綽名(しゃくめい)は
ロンドン憶良と決まりけり

(前頁より)



恐る恐る覗きこむと、開いてるのは朝日新聞の歌檀のページであった。
大介氏はホッとした。別に身に覚えがあるわけではないが、「新聞に出る」
のは良いことか悪いことのどっちかだから、記事を見るまで気になる。
そこには大介氏の名前と短歌が載っていた。

朝日歌壇は現代歌壇を代表する四人の歌人によって、全国津々浦々から
毎週応募される数千首の歌が、十首づつ選歌される方式をとっている。

「いやぁ、まさか僕のが入選するとは思わなかったよ」
「おめでとうございます」
富井君が百人一首を読むような口調で、五島美代子先生の選歌を読み上げた。

英校に通う吾子(わがこ)は邦字紙をたどたどしくもむさぼりて読む
 


「我々の家庭の感じがよく出ていますね」
「邦字紙というのは、この古新聞ですか」
まだ日本人学校はなく、現地校のブルックランド・スクール四年生に編入さ
れた大介氏の長男一郎君にとっては、授業はチンプンカンプンであった。
清泉銀行ロンドン支店で取っていた日本経済新聞と朝日新聞は、支店長
が読まれた後、日経は上役から、朝日は逆に末席行員から上の方へ、家
族が読めるように回覧されていた。

当時、JALで空輸される日本からの新聞は高価な貴重品である。とても個
人で購読できる値段ではなかった。清泉銀行でも僅か一部しか購読できる
予算しかなかった。
ファックスはまだなかった時代である。日本の政治経済の動きは、ロイター
の英文テレックスで知ることができたが、社会や文化芸能娯楽スポーツな
どのことを知るのは、何日遅れかで回覧されるこの新聞であった。

新聞回覧は派遣家族全員のささやかな楽しみであった。だから清泉銀行
の行員たちは毎朝出勤するとき、書類鞄と古新聞の入ったビニール袋を必
ず両手に提げていた。
もし新聞の回覧が遅れようものなら、上司同僚部下から顰蹙をかうことにな
る。鞄は忘れても古新聞の回覧袋を忘れてはならない。

というようなわけで、一郎君は学校から帰ると、何はともあれ英語から解放
され、日本字と写真の載っている古新聞に飛びついていた。美絵夫人は一
郎君に声を出して読ませていた。それは結果として、読み方つまり国語の
家庭補習になっていた。


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