雪の情景
98年の1月15日は雪に降り込められてしまい、会社に行く予定も果たせなかった。電車は遅れながらも走っていたのだが、常日頃から仕事をしない理由を虎視眈々と探している私にとっては何ほどのこともない。
というわけで一日中雪と対面していた。雪というと、思い出す歌が、
雪やこんこん あられやこんこん
であるか、
雪の降る町を 雪の降る町を
思い出だけが 通り過ぎて行く
であるかで判別する性格診断のようなものが昔あった。もちろん、雪やこんこんが明るい性格で、雪の降る町が暗いという、予定調和的なものであった。私は、もちろん、雪の降る町派である。時によっては、2度目の「雪の降る町を」のところで、ワワワワというコーラスまで耳元に聞こえる。ましてや、「思い出だけが」のところでおもいっきりビブラートを効かせるにいたっては。
雪の歌というのは他にもある。高校時代は天文部に入っていた。冬に清里のログハウスなど借りて、雪の積もる中零下20度の深夜、天体望遠鏡をかかえて星を見に行っていた。寒ければ寒いほど、星は美しいのだ。そのとき、ウォークマンで聴いていた曲は、松任谷由美の「ブリザート」と斉藤由貴の「白い炎」であった。これが零下20度の雪景色にはもっとも合った。ところで、松任谷は、2019年だかに引退するという報道をどこかで聞いたのだが、それまで生きる気でいるのか。とんでもない婆さんだ。
あと、私の世代で雪にまつわる歌というと、オフコースの「さよなら」
外は今日も雨 やがて雪になって
僕らの心の中に 降り積もるだろう
といったところか。
ところで私は、先週の雪の折り、うれしがって小さな雪だるまをこしらえて、マンションの自室前の手すりの上に3つほどのっけておいた。翌日もその雪だるまは残り、他の雪が溶けても残り、まるで、その姿は、
「この家に馬鹿者1人おり候」
と広告しているようだった。
今日も私は、その広告をこしらえる。
沢田研二[LOVE−抱きしめたい」の次の1節を口ずさみながら。
街にみぞれが 人に涙が
暗く寂しく凍らせる
さよなら さよなら さよなら さよなら
これがジュリーマニアの心意気ってもんさ。違うか。
追記。雪だるまは翌日会社から帰ると既に撤去されていた。前回は溶けるまで3日間存在していたのに。どうやら、マンション管理組合は馬鹿を甘やかさない方針に転換した模様だ。ま、このような社会情勢でもあるし、厳粛にこの結果を受け止めることにしたい。
追記2。今回の文章って、たぶん著作権法上、「正当な引用」とは認められないのだろうな。