「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第2部 ノルマンディ公台頭

第1章から第5章ではヴァイキングの侵入により不安定なイングランド
王位の行方を概説した。
これまでの第一部を「起」とするならば、第二部はこれを受けて「承」と
なる。
第6章から9章にかけて、いよいよ本書の主役ノルマンディ公ウィリア
ムの登場である。その波乱に富む出生から若き日々は・・・・。

第6章 ロロの末裔



10世紀から11世紀にかけてのフランス王の力は、「イル・ド・フランス」
と呼ばれるパリ盆地周辺限られていた。

ノルマンディ地方はリチャード三世が第5代公爵となっていた。その弟
ロバート卿は兄の領地とノルマンディ公の称号を我が手に奪おうと決
心し、叛旗を翻したが、リチャード三世は諸豪族を率い、ロバート卿の
ファレーズ城を包囲し、激しく攻撃した。

ロバート卿はたちまち降伏し、兄に助命を乞うた。
リチャード三世は弟を赦し、命を奪わなかった。この寛大さが後に裏目
に出た。




ある晴れた日城外に馬を乗り出した17歳のロバート卿は、泉のほとり
で洗濯をしている町娘の中で、ひときわ美貌の乙女に目を奪われた。
無造作に束ねた金髪、弾けるように新鮮な、華やいだ雰囲気を持つ娘
である。目が大きく、唇は男心をそそる艶っぽさがあった。膝までたくし
上げたスカートから、真っ白な脚がすらりと伸びていた。腕を覆っている
生毛が、風にそよいでキラキラと光るようであった。

「そちの名は?」
「アーレットと申します」
「よし、この馬に乗れ」

ロバート卿とアーレットの二人は、萌ゆる若草の中で青春を燃焼させた。
アーレットをそのままファレーズ城に連れ帰った。



ロバート卿にはすでにデンマーク王の妹になる妃がいた。

アーレットは鞣革屋の実力者フルバートの娘であったが、身分の差は
大きく、第二夫人としては認められない。それでもロバート卿はを側妾
として日夜溺愛した。アーレットは懐妊した。

出産を間近に控えたある夜、アーレットは夢を見た。自分の腸が破れ、
ノルマンディを覆い、イングランドを覆った、奇妙な夢であった。

翌朝、この夢を占った司祭は予言した。
「吉兆です。ノルマンディはおろかイングランドも支配する世継ぎが生
まれます」

これを聞いたノルマンディ公リチャード三世は、
「わが弟ながら、ロバートはいい気なものだ」
と笑った。

1027年、アーレットはファレーズ城内で玉のような男子を分娩した。
喜んだロバート卿は「ウィリアム」(フランス名ギョーム)と命名した。




翌1028年、ノルマンディ公リチャード三世は、居城ルーアン城の大広間
に諸侯や聖職者を集め、ノルマンディの平和を祝って、盛大な宴会を開
催した。

華やかな酒宴が最高潮に達したとき、突然、リチャード三世は喉を掻き
むしって倒れた。
「ド、毒を盛られた!」
宴席は一瞬にして悲嘆の場となった。老臣たちは遺児を僧院に隠した。
弟ロバート卿が第6代のノルマンディ公爵となり、諸侯もこれを承諾した。
フランス王も新ノルマンディ公ロバート一世をカペー王朝の貴族として公
認した。



こうなってくると、身分の低いアーレットの存在が何かと問題になる。
新ノルマンディ公ロバート一世は、家臣のハーロウィン子爵を呼び、アー
レットと結婚させた。

アーレットはハーロウィン卿との間に、男子二人を生んだ。後にウィリア
ム公の片腕となるオドとロバートである。

アーレットはただの町娘ではなかった。自分の息子ウィリアムを城外か
ら見守るために、ウィリアムには外祖父となる鞣革屋のフルバートと相
談し、誰にも気づかれぬよう緻密にして遠大な手を打った。




ノルマンディ公ロバート一世は強欲であった。公爵襲名を支持した隣地
ブリタニー公アラン三世やルーアン大寺院のロバート大司教とも諍いを
起こした。

このためノルマンディをあげてノルマンディ公ロバート一世を非難する局
面となった。
回転の早いロバート一世は叔父になるルーアン大寺院のロバート大司
教に詫びを入れ、ブリタニー公アラン三世と友好条約を結んだ。

1035年のある日、ロバート公は叔父ルーアン大寺院のロバート大司教
に、驚くような相談を持ち出した。

「兄リチャード三世の霊を慰め、贖罪のため聖地エルサレムへ巡礼の
旅に出る。ついては万一の場合、ウィリアムのノルマンディ公襲名をよ
ろしくお願いしたい」
というのであった。

強欲、傲慢不遜の男の何という突然の変心であろうか。
ロバート大司教も、ロバート公の固い決意を替えさせることはできなか
った。
ノルマンディ領土内の諸侯や騎士を前に、聖地エルサレムへ巡礼の旅
が公表され、騎士たちは、留守の間、8歳のウィリアムへ忠誠すること
を誓った。




ロバート公は僅かの供を連れ聖地エルサレムへ巡礼の旅に出た。
エルサレムでは敬虔な祈りを捧げ、寛大な心の持ち主であった兄を毒
殺したことを心から謝った。
持参した財宝は聖墓に寄進し、帰途についた。

しかし、小アジア(トルコ)のニケーアまで来たとき重い病に倒れた。
「皆のもの、はるばる異郷の地までよく余に仕えてくれた。余はニケーア
で神に召されるであろう。汝らは無事帰国し、余に仕えたごとく、ウィリア
ムに仕えてくれ」

ロバート公は、波乱に富んだ25年の短い生涯を、異郷の古都で静かに
閉じた。
灼熱の太陽が焼き尽くさんばかりに照りつける、1035年7月3日のことで
あった。



第7章 ノルマンの星

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