人が会場に向かい、嫁さんは名古屋に帰っていった。この一家がどういう生活をしているのか詳細がよくわからない。夕食は孫2人が揃っている。こちらは午前中の向かいにあるコンビニに行って酒とつまみを買う。ビールも買おうかと思ったが次男が飲まないので夕食の時にビールを飲むのはためらわれる。で、酒だけにした。しかし午後、妻に頼まれて駅ビルの近鉄に買い物に行った時に誘惑に負けて缶ビールを買ってしまった。次男が会場に孫たちを迎えに行っている間に食卓の上にパソコンを出してメールをチェック。この集合住宅はかなり古いもので、有線ケーブルの口が各部屋にある。いまは無線の時代だからこういう設備はホテルなどでもなくなりつつあるようだが、いまだに有線のパソコンを使っている身にとってはありがたい。といってもiPadとiPhoneは無線なので、昨日、次男が設定してくれた。ともあれ次男のところでも仕事に支障はない。こうしてこのノートもこれからネットに送り出すことになる。

12/21/月
本日は月曜日。Footballの日だ。5時に起きてDAZNで8試合の多元中継を見る。混戦のNカンファ東地区はカウボーイズだけが勝った。ワシントンは惜敗。復活したスミスがまた負傷して欠場。スミスが先発なら勝てていた試合だった。とはいえまだ単独首位。6勝8敗で単独首位。あと2試合しかない。1勝1敗でいっても優勝できそうだが、そうなると負け越しで地区優勝ということになる。ウィークデーなので次男は勤め先に出勤した。孫も中学に行ったので、妻と2人きりとなり、わが家にいるような気分。パソコンもつながっているのでメールをとったついでに、かなりノートに書き進んだ部分の入力作業に入った。もはやプリントはなくなって赤字入力も終わっている。まったく新たな領域に入っている。頼朝が死んだところで第2章の終わりとして、そこまでが100ページ。400字にすると300枚。ここまでかなり削りながら、3章以後に活躍する人物像を伏線として書き込んできたので、量としては増えてしまったが、ここから先はコンパクトに書ける。このぶんでは3章の終わりで実朝を殺せるだろう。そうするとあとは承久の乱だけなので、短い終章を付けるだけでまとまるのではないか。丸ごとの4章だと200ページ600枚になってしまうので、550枚くらいに収めたいところだ。

12/22/火
次男は出勤。孫は学校。仕事に集中できる。入力作業。どういうわけかメールの返信ができなくなった。まあ、急を要するものはない。本日の午後には東京に戻るので、何とかなるだろう。ということで東京に戻ってきた。老人割引で「ひかり」にしか乗れないのだが、名古屋と東京間は、往路は豊橋、復路は小田原に停まってのが余分だっただけで時間のロスはなかった。名古屋は近いし、名古屋と四日市間の特急も快適だ。復路は妻といっしょだが密になるのを避けて席は話したので楽だった。メールの問題も東京でつないでみると問題はなかった。原因はよくわからない。次男のところの集合住宅の問題か。NTT西日本の問題か。毎月浜松の仕事場で仕事をするけれども、この種の問題はまったく生じなかった。想い起こしてみると、スペインの長男の家でネットにつないだら、メールがまったくつながらなかった。プロバイダーの問題なのか。ネットはふつうにつながるのにメールは取り込めなかった。プロバイダーのホームページからメールボックスに入って読むことはできた。まあ、考えても仕方がない。東京に帰ってきて問題は解決した。

12/23/水
東京での日常が始まった。妻が美容院に行った。どこか遠くの美容院に行くので一日がかりだ。こちらは10時からSARTRASの分配会議。その後、自分も床屋に行く。この前にいつ床屋に行ったか記憶がない。床屋ではなるべく短く切ってもらう。若いころは長髪にしていたこともあり、それに比べれば髪が伸びてもどうということはない。しかしこれから年末になり、浜松の仕事場に行き、帰ってすぐに文藝家協会の理事会がある。リアルな会議なので、髪が伸びすぎて見苦しい感じになっていると妻が文句を言う。ということで、ともあれ床屋に行った。それから文藝家協会関係の書類を一つ作った。『尼将軍』はあまり進まなかったが、プリントのチェックが終わり、先の見通しも出来てきたので元気が出てきた。1月末くらいに草稿を完成させてまたプリントにして読み返してみたい。こういうものは流れがあるので、一気に読まないといい作品になっているかはわからない。書いている途中はつねに五里霧中だ。とはいえ締切のある仕事ではないので、いい作品になるまで何度も書き直せばいいと思っている。

12/24/木
コンビニで小さなケーキを買ってきて、妻とメリークリスマス。妻と2人きりの穏やかな日常。年末年始はまた孫と過ごすのかと思うと緊張する。

12/25/金
9時半に御茶ノ水出発。午後2時過ぎに浜松の仕事場に到着。途中3回休んだので時間はかかったが、道路はすいていて快適だった。新東名は御殿場から浜松まではすべて3車線で120キロ制限になっていた。トラックがやや多い感じがしたが、100キロ以上でスムーズに流れている。道路はつねにこういう状態であってほしい。仕事場に到着したものの寒さにかじかんでいる。窓もあけられない高層住宅にふだん暮らしているので、築40年の木造住宅は体にこたえる。しかしここには自然な空気があり、緑があり、試練の寒さがある。これが人間らしい在り方だと思う。昨日、パソコンの調子がおかしくなった。蓋を閉じると自動的にスリープになり、あけると復帰する設定になっていたのだが、復帰しなくなった。そのままシャットダウンしてこちらに来たのだが、パソコンを起動させようとして、無線マウスのスイッチがおかしいことに気づいた。試しに予備として鞄に入れている大昔に使っていた有線マウスをつなぐと、パソコンは正常に作動するようになった。パソコンそのものが古いのでいつ壊れるかと心配しているのだが、まだしばらくは大丈夫のようだ。

12/26/土
木造家屋は寒い。寝室のエアコンが夜中に停止して明け方が寒かった。配電盤のスイッチを切って初期化すれば復旧するのだが、こちらは熟睡していたので対応できなかった。朝起きると妻がキレていた。何とかなだめて三ヶ日の町に食料と灯油を買いに行く。灯油を2つ買ったが、仕事場は丘の上にあるので運んでいくのが一苦労だ。エアコンもあるので灯油に頼っているわけではないが、木造家屋では食卓のすぐそばで石油ストーブが燃えていると安心できる。だんだん年をとってくると、木造家屋での生活は支障が出てきそうだ。

12/27/日
昨夜はこちらが寝室に行ってみるとすでにエアコンが止まっていた。初期化して再起動というモデムと同じ対応をして動かしたら、自分が起きるまで連続して動いていた。一度は必ず止まるということか。妻とともに庭の柚子とキーウィを収穫。キーウィは手入れをしていないので蔓が木材化して密集し、その上にある果実に手が届かなくなっている。これは全部切った方がいいのだろう。蔓はまた生えてくる。有線マウスに替えてからパソコンは快調に作動している。線が邪魔だとか、ページアップなどのサブボタンがないなどの不便はあるが、いらいらする誤作動がなくなった。今週の初め、次男の四日市の住居で仕事をしていた時に、一箇月かかえていたプリントのチェックが完了し入力も終えた。いまは新たな領域に進んでいる。これでいま自分が何ページ目を書いているかがわかり、ゴールまでの距離が見えてきた。いまは和田合戦を書いているのだが、このままで行くと3章の終わりで実朝がきっちり死んでくれそうだ。ただそのあたりはしっかりと描きたいという思いがあるので、量が増えてもいいという覚悟はある。昨日は寒かったが家屋の全体が温まったせいか体が慣れてきたからか寒さは感じなくなった。

12/28/月
朝5時半からDAZNでFootballを見る。最終週の直前の週。このあたりでプレーオフ出場チームがほとんど決まるのではと思っていたのだが、とんでもない状況になった。9勝5敗だったドルフィンズとレイブンズが勝って、10勝4敗だったタイタンズ、コルツ、ブラウンズが負けて、10勝5敗で5チームが並んだ。地区優勝チームはすでに3チームが決まっていて、のこり1つはタイタンズかコルツという状態。他に3チームがワイルドカードでプレーオフのトーナメントに出場できる。ということはこの5チームの内、4チームが出場できる。最終週の対戦で直接対決はないので、5チームすべてが勝つ可能性もある。勝ち星が並んだ場合、2チームだけなら直接対決とか地区内の勝率、カンファ内の勝率など、甲乙をつけるルールが細かく決められている。たたし3チーム以上が並んだ場合はより複雑なルールがあるのだが、とにかくそれによると、5チームとも勝った場合は南地区で優勝争いをしているコルツが除外されるらしい。コルツのQBはチャージャーズから今年移籍したリバースで、今シーズンで引退することになっている。5指に入るベテランQBでありながら一度もSUPERBOWLに出たことがない。ラストチャンスということで地区優勝争いを続けてきたのだが、ここに来て、悲劇が待ち受けている。他の4チームのうち、1つでも負ければ出場できるのだが、コルツの対戦相手も含めて3チームは楽勝。ブラウンズの相手は北地区優勝のスティーラーズ、ドルフィンズの相手は東地区優勝のビルズと強敵だが、両チームとも地区優勝を決めている上に、初戦が不戦勝になる第1シードには到達できないとわかっている。ということは、最終戦に勝つ意味はなく、QBをはじめ主力を温存して消化試合に臨むだろう。だから5チームとも勝つ可能性が高い。ただスティーラーズ対ブラウンズは、昨シーズンの対戦で乱闘騒ぎがあった。昨シーズンはエースQBのロスリスバーガーが怪我で休んでいて控えQBのルドルフが先発した。乱闘騒ぎの張本人がこのルドルフだ。主力温存でそのルドルフが最終戦に先発する。いわば因縁試合なので、控えのメンバーでもスティーラーズは本気で闘うだろう。ブラウンズは今週の試合ではワイドレシーバー4人がコロナの疑いで欠場していた。そのうち何人かは疑いが晴れる可能性があるが、練習不足で万全ではないだろう。ブラウンズが負けるという可能性にコルツは祈るような思いになっているのではないか。

12/29/火
キーウィの棚の木材化したところをノコギリで切り落とす。やってみるとこれは重労働だった。幸い先月傷めた右肩はほぼ完治していて作業に支障はなかったのだが、大量の木の枝が切り落とされてゴミに出す作業もたいへんだった。斜面での作業なので膝や腰に負担がかかった。明日あたり後遺症が出そうだ。

12/30/水
今年は孫が来ないことになったのでのんびりしている。この仕事場に来ると夕方に風呂に入るので夜が長い。録りだめたミステリーを見ることが多い。イギリスの田舎の風景が美しい「バーナビ―警部」を見ることが多いのだが、いまはミステリーチャンネルで「ポアロ」を連続放送しているので、録画を見たあとでポアロを途中から見たりしている。仕事はいよいよ和田合戦。それからヒロインが3度目の上洛。その後、実朝暗殺ということになる。少しページが足らないので、暗殺の直前くらいで3章が終わってしまうかもしれない。まあ、短い終章ということも考えていた最終章を、3章までと同じサイズの4章としてもいい。和田合戦も登場人物のキャラクターを描きながらじっくり展開したいと思っている。テレビでは寒波と大雪の予想。雪は名古屋あたりまでで浜松までは到達しない予報だが寒波はやってくる。本日は風が強く、^鼻湖を散歩していると波飛沫がかかりそうになったので途中で引き返してきた。

12/31/木
いよいよ大晦日。今年の反省などしてみるかと考えたが、とくに反省することもない。日々、売れない小説を書き続けていた。それだけの一年だった。年頭にスペインの長男一家がいたことは、いまから思えば奇蹟のようなことだった。ふだんは夏に来る彼らがなぜか年末年始に来て、小さなコンサートを開いてくれた。3人娘のピアノトリオなどというものを聞かせてもらった。思いがけない疫病の流行で、彼らとは今後何年も会えないかもしれない。スペインはイタリアと並んで真っ先に非常事態になった国だ。外出禁止の状態が長く続いた。それでもいまは小康状態になって外出もできるようだ。イギリス、フランス、ドイツよりは少しはましな状態だろう。そういう心配はあったが、自分と妻の生活に大きな異変はなかった。ただ第三波の来る前に信州に旅行して右肩を打撲した。これが想定外の事態で、老人のせいか治りが遅かったが、生活に支障がないほどには回復している。在庫が2篇、現在作成中の作品も半分のところは過ぎている。在庫10篇くらいためてから在庫一掃セールをやりたいと思っている。


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