夢路より


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夢路より
訳詞 津 川   主 一
作曲 S.C.フォスター
1  夢路(ゆめじ)より かえりて 星の光 仰(あお)げや
  さわがしき 真昼(まひる)の 業(わざ)も今は 終りぬ
  夢見るは わが君 聞かずや 我が調べを
  生活(なりわい)の 憂(うれ)いは 跡(あと)もなく 消えゆけば
  夢路より かえりこよ

2 海辺より 聞こゆる 歌の調べ きかずや
  立ちのぼる 川霧(かわぎり) 朝日受けて 輝(かが)よう
  夢見るは わが君 明けゆく み空の色
  悲しみは 雲井(くもい)に 跡もなく 消えゆけば  
  夢路より かえりこよ

 作曲者 S.C.フォスターは1864年1月13日に37歳の若さでこの世を去ったが、この「夢路より」はその死の数日前に完成したといわれている。また、従前の数々のヒット曲のような黒人を歌ったものではない。
 晩年は20代半ばのような創作意欲・能力もなく、妻と子供と離れてニューヨークの安宿の一室を住まい代わりにして貧困と病苦にあえいだ生活を送っていたフォスターだが、それにも係わらず彼の心は曇ることなく、ひときわ純で優しい旋律美を示している。作曲のタイミング的にもまるで自分の死を予感していたかのような不思議な感じのする曲といえる。
(フォスターの一生については、次のサイトが詳しい。http://www.worldfolksong.com/foster/text/boyhood.htm)

 訳詞者の津川圭一氏は1896年11月16日、愛知県名古屋市の生まれ。父親は地元の教会の牧師で、津川氏は幼い頃から教会に足を運び、讃美歌や聖書に慣れ親しみ、高校卒業後は牧師になるべく神学関係の学部に進学することを選択し、1921年(大正10年)関西学院神学校を卒業。翌年には麻布美普協会の牧師となり、布教活動に尽力するが、中でも彼が特に力を入れていたのが「合唱」の普及であった。
 彼は帝国音楽学校、青山学院、文化学院、東京交響合唱団などで合唱指導を精力的に行った他、いくつかの讃美歌の日本語訳も手がけており、讃美歌103番「牧人ひつじを」、讃美歌第二編190番「み墓ふかく」などは彼の訳として讃美歌集などにその名が記されている。
 彼が日本語訳を手がけたのは讃美歌だけではなく、「夢路より」、 「おおスザンナ」といったフォスターの歌曲の他、 「赤いサラファン(ロシア民謡)」「コサックの子守唄(ロシア民謡)」などのロシア民謡、「シェナンドー(アメリカ民謡)」、「ロンドンデリーの歌(イギリス民謡)」、「ブンガワンソロ(インドネシア民謡)」など幅広い国々やジャンルの曲の訳を手がけ、日本における「世界の童謡」の普及に大きく貢献した。中にはあまりその日本語訳が知られていないものもるが、「赤いサラファン」や「夢路より」などは本を見なくても日本語の歌詞で歌える人は多いであろう。
 1971年5月3日に亡くなるまで、津川氏は全日本合唱連盟理事、関東合唱連盟名誉会長を務めるなど、日本の合唱音楽の開拓者の一人として活動を続け、「合唱名曲選集」、「合唱音楽の理論と実際」、「教会音楽5000年史」、「合唱名曲全集」、「世界合唱曲集」などの多くの著作を残している。
(詳しくは次のサイトをご覧ください。http://www.worldfolksong.com/foster/text/tsugawa.htm)