二十四時間の情事
アラン・レネ監督/1959年作品
 アラン・レネ監督が1959年にフランス・日本合作映画として発表した長編第1作「ヒロシマ・モナムール」(または邦題「二十四時間の情事」)を再見。 以前見たときは、「去年マリエンバートで」が好きなことから監督の過去作に遡ってこの映画に辿り着いたので、マリエンバートとの共通点にばかり目が行ってしまっていたが、今回は監督が1955年に発表したアウシュヴィッツ強制収容所のドキュメンタリー「夜と霧」に続く作品として本作を捉えた。

 「夜と霧」で現在の穏やかな強制収容所跡を映しながら、「戦争は終わっていない。収容所の跡は廃墟になり、ナチスは過去となる。だが900万の霊はさまよう。我々の中の誰が戦争を警戒し、知らせるのか。次の戦争を防げるのか。我々は遠ざかる映像の前で希望が回復した振りをする」と語ったように、本作も1958年当時の、原爆から13年後の広島に迷い込んだフランス人女性が見た(見なかった)"ヒロシマ"を語ってみせる。

 反戦映画のロケのために広島を訪れたフランス人女性と、そこに住む日本人男性が出逢い、つかの間の情事の中で言葉を重ねる。 「広島で何もかも見たわ」 「いや、君は何も見なかった」 広島を訪れ過去の資料や写真や映像を見た今の女性と、その過去において家族をすべて失った男性。

 "何もかも見た"つもりでも、それは過去に起きた現実の一部の記録でしかなく、日本人の男にしても、たまたまその日広島を離れていて"何もかも見ていなかった"から、今も生きながらえている。 記憶と忘却と今… その切り口は「夜と霧」が問うたことと同じだ。

  本作の場合は、さらにここからフランス人女性が戦時中に本来なら敵であるナチスの将校を愛したことにより出来た深い傷跡を巡る、もうひとつの"戦争による傷"について語られ、広島で家族を失った男性との精神的な共通点を見出していく。

  1945年に広島で起きたことは記録として残ってはいるけど、記憶は少しずつ風化していく。しかし、それを忘却してはいけない。 1958年に実際に広島で撮影された本作に映り込む街並みや人々の姿も、僕らが"見なかった戦争の記憶"を、少しだけ蘇らせてくれる。
僕のお気に入り度
いろいろと考えさせられる作品。折を見て振り返るようにしたい。



(C) Tadashi_Takezaki 2002