城址を巡って思うこと

                               城址の復元についてなど




城址を巡って思うこと

 私が城に興味を持ちはじめてから、東京近郊のいくつかの城や城址を巡っているのですが、そ

の保存状態のあまりの悪さに、とても残念な気持ちにさせられます。多くの城址は、その場所に

立って見ても、かつての城の姿を想像し、思い浮かべるのには、かなりの努力が必要ですし、そ

の復元などに至っては、もはや手後れにさえ思えます。

 そのような荒果てた城址をさんざん巡ったあとで、復元された忍城址を見ると、行田市のよう

に他の市町村あるいは都道府県でも、この歴史遺産の保存復元作業に、もっと積極的に取り組ん

で欲しいと思うものです。また行田市についても、前章で述べた諏訪郭の水堀などを、本丸跡と

同様に今のうちに保存して欲しいと願うものです。復元された櫓が偉容を見せる隣で、せっかく

残された忍城の遺構が荒れ放題なのは、何ともやるせない気持ちです。さらに関宿城址も同様で

関宿城博物館は大変立派なのに、かんじんの関宿城址は何の保存復元対策もとられていないよう

な状態です。

 およそ日本の役所は、土木建設工事には税金をつぎ込むのに、何もしないでただ保存するだけ

のことには、なぜ予算を出さないのでしょうか。私としては天守閣を再建することより、現存す

る遺構を、そのまま保存して後世に残すことの方が、よほど大切だと思うのです。



 関東の模擬天守の功罪

”城の成り立ちについて ”の章で私が中世の城の姿をくどくどと述べたのは、現在関東にある

天守閣の中には、これが中世の城跡に建設される例があるからです。その代表が千葉市に立つ千

葉城天守閣なのですが、この城を見た人々はこの地に昔は白亜の天守閣がそびえていたと思い込

んでしまうでしょう。しかし千葉城は鎌倉時代から戦国期に築かれた城ですから、そんな物は有

るはずがないのです。さらに戦国時代に廃城になった埼玉県長瀞町の天神山城も同様です。

 しかし、多くの人に城址に興味を持ってもらう為には、一概に無意味な事ではないのかも知れ

ません。歴史や城に関心のある人でなければ、建物のない土塁や空堀の跡だけを見ても何の興味

も湧かないのは、無理のない事ではないでしょうか。それは、城に関するホームページ主催者の

住所が中部以西に多く関東以北に少ない事と、関東以北のほとんどの城址で建物が少なく、城に

興味を持ちにくいという事が、無関係ではないと思うのです。

 訪れる人々に誤解を与えることが ”罪 ”ならば、この地に城があったことを、手っ取り早く

知らせることは ”功 ”なのでしょう。ただそれで興味を持った人に、実は真っ赤な偽物でした

と言うのでは情けない気もします。




関東の城を分類してみたら・・・次章へ





 一つ上   ”城と古城址巡り

 表 紙 ”小さな旅と四季の風景 ”へ