作詞 清水みのる 作曲 倉若 晴生 唄 田端 義夫 |
1.波の背の背に ゆられてゆれて 月の潮路の かえり船 霞(かす)む故国(ここく)よ 小島の沖じゃ 夢もわびしく よみがえる 2.捨てた未練が 未練となって 今も昔の 切なさよ 瞼(まぶた)合わせりゃ 瞼にしみる 霧の波止場の 銅鑼(どら)の音 |
3.熱い涙も 故国に着けば 嬉し涙と 変るだろ 鴎(かもめ)ゆくなら 男のこころ せめてあの娘(こ)に 伝えてよ |
1946年(昭和21年)
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倉若 晴生(くらわか はるお 1912〜1982)
新潟県糸魚川市本町生まれ。本名貞司。商家で生まれた晴生は幼少の頃から親に買ってもらった ハーモニカ(当時1円:大正初期では大金)に熱中し、東京府立科学工業学校時代には教師も呆れるほどであったという。 後、作曲家江口夜詩のもとで作曲の勉強をし、レコード会社で作曲が採用、「ポリドールレコード専属作曲家」となった。 歌手田端義夫とのコンビでヒット曲を出し、昭和14年(1939)の「島の船歌」や昭和21年(1946)の「かえり船」は有名。 作曲は千曲を数える。70歳没。 (http://www.city.itoigawa.niigata.jp/edu/bunka/itoigawazinbutu/itiran6.7.8.htmによる) なお、作詞者 清水みのるについては 「かよい船」 を参照のこと。 |
《蛇足》「かえり船」の歌碑、引揚地の佐世保・浦頭に建立
戦後、海外からの引き揚げ者が故郷での第一歩をしるした佐世保港浦頭の地に2001年1月22日、当時の大ヒット曲「かえり船」の歌碑がお目見えした。 かえり船は1946年発表された歌手田端義夫さん(81)の代表曲。 歌碑は佐世保市針尾北町の浦頭引揚記念平和公園に建立。歌碑の制作費約100万円は寄付や市の助成などで賄われた。船をかたどった独特のデザインで、石材の一部は地元産を使った。 除幕式には県内外から約500人が出席。歌碑建立実行委員会の田中瑞門会長は「かえり船は引き揚げ者に勇気と希望を与えてくれた」とあいさつ。田端さんは「戦争は絶対に繰り返してはいけない。平和を願い、命ある限り、かえり船を歌い続ける」と語り、かえり船を披露。目を潤ませ、口ずさむ出席者の姿もあった。 佐世保港浦頭は舞鶴や博多などとともに海外にいた民間人や軍人、軍属の引揚げ港の1つ。45年から50年までに、引き揚げ者総数の2割に当たる139万6468人が上陸したとされる。 (http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kako/200001/23.htmlによる) |