晴耕庵の談話室

NO.40


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2000/5/27
標題: ノルマン民族の影響について(3)


EMMAさん

ノルマンコンクェストの影響について 前回に続き、二つ追加し
ます。いずれも「見よ、あの彗星を」 (ノルマン征服記)の続編
の主要テーマなのですが。

6 ドゥームズデー・ブックの編纂

ウィリアム王の政治手腕が凄いと思うのは、統治20年後の
1086年に、イングランドの検地帳というべき「ドゥームズデ ー
・ブックを作成させたことです。 ドゥームズデーとは『最後の審
判の日』という意味であり、ウ ィリアム征服王はこの検地帳に、
絶対の権威をもたせました。

検地の内容は、ウィリアム公が倒したハロルド王の前の王で
あるエドワード懺悔王の時代に遡り、当時の貴族の領地の所
有関係やその後の異動関係と、正確な面積や農奴、自由 農
民さらに犂の数など,いわば土地と生産力を、地方裁判所 の
陪審に命じて調査させたことです。

その目的は、王として部下に与えたイングランドの荘園や 被
征服者であるイングランド生き残りの貴族やの土地所有 関係
と生産力を詳細に把握し、荘園貴族の懐状況を居なが らにし
て把握したことと、この検地をもとに税を徴収したことにありま
す。 現代の政府が国家の統治に使っている手法が、ドゥーム
ズ デー・ブックの編纂で実行されているのです。

7 スコットランドの文明開化

驚かれるかもしれませんが、ノルマン・コンクェスト前の スコッ
トランドは、政変でゆれていました。 ダンカン王がマクベスに倒
され、ダンカンの子マルコム三世 は、ロンドンのエドワード懺悔
王の宮廷に亡命しました。

マルコム三世は17年後エドワード懺悔王の支援で、マクベ
ス王に復讐し、スコットランド王につきました。
シェイクスピアは罪作り。彼のマクベスは虚構であり、史実
のマクベスは善政をしいた王でした)

しかし、当時のスコトランドはイングランドから見れば、キリス
ト教の及ばない、辺境の地でした。
ウィリアム王のノルマン治世に不安を抱き、ハンガリーに亡命
しようとしたエドガー・エセリング前少年王と姉の美貌のマ ー
ガレット姫(アングロサクソンのアルフレッド大王の直系)の
乗船が、嵐に遭いスコットランドに漂着しました。

マルコム三世は美貌のマーガレット姫を后にしました。
マーガレット王妃は、キリスト教をはじめ、イングランドの宮廷
文化をスコットランドに導入しました。 スコットランド貴族のター
タンチェックも彼女の発案と伝えられています。

エジンバラ城を訪れる日本人は多いでしょうが、あの名城に
ひっそりと残されている小さなセント・マーガレット教会の由来
と王妃が聖人として尊敬されている業績を、何人が理解して
いるでしょうか。

マルコム三世は平和を希求する王妃の願いも空しく、ウィリア
ム王としばしば戦火を交え、戦場にたおれます。 (マーガレット
王妃はその報を聞き・・・・、続編では、エドガー・ エセリング前
少年王と姉の美貌のマーガレット姫の数奇な運 命も書いてお
りますので、これくらいにして)

ノルマンのウィリアム公が現王室の始祖となるのは、後年こ
のマーガレ ット姫の子孫と、ウィリアム王の子孫が結婚する
からです。 (近々、王室の系譜を作成し、アップいたします)

                    ロンドン憶良


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