関東の城を分類してみたら

城と城址、復元天守と模擬天守  




城と城址


 私は関東の城を保存復元状態の善し悪しで分類して、城と城址を区別したのですが、「城址

ではなく、現在でも城と呼ぶに相応しい状態」とはどのような城のことなのか、私が独断で考

えた条件ではありますが、少し説明させていただきたいと思います。


1.郭の外郭が残っていること

    かつての大阪城のように天守閣だけが建っていても、これを守ることは困難です。城の

    機能の中では堀や城壁等の方が重要なのです。現在においても、外部との隔絶が出来て

    こその城と言えるでしょう。

2.建物が一部分でも残っていること

    やはり建物が何も残っていないのでは、城址と言わざるえないでしょう。

3.それらが旧態に沿って復元されていること

    もともと天守閣など無かった中世の城や近世の陣屋に、旧態とは無関係に白亜の天守閣

    を建造しても作り物としか思えません。歴史遺産の意味を忘れないで欲しいものです。

4.全体として城としての体裁を残すもの

    城の中に近代的な建物などが建っていては台無しです。城としての景観や雰囲気を損な

    わないようにしたいものです。

 以上のように私なりの考えを挙げてきたのですが、これは城の保存復元作業をこのように進め

て欲しいという、要望にもなってしまいました。




復元天守と模擬天守


 簡単に分ければ、天守閣を旧態に沿って再建したのが復元天守閣、城の旧態にはこだわらずに

建築したのが模擬天守、と言えるでしょう。しかし実際にはどちらとも言い切れない天守閣など

があります。再建された天守閣等を忠実度の順に分けるとしたら、またまた私の独断ではありま

すが、おおよそ以下の順になると思います。

 1.詳細な図面が残されていて木造にて図面に忠実に復元した物

 2.絵図、写真等から復元図を描き鉄筋コンクリートで出来るだけ忠実に復元した物

 3.上記の方法に、予算や内部構造等何らかの都合で多少の修正を加えた物

 4.天守の姿が正確には残っていないので想像図にて再建した物

 5.天守は無かったが、新たに創造して建築した物

 6.戦国期以前の城址に江戸期風の天守閣を建築した物

 7.城とは何の縁もない場所に城を模した建物を建てた


 それでは、どこまでを復元と呼ぶかですが、書籍などでも明確ではないようです。厳密に考え

ると江戸時代には鉄筋コンクリートなんか無いので、1番の城のみが復元であると言う方もいる

でしょう。しかし東京近郊の天守閣は、ほとんど鉄筋コンクリート造りなので、私のページでは

”絵図などが残っていて旧態を多少とも意識して再建”したともいえる3番までを復元天守閣と

呼び、それ以下の4番から6番を模擬天守としたいと思います。そして7番は、城としては扱わ

ない事にします。


 以上の順に従って関東の城を分類してみました。なお関東では多くの城が実質的な天守閣を櫓

と呼んでいた為、天守と櫓の区別はしていません。


現 存
    高崎城(群馬)、江戸城(東京)

復 元
    1.土浦城(茨城)

    2.小田原城(神奈川)

    3.忍城(埼玉)、久留里城(千葉)

模 擬
    4.大多喜城(千葉)、館山城?未確認(千葉)

    5.騎西城(埼玉)

    6.千葉城(千葉)、天神山城(埼玉)、一郷山城(群馬)

論 外
    7.関宿城博物館(千葉)、出島城(茨城)
番 外
      逆井城(茨城)、木造なので復元と言いたいのですが、推測の形なので

 このように見ると千葉県が城の再建に熱心なようですが、模擬天守の多いのも気に掛かるとこ

ろです。もっとも東京はそれさえ無いので・・・関心が低いのでしょうか?




現存と再建


 なにを迷う事があるのかと思うでしょうが、例えば江戸城の隅櫓はほとんど関東大震災により

破損倒壊した後に解体修理されたものです。(江戸歴史散歩の榎本さんより情報を寄せて頂きま

した)また高崎城の乾櫓や岩槻城の城門などは、城下に移築されていたので当然解体修理して城

址に再移築したものです。共に主要な建材は元のまま使ったのでしょうが、再建したとも言える

のではないでしょうか・・・。






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