第3部 薊(あざみ)の国

第10章 ダンカン、マクベス、マルコムの血戦(2)

前頁より




 マクベスはスコットランドを治めるのはダンカン前王より自分の方が
優れていると自負し、多くの豪族たちからも能力を高く評価され、支持
されていた。

 事実、同盟を結んだ異父弟オークニー領主ソーフィン伯の協力もあ
って、パース郊外スクーンの村のあるスコットランド中部と、南部西部
を十年間にわたって良く統治してきた。スクーンの村にはスコッツ族
の誇りとする戴冠式の座石である『運命の石』が置かれているから、
スクーンを治めるものがスコッツの王と見做されていた。

 しかし、いかに理があるとはいえ、先王を謀殺した良心の呵責には
耐え難かった。年を追うごとに贖罪の意識が強くなった。マクベス王
は戴冠十周年の1050年に、ローマへの巡礼の旅に出ようと考えた。

 これまでスコットランドの王で、ローマへの巡礼、教皇への拝謁を考
え実行した者はいない。遥かローマへの旅には幾多の苦難が有るや
もしれぬ。生命の保障は全くない。それでも構わぬとの固い決意であ
った。

 マクベス王は気心の知れた僅かの部下を伴い、ダンカン王の冥福
を祈る贖罪の長旅に出た。王がローマまでの旅に出ても、国内に内
乱の虞はないほどに治世は行き届いていた。

 辺境の地スコットランドから来て見れば、ローマは何もかも目を見張
る花の都であった。豪壮な石造りの教皇庁には世界の芸術品が溢れ、
野外劇場では詩劇や音楽が奏でられ、商家には各国の珍しい物産
が取り引きされていた。

 マクベス王は教皇に拝謁し、引き留められるまま長逗留をした。
 日々教会に赴き、贖罪の祈りを捧げた。
『穀物の種を播くがごとく、マクベス王は金銭を貧しい人々に撒いた』
と噂されるほど賎民に施しをした。アッと言う間に時が過ぎた。

 この長い留守の間もスコットランドは安泰であった。国民はマクベス
王を心から信頼し、王国は繁栄していた。しかし、そろそろ所持金も
尽きてきた。もう帰らねばならない。



次頁へ


「われ国を建つ」目次へ戻る

「見よ、あの彗星を」目次へ戻る

ホームページへ戻る