「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第7章 ノルマンの星



8歳のウィリアムが第7代のノルマンディ公を継ぎ、フランス王に臣従
を誓った。
ルーアン大寺院のロバート大司教、ブリタニー公アラン三世、親衛隊
長オズバーンの3名が、亡きロバート公との約束を守り、後見人になっ
た。
歴戦の勇士チュロルドが武術師範に任命された。幼い領主に必要な
のは読み書き算盤ではなく、身を守る術であった。

この頃からイングランド侵攻は少年ウィリアム公の大きな夢であった。



しかしウィリアム公が10歳の1037年から12歳の1039年にかけて、
ロバート大司教やアラン三世が急逝し、新後見人ギルバート候も半年
も経たぬうちに暗殺された。
武術師範のチュロルドも闇討ちに遭い、惨殺された。

次々と後見人を失うウィリアム公に、ノルマンの騎士たちは動揺しは
じめた。
血統を重視する貴族たちの中で、ウィリアム公の従兄弟になるバーガ
ンディの領主ガイ伯が、密かにノルマンディ公爵の地位を狙っていた。

亡き父ロバート公の血縁になる叔父のモーガー大司教、もう一人の叔
父アーク城主のウィリアム卿も反ウィリアム公の一派と噂されていた。

先代ロバート公の信任厚かった親衛隊長オズバーンは、たとえウィリ
アム公の生母が賤しい生まれであろうと、ノルマンディ公として忠誠を
誓った以上、先代との約を守り、義は貫くとの考えをしていた。




コントビール卿に嫁いでいた生母アーレットは、こうした諸侯の変節を
懸念し、実弟ウォルターをウィリアム公の側に仕えさせ、それとなく身
辺の警護をさせた。

アーレットの父でウィリアムには外祖父になる鞣革屋のフルバートは、
身分の低い職人や商人階層を配下に置く、陰の実力者であった。
フルバートとアーレット、ウォルター父子は、暗殺や反乱などの情報を
いち早くキャッチし、ウォルターに通報する「影」の組織を作った。




「しまった!殿、逃げられよ!」
オズバーン隊長の声を聞くまでもなく、ウォルターは逃走の準備を完
了していた。
ぐっすり眠りこけているウィリアム公を背負うと、秘密の通路を走り、配
下の小者の手を借りて、いつものように隠れ家に逃げた。

「何、またもベッドは空だったのか!」
「今回は頑固者のオズバーンを仕留めたわ」

こうした危険はその後も何回となくウィリアム公を襲った。ウィリアム公
に野獣のような危険察知能力や敵味方鑑別力、危機の場合の一瞬
の決断力が磨かれていった。




1046年秋、19歳となったウィリアム公は僅かな供を連れ田舎町バ
ローニュで狩りを楽しんでいた。

ガイ伯の軍隊がこの町を包囲しようとしているとの情報が入った。
陽が沈むのを待って一行は密かに宿を抜けだし、配下の先導で間道
から間道へと、160キロ先の居城ファレーズ城目指して馬を走らせた。
後に語り草となった「バローニュの大脱走」である。

ファレーズ城に篭もっても勝算はなかった。
「起死回生の道はただ一つ。フランス王ヘンリー一世に援軍を求めよ
う」
ウィリアム公は馬を乗り継ぐとそのままパリ郊外に滞在していたヘンリ
ー一世の許へ急行した。




翌1047年1月、フランス王とウィリアム公の連合軍はオーヌ河を渡っ
てくるガイ伯の軍団を迎え撃った。まだ小規模ではあったが騎士団対
騎士団という騎兵戦の形で戦闘が開始された。大激戦であった。フラ
ンス王もウィリアム公も剣を抜き戦った。

「これからの戦いは歩兵ではなく騎士でもなく騎兵戦それも槍騎兵軍
団だ」
と、ウィリアム公は直感した。
反乱騎士団は連合軍に降伏し、ウィリアム公に忠誠を誓ったが、ガイ
伯は逃走した。




ガイ伯は難攻不落のブリオンヌ城に立て篭もり三年抵抗したが、1050
年遂に降伏し臣従を誓った。

ウィリアム公はガイ伯をノルマンディから追放し、北辺ポンテュー地方
の領主に左遷した。
23歳のウィリアム公はフランス王の力を借りてどうにかノルマンディを
平定した。




第8章 邂逅

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