1997/02/16(SUN)

1997/02/16(SUN)



珍しく雨模様である。窓を開けて確かめてはいないが、窓外に雨の気配がある。
雨の気配は、暖かいというのでもなく、冷たいというのでもない。
決して寒いというほどのものではないのだが、水の感触がどこかにあるのだ。
目が覚めてすぐに窓外に感じたのがそれだった。いまはどうやら、雨は上がっているようだ。こうしたことを、事細かに記すというのは、いまのわたしにとり、どうなのだろう。感じたことをできるだけそのままに記そうとしてはいるのだが、いまのわたしは、自分の体にあまりにも拘泥しすぎているので、こうしたことは、いわば、枝葉末端扱いになってしまう傾向にある。しかし、自然の佇まいについて、繊細に記すというのは、自分の体に拘ることと同じレベルにあるはずなのだ。体がどんなに酷い状態になっていても、自然の運行については、やはり、常に繊細、鋭敏でありたいものだ。
いや、むしろ、体の状態が苛酷なものであればあるほど、自然の営みに対しては、繊細になるのではないだろうか。

しかし、それにしても、わたしは、いったい誰に向かってこうしてキーを打ち続けているのだろうか。それが、一般に「読者」と称するものでなかったとしたら、なんという空しい行為であることだろう。「読者」といって必ずしも「朝日新聞の読者」というのでなくても、少なくとも何百人かの人々が想定されていなければ、書くことに何の意味もないのは明らかだ。書くというのは、徹頭徹尾、対他的な行為だ。書くことを選んだ人間は、もうそれだけで、他者を選んだのであり、敢えていえば、社会を選んだのだとさえいえる。だから、この日記は、出版されるべきものだ。詩集とまったく同じ感覚で出版されるべきである。ということは、出版に値する内容をもっていなければならない。つまり、客観性をもっていなければならない。日記であるが故の主観性もむろん含んでいて結構なのだが、その時は、読ませる力が要求されるだろう。主観が通るのは、文章の力が十全な時に限られるからだ。読ませてそして納得させなければならない。

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夏際敏生日記 [1997/01/21-1997/02/22] 目次| 前頁(1997/02/15(SAT))| 次頁(1997/02/17(MON))|