1997/02/19(WED)

1997/02/19(WED)



久しぶりに清水鱗造氏にTEL。インターネットに入れたいので何かエセーでも書きませんかと誘われた。エセーだったらこうして毎日書いているので、それこそ渡りに船なのだが、はたしてこんなものが人の目に晒して通用するものかどうか。清水氏は大丈夫と言ってくれるのだが、とにかく今度、目を通してもらうことにする。これはエセーというよりは日記の色が濃いものだし、薬で指がおぼつかないこともあって、わたしとしては、はっきり言って、極めて心許ない。
そこで、改めて思うのだが、わたしのこの書き物は、やはりどうみても、エセーとは言い難い。これは、強いて言えば日記、日録の類で、どうして、こんな客観性に乏しいものをエセーと銘打ったのか、自分で自分が分からない。で、わたしとしては、どちらを書こうとしたんだろう。たぶん、かなり曖昧なところを狙っていたのではないだろか。思えば、エセーと日記とはまったくの別物であるはずだ。それをなぜ境界を曖昧にしたままで平然としていたのか、われながら呆れる。まあ、もっとも、言われてみれば、これを日記と言いきることにも若干の躊躇はある。だが、それにしてもエセーなどと言えた代物でないことだけは確かなことだ。
要するにこれは、エセーであるには客観性がなさすぎ、日記であるには事実に即した記述がなさすぎる、というわけだ。このどちらかをきちんとすれば、エセーか、日記か、いずれかとして成立するだろう。

コンクリートの路面に映る電柱、電線、樹木の影。いきなり目を射てくる生け垣の枝葉の照り返し、そして車道のビルの窓ガラスの鋭い反映。まだまだ寒い。強風の芯には、木枯しの名残りさえ感じさせる。そして、目を戻せば、路面を彩る影の交錯のなかに、わたしとナーダの上体の影。

きょうで放射線治療の全行程が終了した。目星い結果が得られたのかどうか、心許ない。とりあえず、一週間、待ってみよう。これだって別に意味があるわけではないのだ。ただ、前回の時、治療が終わって一週間ほどしてから、水を飲んで試したら、予想外に通りが良くなっていたので、今回もそれにあやかろうというだけのこと。

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