第2部 反 乱

第7章 マチルダの戴冠


<前頁より>



 古都ウィンチェスターに到着したマチルダ妃は、1068年のイースタ
ー(復活祭)とその後の2ヶ月余りを、久し振りに夫ウィリアムとゆっくり
と過ごした。
 その後ロンドンに向かった。

 聖霊降臨祭はイースター後の第7週目の日曜日から始まる一周間
である。
 この祭典にイングランドの主要な聖職者や貴族をウェストミンスター
大寺院に呼集して大宗教会議を開催し、その機会に王妃の戴冠を挙
行するのがウィリアム王とウォルターの計画であった。

 宗教会議に集まった司祭や貴族達は、お互いに複雑な感慨で、
「またお会いしましたな」
と挨拶しあった。

 この寺院をエドワード懺悔王が建立し、奉献式を行なったのは、10
65年のクリスマス。僅か2年ほど前である。
 年が明けて1066年早々に懺悔王は崩御し、ウェッセクス伯ハロル
ドが、この聖堂で位についたが、この時の戴冠はカンタベリー大寺院
のスティガンド大司教が執り行った。
 しかし秋にはノルマンディー公ウィリアムに敗れた。

 ウィリアム公が、ヨーク大寺院アルドレッド大司教の手により、このウ
ェストミンスター大寺院で戴冠してまだ1年余りであった。
カンタベリー大寺院とヨーク大寺院の間のすさまじい確執もあった。
そしてマチルダ妃の戴冠。



 有為転変。1年ごとに生きて顔を会わせることが僥倖とも感じられる
激変の最中であった。明日はどうなるか、それすら不透明であった。
ともかく今をどう行き抜くかが、貴族聖職者の偽らざる本音であった。

 マチルダの戴冠式は、極めて盛大に挙行された。マチルダは幸福の
絶頂にあった。
 しかし、たちまち現実の厳しさに突き戻された。

「エドガー・ザ・エセリング王子逃亡、行方不明!」
「モルカール伯、旧領地ノーサンブリアへ帰国の模様!」
「エドウィン伯もマーシャ方面へ帰国!」

 軟禁中であった3人の大物人質が、この戴冠式後のほんの少しの
気の緩みに乗じて脱走あるいは帰国したのであった。

「マチルダ、また泥沼の戦になるだろう。すぐノルアンディーに戻り、留
守役の諸侯をリードし、子供たちの扶育を頼む」
「わかりました。ご武運をお祈りします」

 小国フランダースを統治するボールドウィン伯の息女だけあった。
王妃としての火急の場合の振る舞いは心得ていた。
短かったが幸せだった日々の想い出を胸に、ウィンチェスターの南に
あるサウサンプトンの港を発ってノルアンディーに帰った。
サウサンプトンは古くから水運の要港であり、ノルアンディーとの往来
には便利な港であった。

 マチルダ王妃を見送ったウィリアム王は、直ちに麾下の諸侯を招集
した。



第8章 ミッドランド大殺戮

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