崇神天皇05

2025年5月

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05/01/木
浜松の仕事場に来ている。今年に入ってから『崇神戦記』(「崇神天皇」から改題)シリーズの修正を取りかかってきた。いまはに2巻目の『活目大王』のリライト入力が終わり、3巻目の『日本武尊』の冒頭部分の入力に入ったのだが、少し停滞している。日本歴史時代作家協会のホームページの閲覧数を増やすために、連載記事を書くことになった。1回3ページ(原稿用紙10枚弱)の記事を連載する。といっても連載というのはきついので、とりあえず『女が築いた日本国』というタイトルを決め、序論の部分をストックとして準備しておきたいと思って書き始めたのだが、序論がなかなかまとまらない。序論が出来れば、あとは歴史をおって、歴史に関わった有名の女性の実績を網羅していけばいいので、とにかく序論を先に書いてしまいたいということで、すでに10回分は書いたが、まだ序論が終わらないという段階だ。浜松の仕事場に来ていて、庭の夏ミカンの収穫や草刈りなど、肉体労働で疲れたということもある。それでもある程度の時間はパソコンに向かっている。こちらに来て、ネットでFootballのドラフトの結果を確認した。こちらの方は開幕までまだ時間があるので、じっくりと考えたいと思っている。アメリカがひどいことになっていて、そっちも気にかけている。あのトランプという大統領は、「アメリカを偉大にする」と口では言っているが、実際のところぱ「アメリカが偉大であるという幻想を捨てて、貧しい労働者の国であることを自覚しよう」というのが、やっていることのすべてだ。偉大であることを諦めたので、ロシアとウクライナの戦争に金銭を注ぎ込むことも注視して、早く戦争を止めろと言っているだけで、世界平和とか、そんなきれいごとを目的としているわけではない。核の傘で日本を守る、というようなことは、きれいさっぱり忘れてしまっている。そんな約束は自分がしたわけではないので、いつでも反古にできると考えているようだ。放っておくと日本国内で、軍隊を強化して日本も核武装しなければならないと言い出す人が必ず出てくる。日本はすでに「貧しい労働者の国」になってしまっているので、軍隊を強化して守るべきものなど何もない。金持の中国人がドッと流れ込んでいるので、事実上、中国の植民地になりかかっている。スキー場はオーストラリア人に侵略されている。京都も奈良も、外国人に占領されている。そんな外国人を守る必要はないので、武装したって始まらない。というようなことも考えてはいるのだが、考えても仕方のないことなので、とりあえず自分の仕事と、Footballのことを考えていたいと思っている。『女が築いた日本国』のコンセプトについては、このページに時々書くことにする。本日は志都呂イオンに行く。ウィークデーなのですいていた。ガソリンが減っていたので高速に入って浜名湖SAで給油。このところセルフの給油所ばかりになったが、旧東名は昔ながらのオジサンがいて給油してくれる。舘山寺PAで下りた。ここで下りるのは初めてだが、時間の短縮になる。350円払う価値はある。

05/02/金
朝から雨。風を伴った台風のような感じ。昨日、ショッピングモールの本屋で買ったケン・リュウの『もののあわれ』という短篇集を読み始める。以前、本屋で『紙の動物園』の文庫が平積みになっていて、本屋さんのポップに「読むと必ず泣く」と書いてあった。その宣伝文句につられて買ったのだが、読むとほんとうに泣いてしまった。それで他の作品も読もうと思っていたのだが、忙しさに忘れてしまっていた。たまたまここの本屋でもこの本が平積みになっていて、思い出した。ぼくが本を読んでいると、妻がどういう内容の作品かと訊いたので、『紙の動物園』の話をしたのだが、放しながら泣いてしまった。作品の内容はほとんど忘れているのだが、自分が泣いたという記憶だけを頼りに、自分で話を捏造しながら語っているうちに、その話も泣ける話になっていった。主人公がアメリカ在住の若者で、母親が香港で買われた中国人だというところがポイントだ。中国は物語の宝庫だ。漢詩という財産がある。阿片戦争から文化大革命までの戦乱の歴史がある。負け戦に加わった人たちの悲劇がいくらでも書ける。日本にも戦争があった。でもコテンパンに負けてしまったので、全員が負け組で、平等の社会になった。中国は広いから、必ず勝ち組と負け組が出てくる。そこで複雑な悲劇が展開される。ケン・リュウはSF作家なので、科学的な知識が出てくる。マックスウェルという名が出てきたので、「マックスウェルの魔」という言葉を思い出した。「ラプラスの魔」と双璧のデモンだ。ラブラスの魔は、現在のすべての物理的な条件が把握されれば、未来は決定している、という考えだ。人智の及ばない領域で、何でも知っている悪魔がいれば、世界は物理法則によって動いているので、もはや未来は決まっている。この考えは、不確定性原理や量子力学の登場によって否定されつつある。マックスウェルの魔は、二つの部屋の間のドアに、知的な悪魔がいて、右の部屋からスピードの速い気体粒子が飛んできたらドアを開け、左の部屋からはスピードの緩い粒子が来た時だけドアを開ける。そういう選別のできる悪魔がいると、左の部屋は熱くなり、右の部屋は冷たくなる。ヒートポンプによる冷暖房みたいなことだが、エアコンの場合はモーターの電力が必要だ。マックスウェルの悪魔は、選別しているだけなのでエネルギーを必要とせず、エントロピーが減少していくという、自然の節理に反する現象が起こる。この言葉を知ったのは高校生の時だが、ほぼ同じ時期にシュレーディンガーの『生命とは何か』を読んだので、生命現象こそはマックスウェルの魔だとすぐにわかった。DNAは、バラバラになったアミノ酸を規則正しく並べて、生命を造り出す。これはエントロピーを減少させることになる。DNAは情報の塊だ。情報こそがエントロピーを減少させるマックスウェルの魔なのだろう。エントロピーは必ず増大すると言ったのはボルツマンだが、独我論のマッハはボルツマンを全否定した。その当時は、物理学と哲学とが不可分だった。いい時代だったと思う。またケン・リュウに話を戻すけれども、この書き手は日本の俳句を読みこんでいる。サリンジャーにも時々、俳句の引用がある。俳句ってすごいものだと思う。今日読んだ作品のなかに、 I miss you を日本語でどう訳せばいいのか、というくだりがあった。 miss にはただ「失う」だけでなく、悲しみの気持がこめられている。人々が別れ際に、「アイ・ミス・ユー」と言えば、「あなたと分かれるのが悲しい」といった意味合いになる。これを未来形にすると、いまは目の前にいるあなたがいなくなればぼくは悲しい、ということになる。これを日本語に訳すとどうなるか。「きみがいなくなると僕は寂しくなる」というのは、日本語ではない。翻訳調の悪文だ。未来形なら「きみがいなくなる」、過去形なら「いまはもういないんだ」。これでいいのだと思う。「さびしい」とも「かなしい」とも言わないのが、正しい日本語だろう。「山のなかの古い池に、カエルがとびこんだ」それ以上の説明をしないのが日本語だ。「その小さな音の他には何も聞こえない」と説明してしまっては日本語ではない。「この静けさがぼくは好きだ」とまで説明してしまっては最悪になる。ぼくが大学で日本文学を教えていた時は、必ずこんな和歌を伝えた。「古池やカワズ跳び込む水の音、聞こえるくらいに静かなりけり」下の句をつけると芭蕉の句がだいなしになる。

05/03/土
名古屋の孫たちが市野イオンでレゴの展示会をやるというので出かける。いつも行くショッピングモールは志都呂イオンというところで浜松市街地の手前なのだが、市野は市街地の中心にあるので、行く機会はそれほど多くないが、三方ヶ原サービスエリアから出られるようになったので、かえって志都呂よりも近い感じがする。浜松にいる仲間の企画で、全長50メートルのループ状の台の上に、数人のメンバーがそれぞれに持ち寄った装置を連結させて、大量に用意された小さなボールを無限に送り続けるもの。通りがかった子どもはもとより大人にもけっこうウケていた。孫の造った装置は以前にも見たことがあったのだが、さまざまな装置と連結されたのを見ると壮観だった。兄の方は明日は模擬テストがあるというので名古屋に帰った。弟だけをつれて仕事場に戻る。中学3年だが、ぼくの背丈より遙かに高くなった。ぼくの長男、次男はぼくとほぼ同じ背丈(老人になってぼくは少し縮んだようだが)なので、この弟の方は一族のなかで最も背が高くなった。中3だからまだ伸びるだろう。

05/04/日
孫たちは今日も市野イオンでレゴのデモンストレーション。こちには都田テクノのカインズホームで買い物。名古屋の孫2人は、何やらとても個性的で、危なっかしいところもあるが、おもしろいキャラクターだ。孫はスペインにも4人いて、3姉妹と末っ子の男児。この3人の娘もそれぞれに個性的だ。末っ子の男児はまだ幼いので個性を発揮していない。上の3人のお姉ちゃんにパワーを吸い取られているようなところがある。今日も快晴。風が強い。浜松の海岸での凧揚げは、凧がよく揚がっていることだろう。街では老人から子どもたちが、進軍ラッパを吹き鳴らしながら走り回っていることだろう。浜松の子どもは全員が進軍ラッパを吹ける。トランペットのようなバルブのないラッパだが、息の調整でドミソは吹ける。進軍ラッパのメロディーはドミソだけでできている。

05/05/月
孫たちのデモンストレーションは3日目。われわれはどこへも出かけず、庭の梅の木から梅のみを採集。これを何にするのかは知らない。ぼくが梅干しを食べないことは、妻も知っている。子どものころ病気がちで、減塩食だった時期があって、梅干しを食べる機会がなかった。小学校の理科の教科書に、条件反射の説明があって、梅干しを見るとツバがわいてくる、というのがあった。ぼくは梅干しを食べたことがないので、梅干しを見ても何の反応もない。自分の意思に反してツバがわくというのは、気持が悪いと思った。それで一生、梅干しは食べないと決意した。しかし梅干しを食べないと、コンビニでおにぎりを選ぶ時に、選択肢が一つカットされることになる。幸い、最近のおにぎりは、種類が豊富なので問題はないが、弁当を選ぶ時も、ご飯の上に梅干しがのっていたりすると、選択肢が減ることになる。日の丸弁当などいうのは、困ったものだと思う。

05/06/火
連休の最終日。孫たちはお昼ご飯を食べて名古屋に帰っていった。2週間近く浜松にいた。最後の4日間は、孫がいて楽しかった。いなくなると、少し寂しい。しかしほっとした感じにもなる。名古屋の2人の孫は何やら個性的だ。とくに長男の方は問題児だが、テレビ番組のレゴブロックの大会で優勝したり、物理学会主催のコンテストで優秀賞になるなど、自分の好きなことに関しては集中力がある。高校時代のぼくもそんな感じだった。結局、後期高齢者になるまで、好きなことをやって生きてきた。そういう生き方も可能なのだが、自分の場合は、運にも恵まれていた。運に恵まれない人もいる。ぼくは高校時代に応募した作品が『文藝』に掲載され、一回目の候補で芥川賞を貰えた。本が売れなくなった時期には、大学の教員になった。著作権の仕事も何となくやっているうちに、今に到っている。名古屋の孫たちも、そんな幸運に恵まれればいいのだが。劉慈欣の『三体0球状閃電』を読み終えた。志都呂イオンに行った時に買った文庫本。三体シリーズの直前に書かれたという長篇で、まさに前日譚といっていい作品だ。ハードSFというは、三体シリーズよりもハードで、まとまりがあり、そして適度にセンチメンタルで、いい作品だと思う。登場人物のキャラクターが際立っているし、球電というテーマもおもしろいし、随所にSF的な仕掛がある。『三体』には陽子サイズの空間に集積回路をプリントして監視衛星のようなものが出てくるのだが、今回の作品では、バスケットボールのサイズの電子が出てくる。それが量子としての確立の雲であったり、瞬間的に波動になったりする。そして確率としてのシュレーディンガーの猫も出てくる。球電で死んだ人も、確率の雲のなかでは生きていて、誰もがシュレーディンガーの猫になりうるという話になっていて、よくできた作品だと思う。さて、明日は東京に帰る。また御茶ノ水での日常が始まる。

05/07/水
連休が終わり、東京に帰ってきた。昨日の朝まで孫たちがいて、明日の木曜日は文藝家協会のリアルな理事会なので、移動するのは今日しかなかった。夜中に雨が降っていたが、朝にはすっかり上がっていた。よかった。雨の日の移動はつらい。渋滞もなく3時には自分の部屋に戻っていた。ただ届いていた郵便物の整理がたいへんで、ハサミで封筒を切るだけなのだが、封書が大量に来ていて、整理に1時間以上かかった。メールは浜松でも見ていたので今日届いたメールに対応するだけ。今週は明日の理事会だけなので気分的にはまだ休暇モードだ。

05/08/木
文藝家協会理事会。必要な発言をした。とくに問題はない。このリアルな会議が終われば、当分はリアルな会議がないので、のんびりできる。

05/09/金
近くの医者に行く。散歩に出る。何事もなし。ローマ法王が決まる。コンクラベと呼ばれる催しは意外に早く決まった。アメリカ出身の法王は初めてとのことだが、アメリカのカトリックは少数派だろう。ワップスと呼ばれるアングロサクソン系の人々はプロテスタントで、メソジストとかバプテストとか、いろいろな宗派に分かれている。カトリックを信仰しているのはイタリアのマフィアか、中南米の移民の人だけではないか。大昔、メソジスト系の人々の『メサイア』を歌う会に参加したことがあるが、中産階級の人々はめでたいことがあると必ず教会に献金する。日本は法事の時に坊さんにお布施を渡すくらいのものだ。もっとも神田明神には、日本橋の企業の人々が来て、高額の献金をしてお祓いをしてもらうようだが。

05/10/土
神田明神のお祭り。神輿の宮入は明日だが、本日はそれぞれの町内会を神輿が練り歩く。また武者行列があるというので、三越前まで出向く。まあ、それなりの行列だったが、前に見た山王祭の象のモニュメントの方がインパクトがあった。水曜日に御茶ノ水に戻って数日が経過したが、木曜、金曜と会議があって落ち着かなかった。来週は会議がないので自分の作業に集中したいと思っている。

05/11/日
神田祭。宮入の日。神田から日本橋にかけての二百以上の町内会が神輿を運んでくる。淡路町から昌平橋を渡って神田明神に入り、帰りは聖橋を渡って小川町の方に出る。ぼくが住んでいる集合住宅は、往路と復路の間に位置しているため、一日中、お神輿の掛け声が響いてくる。なかなかいいものだ。みんな元気で祭を楽しんでいる。散歩で神田明神の入口のあたりまで行ってみた。一人で行ったのだが、途中で妻と出会った。妻も祭が好きみたいだ。のんびりとしたいい一日だった。

05/12/月
「女が築いた日本国」を最初から読み返している。3回目くらいまではおもしろい。4回目から話が難しくなっているのでそのあたりから書き換える必要がある。これはいちおう締切のある仕事なので、この一週間で10回目くらいまでをまとめないといけない。

05/13/火
天気がいいと住んでいる集合住宅は陽当たりがよすぎて暑くなる。とくにリビングルームの窓ははめごろしなので風が入らない。危険なので窓が開かないようになっているのか。小さなスリットがあるだけなので、ほとんど換気ができない。エアコンを作動させている。暖房の季節が終わった時に、掃除はしてあるので快適に作動している。ぼくが仕事をしているスペースはまともに西日が当たるのだけれど、エアコンがあれば問題はない。

05/14/水
新宿三丁目のマッサージに行く。人手不足なのか、いくつもベッドのあるフロアなのに、他には誰もいない。フロアの主任と二人きりだ。武蔵野大学の専任になった直後に、足が痛くなった。それで姉の紹介でこのマッサージに通うようになった。スポーツ選手や俳優さんを対象とした施設で、ぼくのような素人は少し割り引きしてくれる。ただ予約は一箇月先でもとれなくなったので、最近は二箇月に一回という感じになっている。座り仕事なので、肩が凝る。腰も痛める。テレビを見る時はなるべく立って動き回るようにしている。突然、Footballの話題になるが、セインツのベテランQBカーが引退を表明した。怪我が治る見込みがないということで決断に到ったようだ。先日のドラフトでセインツは2巡目でタイラー・シャックという選手を指名した。大学に7年もいたベテランQBだ。カーの怪我が治らないことを見越して、即戦力を指名したのだろうが、大学に7年いたということは、この3年間、どこも指名しなかったということで、将来性は期待できない。大ベテランのロジャースの動向がいまだに明らかになっていない。こちらも引退となるのか。スティーラーズはドラフトでQBを指名しなかった。ラッセル・ウィルソンとジャスティン・フィールズを放出して、ロジャースを迎え入れるつもりだったのだろうが、ジェッツはロジャースを放出してそのジャスティン・フィールズを招いた。ロジャースがもはや使い物にならないことを、ジェッツは承知しているのだろう。去年の新人ベニックスの先発が決まっているファルコンズのカズンズに動きがあるかもしれない。

05/15/木
昨日のQBカーの引退は少し驚いた。ここで各チームの先発QBを確認しておこう。Aカンファ東のビルズは不動のエースQBジョシュ・アレン。今年もチーフスの最大のライバルになる。地区優勝は間違いないし、シード1位の最短距離。この地区の対抗はドルフィンズ。タゴバイロアが何度も脳震盪になっている。オフェンスラインの強化ができているか。ジェッツは期待はずれのロジャースを放出して、スティーラーズからジャスティン・フィールズをトレードで獲得。長くベアーズにいたが芽が出なかった。昨シーズンはスティーラーズで活躍したが、ラッセル・ウィルソンの復活で先発の座を失った。あまり期待できない。ペイトリオッツは去年の新人メイで行く。たぶんビリ。北地区はレイブンズの独走になるだろう。ラマ―・ジャクソンが怪我でもしない限り、ぶっちぎりだ。ベンガルズはQBバローが完全復活できるか。スティーラーズは先発QBがいない。本当に誰もいない。ブラウンズも気体外れのワトソンの復活はないだろう。ベテランのフラッコを採ったので、そこそこ勝てるのではないか。ドラフトで新人2名。まあ、来年だろう。南地区は3年目のストラウドを擁するテキサンズが優勝候補だが、ドラフト1位指名のQBウォードが活躍すればタイタンズにも期待できる。攻守の二刀流ハンターを採ったジャガーズも、もはやベテランとなったローレンスが活躍すれば可能性はある。コルツも3年目のリチャードソンで勝負したいところだが、2シーズン連続で途中でリタイアした。ただ今年はジャイアンツの先発だったダニエル・ジョーンズが控えにいるので、この地区は4チームが横並びになるかもしれない。西地区はチーフスの独走は揺るがないが、ハーバートのチャージャーズ、ボー・ニックスのブロンコス、それにシーホークスの先発QBスミスを獲得したレイダーズもあなどれない。Nカンファは東地区が激戦になる。スーパー覇者のイーグルスはQBハーツが万全。昨シーズン旋風を巻き起こしたコマンダーズのダニエルスが今年も活躍するだろう。カウボーイズのプレスコットも活躍しそうだ。ジャイアンツはドラフト2番人気のダートをゲット。ベテランのラッセル・ウィルソンもいるので、地区優勝争いに割って入る可能性もある。北地区はライオンズがゴフで独走する。去年はダーノルドが活躍したバイキングスは去年の新人マッカーシーで勝負。パッカーズのラブも活躍しそうだ。ベアーズは去年のドラ1QBケイレブ・ウィリアムスの活躍に期待。どのチームにも可能性はあるがライオンズが抜け出すだろう。南地区はバッカニアーズはもはやベテランのメイフィールド。安定感がある。ファルコンズはカズンズに見切りをつけて去年の新人ベニックスにかける。パンサーズの3年目ヤングは今年もダメだろう。セインツはカーが引退。2巡目で指名したシャックに期待するしかない。ここは毎年、混戦になる。負け越しでも地区優勝という、レベルの低い接戦になりそうだ。西地区もレベルが低い闘いになる。ラムズのスタッフォードは年齢から来る衰えが心配。シーホークスはスミスを放出してバイキングスからダーノルドが採ったがチームになじめるか。カーディナルスは大昔のドラ1QBマレーでいくしかない。49ナーズもパーディーで行くしかないが、他の選手の高齢化が気になる。去年と同様、チームがガタガタになる危険性がある。スーパーボウルの顔合わせは、Aカンファはチーフスかビルズ、Nカンファはイーグルスかライオンズ。去年のあまりかわらない。チーフスもオフェンスラインの強化がうまくいけば、レシーバー陣が揃っているので、優勝候補であることは確かだが、イーグルスは今年も強そうだ。

05/16/金
妻が湯島天神に行くというので同行する。ぼく一人なら歩いていくのだが、文京区の巡回バスに乗る。巡回バスなので一方向にしか進まない。自宅の近くの新御茶ノ水のバス停から湯島天神入口までは真っ直ぐの最短距離だが、帰りは後楽園まで行ってしまうので歩いた方が早い。合格祈願の祈祷を受ける。スペインの三女が工学部を受験する。バイオリンの上級者で、バルセロナの音楽院という話もあったのだが、本人の決断で工学部に決めた。決断の時期が遅れたのであまり勉強していないようだ。神頼み。長女と次女の大学受験も祈祷を受けた。名古屋の孫2人の中学受験でも祈祷を受けて、4勝0敗。合格率百%。菅原道真は期待に応えてくれる。そういえば『菅原道真』という本も書いた。ぼくはキリスト教徒が神さまを信じるようには神さまを信じていないが、日本という国土を愛しているので、国土と密接につながった神社というものも大事に思っている。受験というものは本人のがんばりも大切だが、運もつきまとうので、神に祈るしかない。自分の大学受験は60年ほど前のことだが、とくに神に祈ることもなかった。受験勉強もまったくしなかった。高校を1年休学しているので、合格してほしいとは思っていたが、早稲田の文学部が第一志望で、すべりどめは教育学部。法政を受けることも考えたのだが、兄が「やめておけ」と言ったので、そんなものかなと思った。手続きがめんどうなので、早稲田だけにした。同学年の某有名作家は、東大に2度落ちて早稲田に入ったようだが、その点、ぼくは受験勉強もせずに早稲田に入ってので、少ない努力で望みどおりの結果を得た。というか、早稲田の文学部は、英語、国語、社会の三科目で、社会は倫理社会を選択できたので、勉強する必要がなかった。鎌倉仏教の六人の僧侶を答えるとか、ベーコンの四つのイドラを挙げよとか、そんな簡単な問題だった。英語は自信がなかったのだが、『試験に出る英断語』という新書サイズの本を30ページほど読んだら、英文がすらすら読めるようになった。この本の作者にいまでも感謝している。でも当時の文学部の合格率は36倍とか、そんな感じだった。教育学部が32倍だった気がする。団塊の世代だから、そんな感じだった。卒業までに5年かかったが、その後、15年間、早稲田の先生をつとめることになるとは、思いもしなかった。

05/17/土
朝から雨。散歩にも行かず。『女が築いた日本国』は16回まで書いた。月に4回更新するとして4ヵ月ぶんになるのでこれで小休止。1回10枚弱なので、150枚くらい書いたことになる。『日本武尊』のリライトに戻る。まだ第二章の半ば。ようやく主人公のヤマトオグナが登場した。覇気のないニヒリスト。この人物がやがて英雄になっていく。原典では主人公としての魅力が不足していた。もっと強烈な個性がほしい。

05/18/日
水道橋まで散歩。いつものコースなのだが、今日は足を伸ばして水道橋の後楽園口の方まで行ってみた。ぼくの26歳から28歳くらいまで勤めていた会社がそのあたりにある。個人経営の4階建ての小さなビルで、5階にオーナーが住んでいた。そのビルの1階と2階を借りていた。いまでいえばブラック企業で、勤め始めてから3ヵ月くらい休日がなかった。社員は十数名。組合を作ろうと社長と交渉しているうちに、残業手当がつくようになったのだが、ぼくはディレクターというものに昇格して、結局、残業手当はつかなった。それでも給料は破格に上がった。おもしろい会社だった。50年前のことだ。ずいぶん昔だ。長男が生まれた時、ぼくの父親は還暦だった。そのころの父親の50年前といえばまだ子どものころだ。50年前にすでに社会に出て働いていたというのは、考えてみればすごいことだ。

05/19/月
文藝家協会で国立国会図書館との協議会。ぼくは昔、国会図書館の出版関係者の定期協議会のメンバーだった。その時の出版社の代表だった人が文藝家協会の事務局長になってくれたので、文藝家協会の代表として出席してもらっているので、国会図書館に行くこともなくなったのだが、説明したいことがあるというで、文藝家協会で会うことになった。いろいろと勉強になった。

05/20/火
深川ギャザリアへ行った。何も買わず、館内をただ散歩しただけ。今月は前半はひまだったが、後半はスケジュールがつまっている。まあ、大学の教員をやっていたころに比べれば楽なものだ。

05/21/水
文藝家協会でキャスティング委員会。心配していたのだが、山内マリコさん、綿谷りささんなどの出席もあり、わいわい議論する雰囲気があって、主要な役の候補者がすぐに決まった。あとは事務局と翻訳の鴻巣さんに任せればいいので、こちらの役目は終わった。100周年記念の文士劇の公演は来年の5月で、近づいてきたら宣伝とか、チケットの印刷などの業務もあるが、早めに計画を立てて事務局と打ち合わせをすればあとは事務的な進行になる。稽古に立ち合ったり、打ち上げの手配などもあるだろうが、とりあえず当分はこの件は事務局に任せておけばいい。天気予報のとおりの真夏日。外を歩くのはたいへんだった。

05/22/木
高齢者になると未来のことをあまり考えなくなる。どうせ何年か後にはこの世からいなくなる、と思うと、科学技術とか、福祉社会とか、環境問題とか、世界平和とか、十年、二十年後のことについて考えるのは、もういいだろうという気がしている。ただ、百年後、千年後のことについては、時に考える。考えてもしようがないのだが、考えないわけにはいかないという気がしている。で、未来のことなどどうでもいいとは思いつつも、それでもテレビのニュースは見ている。アメリカのトランプの問題は改めて考えるとして、いまの日本の政局で問題になっているのは、米の価格と、年金の問題だ。老人なので、米はあまり食べないのだが、弁当というものが好きなので、米についてはそれなりに考えている。年金も貰っているので、どちらの問題は、自分と直接に関わっている。米の問題は、これまでの大臣が無策というか、役人がバカだったのでどうしようもなかった。備蓄米はばらまいて価格を下げようとしているのに、入札をして高値で買わせる。これでは価格が下がるはずがない。何かやりました、ということのために何かやっているという感じだった。価格を下げるなら、末端の米の販売店に卸している問屋に、かならず米屋に分配しろと命じて、米を届ければいい。スーパーなどにも直接届ければいい。そういう簡単なことができない仕組みを作ってしまっているなら、その仕組みを解体するしかない。新しい大臣がそういうことをちゃんとやれるか。うまくやれば政治家としての人気が出るので、やるのではないかと期待している。それをつぶそうとする勢力もあるのだろうが、そういうつぶしあいをするようであれば、自民党そのものが解体するしかないだろう。年金については、ぼくが就職して社会に出た当時は、いまの賦課方式ではなく、積立方式だった。団塊世代というカタマリが存在しているのだから、とりあえず積立をして、その世代が老人になった時に備えるというのが、当たり前の考え方だ。ところが、その団塊世代の親たちは、ろくな年金制度もない時代の人たちだった。だから彼らは年金を積み立てていな。自分たちの積立金がない世代の人々が老人になっていたので、政府は思わず、団塊世代が納付した積立金に手を出したということだろう。賦課方式というのは、若い世代が納付した積立金を、そのまま老人に回すという、一種の自転車操業なのだ。その若い世代、すなわち団塊世代がいま老人になっている。積立方式なら、団塊世代が積み立てた原資がすべて残っている。団塊世代のなかにも高齢者になる直前に死んでいく人もいるので、そのぶんを長生きした人に回せばいい。積立方式のままならそれで充分回るはずだったのを、賦課方式にして消費してしまったので、老人になった団塊世代に回す原資が枯渇しているということだ。これは、国が税金を投入して補完するしかない。税金が足りないというなら、団塊対策としての特別の国債を発行すればいい。この国債に限っては相続税を免除するということにすれば、豊かな団塊世代はこれを購入するだろう。それを貧窮している団塊世代に回せばよい。団塊世代は人数が多い、その世代だけでお金を回しておいて、何とかやりすごせば、そのうち団塊世代はすべて死に絶える。それですべては解決する。国債が増えたままになってしまうだろうが、相続税対策の制度を持続すれば、国民と国債を買い続けるだろう。なかには子どものいない人もいる。そういう人が死んだ場合に、遠い親戚などに相続させずに、すべて国有財産にすれば、そのうち国債は回収できる。AIにこういうモデルを作らせればいい。

05/23/金
昨日は米と年金のことを考えたのだが、あまり楽しくなかった。考えて楽しいのは、宇宙の始まりとか、そういうことだ。宇宙は138億年前に始まったといわれている。これはハップルが遠くの星ほど赤色変移していることに気づいて、宇宙の膨張説を唱え、およその膨脹率がわかったため、逆算すると138億年前は、小さな1点に集中していたといわれるようになった。相転移などと呼ばれる現象は一瞬のことなので、138億年という数字は間違いないといわれていたのだが、少し前に見たNHKの番組では、ハワイの巨大望遠鏡、ハッブルやウェッブの宇宙望遠鏡、チリの電波望遠鏡などの観測によると、130億年前の宇宙に、とても8億年前にできたとは思えない巨大銀河があることがわかった、というようなことなので、この138億年という数字は変わるかもしれない。しかしとにかく宇宙は小さな特異点から始まったようなのだが、そこに虚数時間を組み込むと、特異点が解消するらしい。しかし虚数時間などというものはイメージ不能なので、とにかく1点から膨脹が始まったということだろう。不確定性理論によって、真空に何もないということはなく、観測されない状況では真空に粒子と反粒子が生まれて、すぐに対消滅するという振動現象がつねに起こっているということなので、そこにエネルギーがあれば粒子が飛びだしてくる、というようなことはイメージできる。粒子はヒモなのだということも、まあ縄跳びのヒモが高速に回転すれば球状に見えるというイメージで把握できる。劉慈欣の『三体0球状閃電』でも、ヒモ状の巨大原子が登場した。ただ宇宙の特異点ゼロというのは、考えてもしようのないことで、地球上のアミノ酸ができた時とか、DNAができた時とか、そのあたりから考え始めた方がイメージがふくらんでいく。生体機械としての人間を考えるよりも前に、人の細胞にミトコンドリアが取り込まれていることの不思議みたいなものにも心を打たれる。ともかくそういうことの全体を、いまわれわれが把握してイメージしているということは、すごいことだと思う。

05/24/土
今週は会議が多かった。昨日も一日に2回会議があった。週末はのんびりできると思っていたのだが、名古屋の嫁さんと長男が泊まりにきた。明日の日曜日に筑波で次男がロボット大会に出場するらしい。次男は長男とともにレゴマスターというテレビ番組で優勝しただけでなく、一人で作品を送った大阪のコンテストでも最優秀に選ばれた。ピアノも上手で、先日浜松に来た時に、ベートーベンの「悲愴」を演奏してくれたのだが、アンコールを頼むと、NHKの『バタフライエフェクト』のテーマを弾いてくれた。で、今回は6人のチームでロボットの大会に出るのだという。とても個性的で繊細なキャラクターで、その多才ぶりは、何ともうらやましい限りだ。

05/25/日
こちらはいつものように10時に起床したので、嫁さんと長男はすでに出かけていた。嫁さんは昨日も筑波に出向いて、ロボット大会の練習を見ていたようで、本日も試合の観戦に行ったのだが、長男は昨日は東大の本郷の大学祭の物理科学関係の展示と講演に参加し、本日はつくば大学の展示を見に行った。科学に興味があるようで、専門的な領域に関心が移っている。レベルが高すぎて受験勉強の役には立たないようなことに興味をもってしまうと、入試が心配だ。ぼくの高校時代もそんな感じで、文学、哲学、宗教、存在論みたいなものに興味をもってしまうと、受験勉強というのが、子どものゲームのような感じられた。東京に行く新幹線のなかで、うすっぺらい漢文と古文の受験参考書を読んだだけで受験をした。しかし長男が目指しているのは国立大学系なので、センター試験も受けないといけないのだろう。武蔵野大学の教員をしていたころ、センター試験の監督をしたことがある。英語は何やら小さな装置を配ってリスニングの試験があって、その装置の説明をしなければならなかった。長男はそんな説明がちゃんと聞けないタイプの人間なので、そこのところが心配だ。スペインにいる三女は、これからスペインのセンターテストのようなものを受ける。スペインではそのテストの点数ですべてが決まるらしい。大丈夫か。

05/26/月
近くに薬屋がオープンした。御茶ノ水は病院が多く、薬局も多い。到るところに「処方せん」という看板が出ている。大阪弁だと「せん」というのは、「しない」という否定の言葉だから、「処方しない」という意味になる。「処方箋」の「箋」というのは手で書いても書きにくいけれども、「便箋」という言葉もよく使うので、常用漢字に入れてほしい。「処方せん」の薬だけを売る小さな店も多いのだが、大きなチェーン店もあって、そこでも「処方せん」の看板を出している。ぼくは医者から貰っている薬の他に、漢方薬や皮膚の塗り薬、歯磨きなどを購入するので、小川町の交差点近くのドラッグストアのカードをもっている。9のつく日は10%引きになるので気をつけている。オープンした店は小川町と淡路町の間くらいだが、靖国通りを挟んだ向かい側にも大きなチェーン店があり、淡路町の先にも別のチェーンの店がある。住んでいる集合住宅の別棟にも小さいながらチェーンの系列の店がある。どこでも売っている薬は同じなので、どこで買ってもいいようなものだが、オープンした店は開店キャンペーンでしばらく15%引きだというので、中に入っていると品揃えも充分だった。9のつく日に時々薬屋に行くので、薬はいっぱい確保している。緊急に必要なものはないのだが、あと何年かは生きているだろうし、老人になるといろいろ薬の世話になることが多いので、常備薬を買うことにした。レジにもっていくとカードを作ってくれるというので、申し込み用紙に住所などを記入した。ただオープンのセールが終わると、シニア割引でも5%引きだというので、これからは行かないだろうと思ったが、まあとりあえずカードを作ってもらった。アプリを入れるとさらにポイントがつくらしいのだが、ぼくはスマホというものは信用していないので、カードだけにとどめた。

05/27/火
今日は消防点検の日だ。希望日を電話で予約するシステムなので、この日を予約してあった。ぼくと妻の両方が在宅している日を選んだ。警官のふりをして強盗が来るということもあるので、消防署も信用できない。高層住宅なので各部屋に煙探知機やスプリンクラーがある。50年以上も前のことだが、大学の学生会館を占拠していた時、アホな学生がスプリンクラーをライターの火であぶったことがあった。ぼくは夜は自宅に帰っていたのでその瞬間は目撃していないのだが、翌日行ってみると、床が水浸しになっていた。あれはちゃんと作動するのだ。各種の装置が荷物などで塞がれていないかをチェックするだけなので、消防署員が入ってきて5分ほどで完了するのだが、部屋に他人が入るのはこの消防点検と、下水配管の掃除の日だけなので、とりあえず約束した時間が迫ってくるとやや緊張する。あと窓ふきの日というのがある。これは部屋のなかに人が入るわけではないのだが、窓ごしに目が合ったりするとコワイので、その日は朝からすべての窓のカーテンを閉めておく。そういえば昔、一軒屋に住んでいたころ、煙探知機を各部屋に付けるように指導されたことがある。ホームセンターに行って装置を見たのだが、取り付けるのがたいへんそうで躊躇しているうちに、引っ越しとなった。その点、集合住宅は最初から必要な装置は完備しているのでありがたい。老人用に風呂場には把手がいくつもついている。引っ越した直後は、こんなものは必要ないと思ったのだが、いまでは重宝している。

05/28/水
浜松の仕事場の電話はかなり前に解約した。ケータイがあれば問題はない。ただ御茶ノ水の自宅はそのまま電話を契約している。各種の住所録にも記載されているので解約することはできない。自分のケータイに電話してくるのは、妻だけだ。ただSARTRASの役員には伝えてある。緊急連絡というのが時々ある。で、自宅の電話は親機から子機に電波で送信するもので、子機には電池が入っている。子機を置くスタンドに戻すと充電される。妻が使っている時に、電池が切れた。スタンドに戻してもなかなか充電が完了しない。こういう時は電池が弱っているので、交換しないといけない。パソコンのなかにトリセツが入っているので、電池の種類を確認してアマゾンで購入した。こういう時にアマゾンや楽天は便利だ。そうでなければ販売店まで行かないといけないが、どこで買ったか忘れてしまったし、古い機種なので電池も置いてないだろう。明日には届く。子機は2台あるし、親機もあるので支障はない。

05/29/木
電話の電池が届いた。無事に交換できた。高齢者になるとこういう操作も不安になる。無事に交換できてよかった。『日本武尊』は3章までが終わった。全体は10章なので30%のところ。ここまではうまくいっている。

05/30/金
日本点字図書館理事会。もう20年以上、理事を務めている。その前は評議員だったから、点字図書館とは長いつきあいだ。いずれ自分も目が見えなくなるだろうから、こういう組織は大事にしたいと思っている。今年になって退任された理事がいて、ついに一番古い理事になった。長く議長もつとめている。朝の豪雨は止んだが、高田馬場の地下鉄から出ると少し雨がふっていた。文藝家協会の理事会はいまはぼくは副理事長なので事務局につめているのだが、ZOOM併用になっている。他の会議はすべてZOOMで参加する。SARTRASは年に6月の理事会だけは直後に懇親会があるのでリアルな会議だが、ふだんはZOOMだ。ということで、この日本点字図書館の理事会だけはつねにリアルな会議となる。前理事長、理事長、館長すべて目の見えない方なので、今後もZOOMにはならないと思う。

05/31/土
昨日の「チコちゃん」で、「金はどこから来たか」という問題をやっていた。「宇宙から来た」というのが答え。いっしょに見ていた妻が驚いていた。あらゆる物質は宇宙の彼方からやってきたのだが、鉄までの元素は、近くで出来た可能性がある。いまある太陽では、水素がヘリウムに融合する核融合反応で熱と光を発散しているのだが、核融合でできるのは原子番号26番の鉄までだ。いまの太陽も、鉄を生産する過程で爆発して吹っ飛んでしまう。吹っ飛んださまざまな元素がやがて重力で集まってきて、また太陽のようなものができる。従っていま地球にある鉄は、先代の太陽が作ったものと考えられる。では金などの重元素はどうやって作られるかというと、途方もなく巨大な星が爆発して、しの芯の部分が凝縮して、白色矮星よりも密度の高い中性子星になった時に、その凝縮の圧力によって核融合が進み、鉛やウランなどが合成される。鉛の手前に白金や金がある。そうした重金属が、中性子星の爆発によって宇宙のチリとして拡散し、やがて重力によって集まってくる。これが太陽のなどの恒星の周囲で渦となり、やがて凝縮して惑星ができる。途方もないドラマだ。金はふつうは地底のマグマのなかにあるのだが、温泉などで地上付近に出てくることがある。佐渡島はその形を見ると、日本の海嶺が隆起して接触しているような地形になっている。凝縮と裂け目が共存しているような地形で、そこに温泉がわいてきて、金が貯まったのだろう。こういう地形は日本の各地にあるし、海底にもある。まだ金を採取できる可能性はあるが、いまは携帯電話などの金を回収した方が安上がりらしい。さて、今月も月末となった。今月は会議が多く、やや集中力がそがれたが、来月はもっと厳しいスケジュールだ。三鷹サテライトの4回の講座を引き受けたので火曜日がすべてつぶれる。まあ、楽しみでもある。



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