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青い山脈
映画「青い山脈」主題歌
作詞 西条八十
作曲 服部良一
唄  藤山一郎
   奈良光枝
1.若くあかるい 歌声に
  雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
  青い山脈 雪割桜(ゆきわりざくら)
  空のはて
  今日もわれらの 夢を呼ぶ

2.古い上衣(うわぎ)よ さようなら
  さみしい夢よ さようなら
  青い山脈 バラ色雲へ
  あこがれの
  旅の乙女に 鳥も啼く
3.雨にぬれてる 焼けあとの
  名も無い花も ふり仰ぐ
  青い山脈 かがやく嶺の
  なつかしさ
  見れば涙が またにじむ

4.父も夢見た 母も見た
  旅路のはての その涯の
  青い山脈 みどりの谷へ
  旅をゆく
  若いわれらに 鐘が鳴る
 
1949年(昭和24年)


●映画「青い山脈」
製作=東宝=藤本プロ 1949.07.19  白黒
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監督 ................  今井正
脚本 ................  今井正 井手俊郎
原作 ................  石坂洋次郎
音楽 ................  服部良一
出演 ................  原節子 池部良 伊豆肇 木暮実千代 龍崎一郎 若山セツコ 杉葉子
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なお、「青い山脈」は評判が高く、続編が直ちに作られただけでなく何度もリメイクされている。その状況は 以下の通り。

1949.07.26 続青い山脈 東宝=藤本プロ 今井正
 出演 ................  原節子 池部良 伊豆肇 木暮実千代 龍崎一郎 若山セツコ 杉葉子
1957.10.27 青い山脈 新子の巻 東宝 松林宗恵
 出演 ................  司葉子 雪村いづみ 宝田明 太刀川洋一 久保明 草笛光子 淡路恵子 志村喬
1957.11.19 続青い山脈 雪子の巻 東宝 松林宗恵
 出演 ................  司葉子 雪村いづみ 宝田明 太刀川洋一 久保明 淡路恵子 志村喬
1963.01.03 青い山脈 日活 西河克己
 出演 ................  吉永小百合 浜田光夫 高橋英樹 田代みどり 芦川いづみ 二谷英明 南田洋子 松尾嘉代
1975.08.09 青い山脈 東宝映画 河崎義祐
 出演 ................  三浦友和 片平なぎさ 田中健 星由里子 村野武範 中野良子
1988.10.15 青い山脈 ’88 キネマ東京=ビデオ東京 斎藤耕一
 出演 ................  館ひろし 工藤夕貴 柏原芳恵 野々村真 梶芽衣子 加賀まり子 小松方正 笈田敏夫
            野際陽子 池部良


奈良光枝(1923-1977)
 弘前出身。兄の知己、明本京静の薦めで東洋音楽学校卒業。健康を害してクラシックを断念し、昭和15年にデビュー。 17年に古賀政男門下となる。一時、帰郷するが、戦後の21年に浅草でステージに出ていたところを、映画監督の千葉泰樹によって 「或る夜の接吻」の主演に抜擢され、「悲しき竹笛」がヒット。その後も、藤山一郎とのデュエット「青い山脈」や「赤い靴のタンゴ」 などがヒットした。NHKの音楽部長と結婚、歳を経ても物静かで清楚な美人であったが、早逝した。

昭和21年   悲しき竹笛(近江俊郎)
昭和24年   青い山脈(藤山一郎)
昭和25年   赤い靴のタンゴ
(http://www.geocities.co.jp/Bookend/1100/music/singer2/b25.htmlによる)
 なお、映画「青い山脈」(原作者 石坂洋次郎)の主題歌は、この「青い山脈」のほかに 「恋のアマリリス」 がある。

石坂洋次郎(1900-1986、青森県弘前市生まれ )
    昭和8年、はじめての長編「若い人」が当時の文壇で絶賛され、作家石坂洋次郎の名前は、その新鮮な題材とみずみずしい文体 とともに広く知られるようになった。
 その後次々と発表した作品が、若い世代に好評のうちに迎えられ、大衆に愛される作家としてその地位を不動のものにした。 戦後まもなく発表された「青い山脈」は、新たな世界への期待を描いて、疲れ傷ついた人々のこころを癒し、新生日本の代名詞にまで なった。多くの長編小説が繰り返し映画化、ドラマ化されたことでも、作品の時代をこえた人気のほどをうかがい知ることが できる。

 慶應義塾大学文学部を卒業したのち郷里に戻り、弘前高等女学校の国語教諭になるが、このとき<事件>が葛西善蔵によって起こされた 。石坂は、葛西を畏敬していたようで、それに甘えてか、葛西は薄給の新米教師を頼って弘前の旅館に滞在、 当然のことのように宿泊費・酒代のツケは石坂に廻され、その取り立てに<玄人女>が女学校に乗り込んでくるという騒ぎになり、 ついに彼は秋田の横手高等女学校に転勤というはめに陥ったのである。
 大正15年、26歳で赴任した洋次郎が13年にわたり横手高等女学校の国語教師として教員生活を送った横手は、「山と川のある町」など、 多くの作品の舞台として、その文学をはぐくみ開花させただけでなく、人間洋次郎に大きな影響を与えたようだ。 横手高女に在勤中、「三田文学」に掲載された処女作、「海をみに行く」が注目され、次いで「若い人」で第一回三田文学賞を受賞する。 戦争へ傾斜しつつある暗欝な時相を跳ね返すかのように、際だって明快な語り口で輪郭のくっきりした新しい人物像を描き、 これが単行本として刊行されるや、幅広い読者層から圧倒的な支持を受けた。

 「若い人」で作家としての確固たる地位を築いた石坂は、戦後間もない昭和22年の新聞連載小説「青い山脈」で日本中がわき返る ような人気を博し、そのあとも、「石中先生行状記」、「陽のあたる坂道」、「あいつと私」など次々にヒット作を発表。 上質のユーモアにくるまれた友情、恋愛などの<青春もの>は、飢餓、混沌の影が覆う戦後の地面に射した、ひときわ明るい陽光だった といえようか。
(http://www.michinoku-yume.net/myn/db/db01-m001-t012.php3による。)