ウエールズ


プリンス・オブ・ウェールズの故事


ダイアナさんはチャールズ皇太子と離婚後も、英国皇太子妃「Princess of Wales」
の称号を与えられていた。
ここで、「プリンス・オブ・ウェールズ」の故事来歴を詳しく紹介しよう。
それは現代のウェールズの諸問題を理解するのに参考になるはずである。

日本では「イギリス皇太子」とか「英国皇太子」という表現が使われているが、
正式の英文呼称は「Prince of Wales」(直訳すればウェールズの首長)である。
Princeは日本では皇太子あるいは殿下と訳されているが、もともとの意味は「小国
の首長」である。
ウェールズは公国として代々首長を「Prince」と呼称してきた。
もちろんプリンスには「統治者の男子の王子」という意味もあり、イングランドで
は王子をプリンスという。
何故「Prince of Great Britain」とか「Prince of England」でなく、「ウェール
ズの首長」が英国全土すなわち連合王国の皇太子の称号になったのであろうか?

話は今から約800年ほど溯り、ノルマン・コンクェスト後の12世紀から13世
紀初頭のイングランド(アングロ・ノルマン人)とウェールズとの国境争いから概
観してみよう。
ウェールズは山岳が多い。アングロ・ノルマン人はイングランドとウェールズの国
境線である「オファ王の塁壁」を越え、平地を侵略した後、河川沿いに谷間の部族
をゆっくりと攻め上った。
いつしかウェールズ中央部ポーウィズ地方はアングロ・ノルマン辺境領主の支配地
となり、ウェールズは北部のグウィネッド地方と、南部のディネヴーア地方に分断
されていた。
南西端のペンブルック地方は、海岸伝いにイングランド人に占領されていた。
だがスノードン山地は天険の要塞であり、周辺のグウィネッド地方とその背後の肥
沃なアングルシー島までは、侵略されなかった。


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