国境の町


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国境の町

作詞 大木 惇夫
作曲 阿倍 武雄
唄  東海林太郎
1.橇の鈴さえ 淋しくひびく
  雪の荒野よ 町の灯よ
  ひとつ山越しゃ 他国の星が
  凍りつくよな 国境い

2.故郷はなれて はるばる千里
  なんで想いが とどこうぞ
  遠きあの空 つくづく眺め
  男泣きする 宵もある
3.行方知らない さすらい暮らし
  空も灰色 また吹雪
  想いばかりが ただただ燃えて
  君と逢うのは いつの日ぞ





1934年(昭和 9年)


本曲は余りにも有名なので、歌ではなく歌手 東海林太郎(1898-1972)のご紹介などを。

 「泣くなよしよし ねんねしな」の『赤城の子守歌』や「ソリの鈴さえ・・」の『国境の町』などの名曲を歌い、国民的歌手として、その直立不動の姿勢とともに人気のあった東海林太郎は秋田市の生まれ。父の反対で上野音楽学校進学を断念した太郎は、早大で佐野学に師事し、経済学の研究に専念した。早稲田大学を卒業後、満鉄の職員として8年間勤務。早大在学中より左翼思想に傾斜し、満鉄時代にも労働組合結成構想などを練る。一時期は特高にマークされるほどであったという新事実が近年、判明した。
 満鉄勤務というエリートながら、クラシック歌手への夢を捨て切れず、34歳で歌手に転身。荘司史郎などの芸名で一時期、歌っていたが、昭和9年、「赤城の子守唄」が大ヒット。その後も、「一つ山越しゃ、ロシアの星が」の歌詞を「他国の星が」に改めた「国境の町」、「夜が冷たい」の歌詞を文法がおかしいと作詞者に猛烈に抗議し、不承不承に吹き込んだ「旅笠道中」、長谷川一夫の映画「雪之丞変化」の主題歌「むらさき小唄」、野崎観音のPR版として製作された「野崎小唄」、軍歌という呼称を嫌い、戦時歌謡を主張し続けた「麦と兵隊」など次々とヒットを飛ばし、大歌手として最晩年まで、中学生から老人までのファンクラブを持つ圧倒的な人気を誇った。ロイド眼鏡に燕尾服、直立不動で歌うスタイルは有名。
 戦時中は「お駒恋姿」の歌詞「十九、二十歳で帯とけて、とけて結んだ恋衣」の部分が「可愛い可愛いとはやされて、はやも二十歳の恋衣」と変えて歌われた。
 戦後の一時期は、進駐軍によって、封建的な歌を歌うと干されるなど不遇が続いた。私生活では酒豪で、歌手協会でも「良きにはからえ」の親分肌の人間であった。藤山一郎との不仲も有名である。三度も病に倒れ、最晩年には、燕尾服の下に血の滲んだ晒しを巻いてステージをつとめ、都内の知人宅で休息中に危篤状態となった。80歳を超えたらクラシックに復帰、100歳目前で最高のリサイタルを開くのが念願だったという。40年に紫綬褒章、44年に勲四等旭日小綬章、47年には勲三等瑞宝章を受章。

代表曲
昭和9年 赤城の子守唄、山は夕焼、国境の町/ 昭和10年 旅笠道中、むらさき小唄、野崎小唄、お駒恋姿 / 昭和11年 お夏清十郎、椰子の実 / 昭和12年 すみだ川 / 昭和13年 上海の街角で、麦と兵隊 / 昭和14年 名月赤城山/ 昭和16年 琵琶湖哀歌(小笠原美都子)
http://www.geocities.co.jp/Bookend/1100/music/kasyu1/a5.html
http://www.waseda.ac.jp/koho/ichizu/akita.html
http://www.media-akita.or.jp/akita-pioneers/shoji1.html