女王の島
(前頁より)



1066年秋、フランスのノルマンディ公爵であるウィリアム(フランス名
ギョーム)は、6千騎の騎士軍団を率いて英仏海峡を渡り、英王ハロ
ルドに決戦を挑んだ。有名なヘイスティングズの戦い(バトル・オブ・
ヘイスティングズ)である。

ハロルド王を倒したウィリアム公は、騎馬軍団の勢いをもって2ヶ月で
イングランドを制圧し、イングランドの王としてウェストミンスター寺院で
即位した。

すなわちノルマンディ公爵兼イングランド王となったのである。
以来英国王朝はフランスに領地を持つ貴族が英王に就任する事例や、
イングランド王がフランス王位の継承を求めることも起こって来た。

こういう領土相続と覇権のからみが国際規模で行われることは、殆ど
単一民族に近い日本人では理解しにくいところであろう。

例えば1337年から1453年までの英仏間の戦争は、百年戦争と呼
ばれている。
この戦争は、イングランド王エドワード三世がフランス王位の継承権を
主張して、自ら兵を率いてノルマンディに攻め込んだことから始まって
いる。

1415年にはイングランド王ヘンリー五世がノルマンディに攻め込み、
フランスの騎士団を破った。
ヘンリー五世はフランス王女キャサリン(カトリーヌ)と結婚し、フランス
王位継承権を承認された。
彼は雄図空しく、35歳の若さで赤痢で死んだ。(読者諸氏にはケネス・
ブラナー監督・脚色・主演のシェイクスピア劇映画『ヘンリー五世』で、
おなじみであろう)

このときフランスの王太子はロアール河の畔にあるシノン城に逃げた。
混沌としたフランスに、忽然として救世主が現れた。オルレアン市を救
った少女ジャンヌ・ダルクである。
1430年、彼女は火炙りの刑になったが、フランス国民を鼓舞すること
となった。

フランス王太子は、歴代フランス王が戴冠するランスの町で王位につき
シャルル七世となった。
イングランド王ヘンリー六世は、父ヘンリー五世がフランス王位継承権
を持っていたから、すぐにフランスに進軍したが、ランスでの戴冠ができ
ずパリのノートルダム寺院でフランス王として戴冠式を行った。

二人のフランス王ができた。
しかし、ジャンヌ・ダルクの死に奮い立ったフランス軍は、一変して連戦
連勝してイングランド軍をノルマンディの海岸まで追い詰めた。

イングランド軍は、カレーの町を除き、大陸の全土を失った。



英仏海峡の島、グアンジー島とジャージー島はノルマンディ公爵領であ
ったが、この時フランス領とならずに残った。
つまりこの島はイングランド王の領土ではなく、”ノルマンディ公爵の領土
の継承者”の島なのである。



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