王室外交 アスコット

(前頁より)



英国観光案内書ではピカ一の、ピトキン・ピクトリアルス社から刊行され
ている解説書「ロイヤル・アスコット」から、興味深い逸話をいくつか紹介
しよう。



金杯は1807年、王妃シャーロットがアスコットに行啓したとき制定された。
ゴールド・カップは、国内の主要なレースの勝者と前年の優勝馬しか出
走できない権威あるレースで、過去いろいろなエピソードが語り継がれて
いる。
ジョージ四世王は大変アスコットが好きで、1822年に、当時の名建築家
ナッシュに王室用の特別観覧席を作らせたという。

王室の方々がウインザー城から馬車を仕立てて、アスコット競馬場まで
野道をポッカポッカと走らせるようになったのは、1825年ジョージ四世王
の時からである。
以来この優雅な伝統プロセシング・ドライブは今も続いている。

ビクトリア女王は賭け事が好きでなかったが、皇太子(後のエドワード七
世王)は大変馬好きであった。ご自分の持ち馬がゴールド・カップに優勝
したこともある。

エドワード七世がまだ皇太子プリンス・オブ・ウェールズであった時、ロイ
ヤル・ファミリーがアスコット競馬を観覧することの意義と重要性について、
女王に忌憚ない意見を述べている。

「アスコットは王室が自分たちを国民に見せる絶好の機会です。国民と親
しむことは母君の最も望まれていることと確信しています。あえて言わせ
ていただくと、"あらゆる欠陥のある『競争』"は(アスコットの競馬ではなく)
すべて国家機関の中にこそ残っています」

(すごいことを皇太子が言ったものだ。読者諸氏の中に日本の官僚の方が
いたら、一瞬ドッキリされたのではあるまいか)



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