黄昏でない英連邦の絆


(前頁より)



でも、日本で外国を褒めるにはいささか勇気がいる。
「舶来かぶれ」とのレッテルを貼られ、出世に影響する虞れがあるからであ
る。外国の駄目な点を列挙すれば、「さもありなん。矢っ張り日本が優れて
いるよな」と優越感と自己満足に浸る国粋派の方々は多い。

西郷隆盛と大久保利通の認識のギャップは、明治維新から100年以上経
った今でも、たいして変わりはない。
利通は海外に出て日本の遅れにショックを受けた。その差を埋めるため、
クールで開明的に改革を断行した。実務面で功績の多い利通よりも、茫洋
として清濁併呑、最後までその時その時の権力に対峙し、距離を置き、改
革の波を被った弱者に心情的な薩摩隼人で散った隆盛に、国民の人気が
あることがこれを証明している。 



人間という動物は、どちらかといえば理性よりも情緒を好むようだ。
「黄昏の・・・」とか「病める・・・」と言うほうが一般受けする。これは西洋でも
同じことらしい。日本のことは、なかなか客観的に正しく報道されないから
だ。どうしても優越感か劣等感が、どちらかに強く出がちである。
国際間のコミニケーションの難しさは、残念ながら簡単には解決されない
だろう。

さてさて、臍曲がり憶良氏も、シティで働き、一宿一飯の恩義があるから、
英国の「黄昏」でない側面を紹介せねばなるまい。
憶良氏がひそかに感服したのは、目に見えない英国の底力である。
戦後の日本人は、目に見えるもの、換言すればモノとカネで第三者を評
価し、把握する事が多い。

反面、目に映らない知性とか教養とか宗教とか国際政治などココロにかか
わる精神世界の把握力が、中世の日本人より劣って来ているように思う。
アメリカのプラグマティズム(実用主義)の影響であろう。
目に見えぬ英国の底力を、いくつか例をあげてみよう。


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