地球の迷い方

 何が自慢できるといって、私は道に迷うのだけは自信がある。日本国内はもとよりパリ、ロンドン、ペナン、香港の計5カ国で迷った経験を持つ。私が行ったことのある外国はこれだけだから、常識的に考えれば、私は行ったことのある外国全てで迷った経験を持つ。

 事前の準備を怠っているわけではない。未知の土地を訪れるときは、必ず地図をチェックしていく。現地で広げるのはお上りさん然として嫌だから、頭にたたき込んでいく。それなのに迷うのだ。

 迷う要因その一。人間として進化の先端を行っている。そのため動物的感覚のような原始的なものは進化の過程で切り捨てている。要するに、方向感覚がない。駅を降りてどの方向が北か、西か、わかったためしがない。これではせっかく、「駅の北口からまっすぐ行って2つ目の交差点を西に・・・」と覚えた甲斐がないではないか。

 要因その二。決断力がふんだんにある。方向がわからないのだから地図を開けばいいものを、「たぶんこっちだ!」と決然と歩き出す。不思議と当たったためしがない。

 要因その三。チャレンジ精神が旺盛である。五分ほども歩いて、間違ったことがわかった。戻ればいい。なのに同じ道を歩きたがらないのだ。「どうせなら新しい景色を見ながら歩こう・・・」ますます間違った方向へ歩むはじめである。

 要因その四。くよくよしない。道に迷ったのだから元に戻ることに集中すればいいのに、新しい刺激を求めるのである。

 こうして挙げると、ことごとく私の美点が裏目に出ていることがわかるだろう。どうだ、まいったか。

 香港ではこれでひどい目にあった。旺角電脳中心に行こうとしていたのだ。地下鉄の駅を降りて歩いていたが、どうもそれらしい通りがない。魚市場のような処に迷い込んだ。戻ろうとした私の目に、ショウケースでにょろにょろ動く生物が・・・

「蛇屋だ!」

香港で行ってみたいと思っていた蛇スープの店だったのである。

 私は迷うことなく店に入りこみ、注文した。ああ、捕らわれの身となってもがいているくせに、スイカを差しだされると無心に汁を吸いだす、カブトムシの如き精神構造ではないか。もちろん、食い終わって店を出ると、自分がどちらの方向から来たかころっと忘れていた。 

 ペナンでは道ばたの露店に吸い寄せられた。ドラえもんの海賊版雑誌を売っていたのだ。何冊か買ってふと見ると次のブロックにも露店がある。そちらへ行ってまた買うと次のブロックにも・・・こうして、米粒に誘われて罠に入りこむ雀のように、私は迷宮に迷い込んでいったのである。

 


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