上海・黄山・蘇州・杭州紀行


第6日 蘇州



ホテルから地下鉄で上海駅へ。地下鉄は早くて綺麗で安い。
上海駅の切符売り場は人の洪水。
軟座(日本流ではグリーン車)の待合室は別にあるので、そこで切符を買
えた。中国は階級制度の国なのだ!日本にはグリーンの客の待合室など
無い。
蘇州へは快速で約一時間であるが、軟座価格は12元僅か180円!
つでに明日の杭州行き切符も手配した。コンピュータ化は結構進んでいる。

古都蘇州には中国4名園の二つ拙政園と留園や江南代表の名園獅子林
がある。
さらに高校国語で有名な寒山寺や史話の虎丘などが訪問予定地である。

背広をきちんと着たソマリア(アフリカ東部)からの人と、中国系オランダ人
のビジネスマンが相客となった。
中国系オランダ人の方は日本語も話す。ライデン大学の経済学部を出て
いるが、そこで学んだとのこと。オランダの小学校では英語フランス語ドイツ
語などが必修とのことであった。
「オランダは小さい国なので、隣接国の言葉を知らないと立ち行かないの
です」と。
日本にも菓子メーカーにクッキーの生産ラインを売り込んだと数社の名前
を挙げた。
今は中国が世界の売り込みマーケットになっていると感じた。
中国では英語が通じないので、この時は三人リラックス。

 ソマリアとオランダ商人相客に蘇州特快英語が弾む    ロンドン憶良

蘇州駅でオランダ人ビジネスマンと別れたが、蘇州駅前は観光客目当て
の客引きで溢れていた。
目的のバス乗り場を探そうとうろうろしていたらシロタクのアンちゃんにつか
まり、まあいいかと40元(600円)でまずは拙政園へ。



拙政園は明の中央政界で失脚した王献臣が、詩人潘岳の『閑居賦』の一
節「拙者(愚か者が)之為政(政治を行っている)」との言葉からとったものと。
日本にもこのようなユーモアある名園があるのかどうか知らない。

水がテーマになっていて、東、中、西の三園には蓮が綺麗な花を咲かせ、
まことに名園である。憶良氏の隠棲ガーデニングとはスケールが違います。

獅子林はその名の通り、岩石の獅子がテーマで、庭中獅子を彷彿とさせら
れる
岩岩岩そしてそれを穿った迷路。岩はすべて太湖から引き上げた白い太
湖石。
ごてごて感覚は京都禅寺の枯山水とは対極のものであるが、中華料理と
精進料理の感覚の差であろうか。



1元(15円)バスを乗り継ぎ呉王闔閭の墓虎丘に。
呉王の葬儀3日後に白虎が現れ、王の墓の上にうずくまったとの由来。
丘上の47メートルの雲岩寺塔(宋初961年)はピサの斜塔のごとく15度傾い
ていて、今にも崩れそうであった。

呉(すなわち蘇州)は古くから名剣の産地とかで、呉王闔閭が亡くなった時
3000本の愛剣を副葬したと言う剣池がある。
秦の始皇帝(B.C.295-210)と三国時代の呉の孫権(A.D.182-252)が
人を派遣して探させたが、一本も発見できなかったと伝えられている。

再び1元バスで市内に戻り留園へ。
清代の庭園様式を伝えるという。規模は大きくは無いが、楼閣は、曲線的な
時には折れ曲がる長い回廊でつながれ、景観が次々と変化する。回廊には
書がかけられ、花窓という透かし彫りの窓のデザインはすべて異なる。

蘇州にはまだまだ名園は多いが、時間が無い。

夕刻になった。バスで寒山寺へ。
寒山拾得のニ僧の話しのほかに、唐の詩人張継の絶唱『楓橋夜泊』で内外
に有名である。お寺の裏に回ると、やっと蘇州らしい水辺に出る。
楓橋は傾斜の急な石のアーチ橋である。
橋を渡れば貧しげな家々。ここは湖辺の場末なのだと詩の背景がわかる。



月落ち烏なき霜天に満つ 江楓の漁火愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺      夜半の鐘声客船に到る


夜半ではないが観光船か連絡船か、船が暮れなずむ太湖に出て行く。

市内に戻る。観光行政か、市内到るところ土木工事だらけである。
上海料理の松鶴楼菜舘は、しばしばテレヴィで紹介されているので、ご存
知の方も多いと思うが、その周辺もビルごとならぬ通りごと再開発の大工事
中。
ここで食べた蘇州名物「松鼠桂魚」と、如雨露のようなでかく長い急須で頭
上から注ぐ八宝茶は秀逸の味。

タクシー(僅か10元)を飛ばし、帰りの列車にやっと間に合った。
到着時に帰りの硬座切符(普通車)を買っておいてよかった。
パックでない個人自由の旅の楽しさとスリルと味覚を今日も満喫。



第7日(8月29日) 杭州(1)―――――歴史と故事を訪ねて――
            杭州(2)―――――蘇東坡について―――

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