荒鷲の歌


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 もう古語になってしまったが、戦前、学童を「小国民」という言葉で呼んだ時代があった。今の小学校を「国民学校」と呼んでいた頃のことであるが、太平洋戦争酣の頃、我々「少国民」はこの歌を良く歌っていて忘れられないが、これも今は少国民世代しか歌えない歌になってしまった。
波岡惣一郎(1910-1951)
 青森出身。東洋音楽学校卒業後、昭和12年にデビュー。「仰ぐ北満」など戦時歌謡を多く歌う。15年には「荒鷲の歌」をリメイクして吹き込んだ。26年12/10午前2時、胸部疾患のため練馬区練馬南町5丁目の自宅で死去。 【流行歌の時代〜歌手名鑑 (http://www.geocities.jp/showahistory/music/singera05.html)による】

東辰三
 神戸高等商業学校出身。1938年に「荒鷲の歌」を発表。戦後の歌としては「港が見える丘」は有名。【空席通信 歌と戦争 6(http://www.sakuramo.to/kuuseki/107.html)による】



荒鷲の歌
作詞 東  辰三
作曲 東  辰三
歌  波岡惣一郎
1.見たか銀翼 この勇姿
  日本男児が 精こめて
  作って育てた わが愛機
  空の護りは 引受けた
  来るなら来てみろ 赤蜻蛉(とんぼ)
  ブンブン荒鷲(あらわし) ブンと飛ぶぞ
 
2.誰が付けたか 荒鷲の
  名にも恥じない この力
  霧も嵐も なんのその
  重い爆弾 抱えこみ
  南京(なんきん)ぐらいは 一またぎ
  ブンブン荒鷲 ブンと飛ぶぞ
 
3.金波銀波の 海越えて
  雲らぬ月こそ わが心
  正義の日本 知ったかと
  今宵また飛ぶ 荒鷲よ
  御苦労しっかり 頼んだぜ
  ブンブン荒鷲 ブンと飛ぶぞ
 
4.翼に日の丸 乗り組みは
  大和魂(やまとだましい)の 持ち主だ
  敵機はあらまし つぶしたが
  あるなら出てこい おかわりこい
  プロペラばかりか 腕もなる
  ブンブン荒鷲 ブンと飛ぶぞ
1938年(昭和13年)