卵焼きをはさんでマヨネーズを塗り、サンドイッチにして食べます。1958年にフランスから独立したギニアでは、パンと言えばフランスパン。60cm程度のフランスパンはラベのパン屋さんで1本1000ギニアフラン、20円ぐらいだったかな。パンにはさむ具材は日によってトマトやレタスのサラダ、アボカド、ポテトなどに変わります。焼き立ての温かいパンは本当においしいです。飲み物はコーヒーにたっぷりとミルクと砂糖を入れたカフェオレ。
卵焼きをはさんでマヨネーズを塗り、サンドイッチにして食べます。1958年にフランスから独立したギニアでは、パンと言えばフランスパン。60cm程度のフランスパンはラベのパン屋さんで1本1000ギニアフラン、20円ぐらいだったかな。パンにはさむ具材は日によってトマトやレタスのサラダ、アボカド、ポテトなどに変わります。焼き立ての温かいパンは本当においしいです。飲み物はコーヒーにたっぷりとミルクと砂糖を入れたカフェオレ。
つい先日、達つぁんと日本にあるギニア大使館へご挨拶のためお邪魔した際、運良く大使閣下とお話をさせていただく機会に恵まれました。閣下はドンゴル村にかなり近い土地の出身で現地の話で盛り上がりました。そして達つぁんは閣下にポツリと言いました。
「マーフェ、 ノウェリ!」
すると閣下は「ノウェリ!ノウェリ!マーフェ、ノウェリ!」と満面の笑みで同じ言葉を返してくださいました。そうです、閣下もシェリフらと同じプル族だったのです。
現地での生活を体験していること、わずかでも民族語をしっていることがこんなにもコミュニケーションを潤滑にするものなのかと改めて実感したものです。
昼と夜はこれぞまさにギニアの家庭料理といったものをいただきます。主食はお米、もしくはフォニオ。これはお米よりも粒がかなり小さい雑穀です(写真⑤)。これらを炊いて、マーフェと呼ばれるスープをかけて食べます。ボクらにとってはマーフェこそがギニア食の代名詞。食べない日はないと言っても過言ではありません。ヤシ油と具材と香辛料を煮込んで作るマーフェにも様々なバリエーションがあります。
●マーフェ・ティガ ピーナツペースト
●マーフェ・ハーコ・プーテ さつまいもの葉
●マーフェ・テウ・ゲルト 鶏肉
●マーフェ・テウ・ナゲ 牛肉
●マーフェ・リッイ 魚
●マーフェ・ターコ オクラ
画像があって且つボクの記憶に残っているだけでもこんなにバリエーションがあるのです(写真⑥〜⑫)。さらに、香辛料により味付けが異なるものや、お米かフォ二オの違いもあるので、毎日食べていても飽きないのです。⑥と⑧の画像で確認できるプチトマトのような赤い物体は「ニャマコ」と呼ばれているもの。タバスコみたいな辛い味付け用の食材。これによって別味も楽しめるし、言葉の響きもオモシロイので初めてのギニア体験ですぐに覚えてしまいました。
マーフェは、1つの容器を囲んでみんなで一緒に食べます(写真⑬)。やはり出来立ては格別においしくて、達つぁんもボクもひとくち食べては思わず、
「ノウェリ(うまい)!」
とプラール語で言葉を発してしまいます。おいしいものをみんなで一緒に食べられる充実したひとときなのです。
達つぁんの活動を記録すべくギニアに同行するようになってから、日本でよく聞かれるのが「現地では何を食べてるの?」ということ。首都コナクリに滞在する場合は中華や韓国料理などのレストランでとることもあるのですが、ほとんどの日をシェリフが住む町ラベや井戸を掘ったドンゴル村で過ごすために基本的にはギニアの家庭料理をいただいています。朝食は大体こんな感じ(写真①②)。
シェリフの家では朝7時頃に起床した女性陣が火をおこしてから食事の準備を始め、食べ始めるのは8時すぎとなります。 シェリフと家族とボクらで青空の下、朝食を楽しみます。この時に第5回のコラムで触れたような彼らの民族の言葉であるプラール語を覚えたかどうかのチェックがあったりするのです。
食後、女性陣は洗いものを終えると、あまり休む間もなく昼食の準備に取りかかります。調理場は屋外であることが多く、まるでバーベキューのよう(写真④)。