第2部 反 乱

第6章 エクセターの抗戦





 イングランド南西部、サマーセット州・デヴォン州・コーンウォール州
の地域はケルトの血をひく人々の居住地である。

 ロンドンや南東部のケント州・サセックス州や、南部のウェッセクス州
が、古くから大陸とのかかわりが深い、いわば表の地域とすれば、デ
ヴォンやコーンウォール地方は、華やかな歴史の舞台には登場する
ことの少ないが、大西洋に向かう戦略的には重要な半島である。

 コーンウォールの突端、これから先は大西洋という場所をランズエン
ド「地の果て」という。この地名からも、半島の位置付けが分かる。

 アングロ人、サクソン人が大陸からブリテン島に侵入した時代に、ケ
ルトの民はイングランドと呼ばれる地方から追われて、北はスコットラ
ンド、西はウェールズ、デヴォン・コーンウォールが居住地となった。
 アーサー王伝説の時代である。



 エクセターは、古代よりこの半島の入り口にあって、デヴォンシャー
つまりデヴォン州の州都であった。ドゥムノニー族と呼ばれるケルトの
民が紀元前2・3世紀ごろから、この地の丘陵地に定住していたという。

 エクセターのラテン名は、イスカ・ドゥムノニオルムというのは、これに
由来する。

 紀元50年には古代ローマ帝国軍団はこの地まで侵出して来た。
彼らはケルトの民が居住しているこの町を城壁で囲み、ローマー風の
強固な城砦都市に変えた。
 戦略的に重要な拠点と判断したからである。ローマ軍団の輸送と移
動のローマン道路は、北部のリンカーンまで通じるよう建設された。
 城壁の下を流れているのがエクセ川である。エクセターとは「エクセ
河畔のローマ軍団駐屯地」の意味である。



 ローマ軍団が本国に引き上げた後も、サクソン人、デーン人などの
侵攻があり、統治者は次々と変わった。

 次々と異民族から支配される歴史の体験を踏まえて、市民たちは統
治者と折り合いをつけて自分たちの生命や資産や権利を守る術を心
得ていた。長いものには巻かれながらも、したたかさを身につけていた。

 特にデーン人、つまりデンマーク・ヴァイキングの支配時代にはデー
ンゲルドと呼ばれる一種の賠償税を支払うことにより、略奪破壊を免
れていた。
 デンマーク・ヴァイキングにとっても、戦をして命を賭けて強奪するよ
りも、たとえ一回の収入は少なくても、毎年定収がある方を好んだ。

 11世紀初頭、サセックスの大領主ゴッドウィン伯がこの地の支配権
を得ていた時代にも、このデーンゲルドに似た賠償税を支払う方法で、
エクセターの市民たちはゴッドウィン伯一族から、一種の自治権を得て
いた。エクセターはゴッドウィン伯一族とは主従の関係ではないが、デ
ーンゲルドの支払いを通して、その庇護下にあった。

 万一エクセターが侵略される場合には、ゴッドウィン家が守るが、そ
の支援を得られぬような一旦緩急ある場合には、市民は堅固な城門
を閉め、自らが剣を取って戦うことを当然としていた。
 エクセターの市民が、この時代に自由を愛し、自由を維持しようとい
う意識を持って、自治都市を形成していたことは特筆に価する。

 ハロルド前王の母、ゴッドウィン伯の未亡人ギーサがエクセターに亡
命していたのは、そのような事情によった。

 このエクセター郊外の森の中で、ギーサは『白き妖精の女王』クリス
ティーヌに会った。

 森から帰ったギーサは、妖精の女王から得た情報をエクスター市の
幹部に伝え、ノルマンの支配には、この堅固な城壁と地勢に守られた
要害に篭り、断固抵抗するよう扇動した。
 ゴッドウィン家の居城であったウィンチェスター城を去ったギーサに
とっては、国内ではエクセターが最後の拠点であった。

 確かにエクスターはエクセ川の河岸段丘の尾根のような高原にあっ
て、坂道や険しい丘陵に守られている上、デボン州、コーンウォール
州のケルトの民は、これ以上後へは逃げ様の無い半島にあるため侵
略者には断固戦う気概があった。

 侵略者達がエクセターを包囲しても背後から襲われる惧れがあった。

 ウィリアム王や側臣ウォルターが、「エクセターは一筋縄ではいかぬ」
と判断したのは、以上の背景があったからである。



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