見よ、あの彗星を
ノルマン征服記

第5章 大聖堂縁起



ハロルド伯が完全に政治の実権を掌握した。エドワード王は政治には
さして興味はなく、再び傀儡の王となった。
幸運にも北海のヴァイキングは部族間の争いが激しく、イングランドを
侵略しようとする者はいなかった。

平和な時が甦り、王は以前にもまして教会や聖堂に参詣した。
国民は敬虔なエドワード王を懺悔王の名を以って尊敬した。


その頃ロンドンの市内(現在のシティ)からテムズ川を2マイルほど溯
ったところに、ソーニー島(いばらの島)と呼ばれる小島があった。

円卓の騎士の物語「アーサー王伝説」にこの小島が語り継がれていた。

円卓の騎士12名のうち最も武勇と礼節に勝れていたのが「湖の騎士
ラーンスロット卿」であった。ラーンスロット卿はアーサー王の命により
聖杯を探す旅に出た。
彼がウェールズのカーボネック城を訪れた時、城主の娘エレイン姫は
彼に一目惚れした。

しかしラーンスロット卿はアーサー王の王妃グウィネヴィアを慕ってい
たので、エレイン姫の愛を受け容れなかった。エレイン姫は魔女の力
を借り、王妃グウィネヴィアの姿になり、ラーンスロット卿と一夜の契り
を持ったが、ラーンスロット卿はエレイン姫を振り切って旅に出た。
悲恋のエレイン姫は命を絶った。

侍女たちは姫の遺体を飾り、小船に乗せてテムズ川に流した。小船は
ソーニー島に流れ着いた。アーサー王はエレイン姫をこの島に手厚く
葬った。


テムズ河畔に佇んだエドワード王は、この無人の島に不思議な霊気
を感じた。
懺悔王は、キリスト第一の使徒ペテロに奉献するウェストミンスター大
寺院を建立し、イングランドの平和と繁栄を神に祈願したいと考えた。



エドワード王は若い頃ノルマンディで見慣れていたノルマン・ロマネス
ク風の石造建築で建立することとした。ノルマン建築はサクソン建築の
比ではなかった。
多数のノルマン人の技術者が雇われ、石材も輸入された。整地作業
や工事に多くの国民が動員された。

王は、自分の宮殿もその傍らに建てた。大寺院と隣接の宮殿を、神の
御加護によってイングランド発展の中心にしようと考えた。すべてが神
中心であった。




だがここでエドワード王の心をいたく刺激する出来事が起こった。

時を同じくしてハロルド伯も、彼が庇護するウォルサム教会をノルマン
風に再建すると宣言し、工事に着手した。ウォルサム教会は、ロンドン
の北の郊外にあるエッピングの森林の中にあった。

ハロルド伯は大急ぎで工事を進めた結果、ウェストミンスター大寺院よ
りも5年早く、1060年に完成した。イングランドで最初のノルマン風建
築であった。

このあてつけがましい聖堂の建立があってから、エドワード王はハロ
ルド伯をますます疎ましく思うようになった。




このような王とハロルド伯の角逐はあったが、壮麗なウェストミンスター
大寺院の建立と平行して政治の中心はシティからウェストミンスターの
新宮殿に移った。

しかしどのような聖者とて、自らの寿命を延ばすことはできない。
1065年秋、大寺院の完成が間近いというのに、齢60となっていた王
の健康が、急速に衰え病の床に臥した。

エドワード王には後継者となる王子も王女もいなかった。このため国内
の貴族諸侯はもとより大陸の貴族、北海のヴァイキング王たちも、エド
ワード懺悔王亡き後の王冠の落ち着く先を、虎視耽々と見守っていた。

「王妃エディスの関係で王の義弟になるハロルド伯が・・・」
「アングロサクソン王朝の血を引くエドマンド剛勇王の孫エドガー王子
だ」
「いやいや、エマ皇太后の関係ではノルマンディ公ウィリアムだ」
「デンマーク王スウェインやノルウェー王ハラルド・ハードラダだって、
カヌート大王との血縁で、王位継承権を主張するぜ・・・」

ロンドンでも、ノルマンディでも、北海周辺でも、エドワード懺悔王の跡目
相続が酒の肴になった。




第6章 ロロの末裔

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