赤城の子守唄
松竹映画「浅太郎赤城の唄」主題歌


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 東海林太郎 (1898〜1972 早大商学部卒業)
 「泣くなよしよし ねんねしな」の『赤城の子守歌』や「ソリの鈴さえ・・」の『国境の町』などの名曲を歌い、国民的歌手として、その直立不動の姿勢とともに人気のあった東海林太郎は秋田市の生まれ。彼が早稲田大学に入学したのは1917年、早稲田騒動の只中であり、時代は大正デモクラシーの大きな流れに入りつつあった。父の反対で上野音楽学校進学を断念した太郎は、早大て佐野学に師事し、経済学の研究に専念した。その後満洲に渡り、満鉄庶務部調査課勤務となるが、幼い頃からの夢断ち難く満鉄を辞し、クラシック音楽を勉強。その後、流行歌手となる。燕尾服を着て直立不動で歌う彼の姿勢には、音楽家としてのこだわりがあったのかもしれない。秋田市内には胸像と、『母に捧げる歌』の碑がある。(秋田市千秋明徳町千秋公園内)
【「早稲田 い・ち・ず」WWW版−秋田 (http://www.waseda.jp/koho/ichizu/akita.html )による。】
 なお、「国境の町」も参照されたい。
 「国定忠治」については次のサイトが詳しい。【国定忠治(長岡忠次郎)(http://www5.wind.ne.jp/fisherman/ch/chuji/kunisada.htm)】



赤城の子守唄
作詞 佐藤惣之助
作曲 竹岡 信幸
歌  東海林太郎
1.泣くなよしよし ねんねしな
  山の鴉(からす)が啼いたとて
  泣いちゃいけない ねんねんしな
  泣けば鴉が またさわぐ

2.坊や男児(おとこ)だ ねんねしな
  親がないとて 泣くものか
  お月さまさえ ただひとり
  泣かずにいるから ねんねしな

3.にっこり笑って ねんねしな
  山の土産に 何をやろ
  どうせやくざな 犬張子
  貰ってやるから ねんねしな
1934年(昭和 9年)