綽名(しゃくめい)は
ロンドン憶良と決まりけり

(前頁より)


幼少の頃から和歌好きの母の影響を受けていたのであろう、大介氏は短
歌は嫌いではなかったが、歌を詠むことはあっても、それは稀であった。
大介氏の心に突然歌が迸り出るようなったのは、ロンドン勤務になってから
である。
公私ともに生活環境が大きく変わり、家族ともども異文化との同化に懸命
の日々であったから、今まで刺激をうけることの少なかった情感が、激しく
揺さぶられたのであろう。生活を詠み、旅を詠み、風景を詠み、子供を詠ん
だ。

吾子(あこ)二人蛙と蚤の役なれど天地創造高らかに唱う
 
幸運にもブルックランド・スクールは、異邦人にも親切な、家庭的な暖かみ
のある小さな小学校であった。長男一郎君は蛙、長女翠ちゃんは蚤の端役
をもらつて帰って来た。二人は厚紙で蛙と蚤の帽子を作り、聖書の天地創
造(クリエイション・ジャズ)を懸命に覚え、歌った。



選者の近藤芳美先生から、
「第二首、学芸会にも蛙と蚤の役を与えられて加わるわが子。まだ小学生
か何かであろう。遠い異国の生活の感傷を、作品はおのずから告げる」
との講評をいただいた。


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