5分でまとまる国

(前頁より)



憶良氏は、今日は清泉銀行とWW社のジョイント・ベンチャー(合弁会
社)であるSWW社で、ビジネス・ランチョンを御馳走になっていた。

「憶良さん、ロンドンの生活に慣れましたか?」
と、ウイットマン氏が流暢な日本語で尋ねた。憶良さんと呼びかける気
配りである。
「はい、どうにか1年が過ぎましたよ。お陰様で家族も落ち着きました」
憶良氏が気楽なのは、ウイットマン氏の日本語が日本人以上に上手
で、英語を使う必要がないからである。横文字を考えながら食べる食
事は、いかに御馳走でも味がなく、銘酒であっても酔えないものである。

「ウイットマンさんの日本語はとてもお上手ですね」
「四年ほど日本に居ましたから」
「憶良さん、ウイットマンさんは永平寺でも修行されていますからね」
 河東氏が、同僚ウイットマン氏の珍しい一面を紹介する。

「えっ、あの禅寺の永平寺で?」
「とても素晴らしい、得難い経験をしましたよ。でもねぇ冬の永平寺は
厳しい寒さですよー。いやぁ、あの脳味噌も凍てつきそうな寒気には、
正直なところ参りました」
一流の声優が語るような彼の抑揚に、目を閉じれば、憶良氏も訪れた
ことのある古刹の凛々たる冷気がぞくぞくと感じられる。

「愚問かもしれませんが、永平寺では何を悟られましたか?」
「無です」
「ムですって?」
「ハイ。分らないことが分かった。何も分からなかった、つまり無を知り
ましたが、まだ悟りには達していません。永平寺の禅は『ただただ座
れ、ただ座れ』ということです」
「ハア」

憶良氏は日本人でありながら座禅ひとつ組んだ経験がない。どうもこ
りゃなかなかの御仁との禅問答だなと思ったら、以心伝心、それと察し
たのかウイットマン氏が話題を変えた。




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