第2部 反 乱

第7章 マチルダの戴冠


<前頁より>



「復活祭をウィンチェスターで過ごした後、直ちに王妃としての戴冠式
を華やかに挙行する。至急に準備を整え渡航するように」
とウィリアム王はマチルダに連絡を入れた。

「話には聞いていたアルフレッド大王の古都ウィンチェスターに早く行
きたいわ」
と、小躍りして喜んだ。
 マチルダにとっては初めてのイングランドの生活であった。

 マチルダ妃は、もともとその身体的な特徴から社交的ではなかった。
どちらかというと読書を好んだ。聖職者や吟遊詩人たちから耳学問で
仕入れていた知識は、多かった。
 しかし、ウィリアム王との結婚後は、次々と産まれる子供の世話に明
け暮れていた。

 マチルダ妃は、これから行くウィンチェスターについて知っていること
を、侍女たちに語った。

「ウィンチェスターは、ケルトの民がブリテン島全域に住んでいた時代
から、『グウェント』と呼ばれていた大きな町だったそうよ。その後古代
ローマ帝国の軍団が進駐して、町の周囲に強固な城壁を築き、軍事
都市としたのよ。ローマ人たちは、「ヴェンタ・ベルグラム」と名付けた
といいます」

「彼らがローマに引き上げた後、サクソン民族がブリテン島に来て、こ
の南イングランドの要衝を占領しました。西暦519年の出来事です。
キリスト教が伝播し、教会が建立され、西暦662年には司教座が設け
られたと聞きました。」



「随分古い町なのですね」
「そうなの。もう少し時代が下って、二百年ほど前の9世紀には、デー
ン人(デンマーク・ヴァイキング)のイングランド侵入が激しくなり、この
ウェッセクス王国の古都も西暦860年に占領されて、彼らの拠点にな
ったこともあります」

「デーン人がウィンチェスターまでも占領していたのですか」
と、ひとりの侍女が驚きの声を出した。
「そうなの。デンマーク・ヴァイキングは強かったのよ。今もなかなか油
断できないけどね。イングランド東部から南部海岸をたびたび襲った
のです。この時ヴァイキングに対抗して彼らを駆逐し、7王国に分裂し
ていたアングロサクソン王国を統一したのが、ウェッセクス王国のアル
フレッド大王なのよ」

 世事にはうとい侍女たちではあったが、イングランドの名君アルフレ
ッド大王の名は知っている。

「今のウィンチェスター大聖堂はアルフレッド大王が建立したそうよ。
その後首都がロンドンに移るまで、ウィンチェスターは軍事や政治、そ
れに宗教面でも重要な場所だったのよ。賢人会議や宗教会議が再三
開催されてきたといいます」
と、マチルダは解説を続けた。

「ルーアンのような町でしょうか」
随行する若い侍女が不安げに訊ねた。
「行ってみないと分からないけど、そうかもしれないね。つい先ごろまで
ゴッドウィン家が支配して、故ハロルド前王の母ギーサも長く住んでい
たようだから、市民に油断はできないわよ」
「おお怖いわ」
侍女たちが身をすくめると、
「ウィリアム王がいらっしゃるから大丈夫よ」
と、老練な侍女頭が助け舟を出した。

「そうそう、ウィンチェスターの町はイッチン川の西岸に開けているとい
うことだけど、面白いことに、わらはの祖先のベルギー人も、昔西岸の
丘に入植していたそうよ。近くのソールズベリ郊外の平原には、巨石を
並べた不思議なストーン・ヘンジという場所もあると、神父さまがおっし
ゃっていました。その遺跡の訪問も楽しみだわ」

 戴冠式にと新調した宝冠や華やかな衣装もできあがり、マチルダ公
妃一行はうきうきした気分でノルマンディーを出発した。

 ウィリアムとマチルダにとって、この逢瀬が束の間の休息となろうとは
二人は夢想だにしなかった。
 


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