ロンドン憶良見聞録

少女はグラマー・スクールに


「憶良くん、今晩僕につき合ってくれないか。うれしいことがあってね。
いいパブを知っているから飲みにいこうよ」
と、芙蓉銀行の古葉次長から誘いの電話がかかってきた。

世の中は広くて狭いものである。大学の学部で先輩後輩になる二人
は、日本での外国部勤務時代に、K鉄工やA化成の外債発行などの
案件をめぐって鎬(しのぎ)を削りあってきたが、ロンドンで再び顔を合
わせた。しかし仕事を離れては気心の合う付合いをしていた。

さてロンドンの初夏の夕は、暮れなずむといいたいが、いつまでも明
るい。仕事はそこそこに切り上げて、二人はテムズ河畔の、とあるパ
ブに落ち合った。
入口の扉にはサルーンと書かれている。パブと書かれている方はブ
ルーカラーの入口である。

日本だったら「差別じゃー、けしからん」といきまく方もいようが、ここ
は異国である。社会階層の棲み分けが安定している面もある。サル
ーンの方は、いかにもシテイの紳士ごのみの落ち着いた雰囲気であ
る。やや割高なのはやむをえまい。
水道の蛇口を捻るようにビールがジョッキに注がれる。こちらのビー
ルは日本のように冷えていないが、慣れればどうってことはない。

「嬉しいことって何ですか? ごっついプロジェクトの幹事でも取った
んじゃないですか?」
「いやいや仕事じゃないんだ。実は娘の小百合がグラマーに合格し
てね」
「えっ!グラマーとは凄い。おめでとうございます。まさに乾杯ですね」
「ありがとう」
「どちらの学校ですか?」
「ウインブルドン・ガールズ・グラマーだよ」

中高年の読者諸氏はガールズ・グラマーと聞いて、いかにも豊満な
女性を想像するかもしれないが、それは見当はずれである。

「ところでグラマー・スクールに合格するには学力語学ともにネイティ
ブ並でないと、難しいでしょうね?」
「そうなんだ。イレブン・プラス(11歳の進学希望者に対する共通テス
ト)はなかなか厳しいからね」

「古葉さん、うちの子も来年小学校を卒業するので、ちょっと英国の
中高校教育の制度を説明してくれませんか。ちょっと複雑なんでしょ?」

グラマー・スクールとかイレブン・プラスという聞き慣れない言葉が出
てきたので、私学はもとより、普通の公立学校のことも知りたい読者
の方もいよう。

「それでは、簡潔にまとめてみようか。筋が通ってわかりやすい制度
だよ」
数年前、シティのコンソーシアム・バンク(多国籍銀行)に研修生で来
た経験のある古葉先輩は、なにかにつけ博識である。
一日の長があるとは、こういうことを言うのだろう。



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