王室外交 アスコット

(前頁より)



1901年のアスコットは、ビクトリア女王のご逝去を悼み開催されなかった。
翌年のアスコットの初めの二日間は、殆どの女性観客は黒い服を着て
観覧したという。

王位を継いだエドワード七世は、アスコットを通じて華々しい王室政治や
外交を展開されたようである。
例えば、1902年のアスコットには、ポートランド公爵をウインザー城に招
待している。
公爵の持ち馬「セント・シモン」は、かって前年の優勝馬を20馬身離して
金杯に優勝しているが、今回の出走馬は「ウィリアム・三世」であった。

接待すべきエドワード七世は、その時病気が重く、手術するためロンドン
に帰らねばならなかった。王は、ポートランド公爵をウインザー城の居間
に呼ばれた。

「公爵を招いたホストの私が、ご覧の通り痛みがひどくてアスコットに行け
ず誠にすまない。公爵の馬がゴールド・カップに優勝されたら、すぐに私
に電信で知らせてほしい」

驚いたことに「ウィリアム三世」は、前年のゴールド・カップとダービーの優
勝馬、英国とフランスのオークスの優勝馬、パリ・グランプリの優勝馬、チ
ヤンピオン・ステークの優勝馬、戴冠記念杯の優勝馬、ドンカスター杯と
騎手倶楽部杯の優勝馬を見事に押さえて、優勝したのである。
公爵が直ちに電信でエドワード七世に報告したことは言うまでもない。



「金杯ゴールド・カップの次にエドワード七世賞が高いランクにあるのは、
そうした背景があるのね」
と美絵夫人が納得したように言った。

「それから五年後のアスコットで、大事件が起こった。ゴールド・カップの
競争が観客を魅了している間に、グランド・スタンドの裏に展示してあった
金杯が、煙のごとく消え失せていた。盗難にあったのだよ。警察の懸命な
捜査にもかかわらず、この金杯はまだ見つかっていない。庶民の喝采を
狙ったのか、特殊なコレクターなのか。ホームズ探偵と怪盗の知恵比べを
楽しむお国柄だからね」

「と言うことは今の金杯は新しいのね」
「ゴールド・カップは名誉なんだから、別に古いのでなくてもいいのだろう」


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