ソーホーで、ちょっと息抜き

(前頁より)



「ジャック・ストロー・カースルで軽く飲んで帰るか」
「いいわよ」

ハムステッドの丘は最高の飲み場である。
諸君、不思議なことに英国には駐車場のあるパブは多い。酔っ払い
運転で捕まるほど飲む者は、自己管理ができていない馬鹿者という
ことのようだ。
パブの出口で酔っ払い運転取り締まりの点数稼ぎをする不粋な警官
はいない。大人の国である。

この前新聞で『日本でも性表現の自由化を欧州並に!』とかいった記
事をみたような気がしますが、どうなんですか」
美絵夫人がラガーのグラスを傾けながら質問した。アルコールは固さ
をほぐすらしい。
「僕は、『ちょっと待ってぇな!』と少し異論を唱えたいね」
「アラッどうしてですの。殿方は皆さん自由化に賛成ではないのです
か?」
お色気話のついでに、『ヌードと猥褻』とについて、日本とやや異なる
意識や対応があるかなと思われる点を、憶良氏は夫人にこう述べる。

「たしかに英国にかぎらずヨーロッパでは、映画や芝居、写真集や雑
誌などでスッポンポンはおおらかだねえ。陰毛が見えたとか見えない
とかは問題にならない。例えば、この前シャフツベリー劇場に見に行っ
たロングランのミュージカル『ヘアー』では、一幕の終わりに出演者全
員が全裸で、堂々と客席を向いて両手を掲げ唱い上げるシーンがあっ
ただろ。男子も女子もいろいろな体型の人間が、臆する事なく、ごく自
然に裸で演技をしていた。(もっとも照明は随分落としてはあるが)こう
いったシーンは猥褻行為のための裸ではないから、観客にも自然に受
け止められている」

  「ヨーロッパでは、公園や海水浴場など人目のおおいところでも、割
に平気でかなり大胆に露出していますね。女性の私が顔を赤らめると
きがあるわ。裸に慣れているのね」
「そうなんだ。ただ日光浴というだけじゃないね。ギリシャ・ローマの時
代から、男性や女性の裸像が美の対象に昇華され、彫刻となり、絵画
に描かれて来ているから、裸そのものと猥褻行為とは別であるという
社会全体の認識があるからだろうか。だから人々は、芸術の対象とし
てのヌードと、猥褻行為のヌードとは、明らかに違った冷静な認識と取
り扱いをしているように見えるねえ」



「けばけばしいヌードの看板などはソーホー以外ではあまり見かけま
せんね」
「そうなんだ。猥褻行為の手段としてのヌードの場合には、子供の目
に触れないように、大人としての社会的配慮が行き届いているような
気がするよ。裸体の芸術的表現には比較的自由である西欧社会でも、
裸体の猥褻行為的表現には、時と場所と機会(TPO)と節度が配慮
されているようだねえ」

例えば、セックス描写の強いテレビ・ドラマは、子供が寝たあとの遅い
時間しか放映されない。英国の主婦の大半が共働きであるから、日本
のように昼間からよろめきベッド・ドラマで、家庭の主婦を興奮させるよ
うな番組放送は皆無である。

(これは25年も前の話で、最近はチャンネルも増えているから、少しは
変わっているかもしれないが)



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