度量衡の罠

 昔、永六輔が鯨尺を掲げて抗議行動をしていたが、あれはどうなったのか。

 まるで意味の分からない人も多いと思うので、ちょっと注釈。20年ほど前だったか、日本の公式度量衡をメートル法に統一しようとする動きがあった。公式文書で、尺や貫の表示を止めさせようというのだ。したがってマンションの広告でも、「リビング12畳」というのは許されない。「39.6平方メートル」でないといけないのだ。「駅まで3町歩」もいかん、「2.2キロ」と言わないといけないというのだ。その後の動きで、「1200ミリバールの高気圧」も許されざるものとなった。「1200ヘクトパスカル」と言わねばならんのだ。これに日本の伝統を守る永六輔が立ち上がった。敢然たる抗議の声を上げたのだ。鯨尺を掲げて。私の好みから言えば、俵に潜り込んでごろごろ転がりながら、「1俵だよーん」というパフォーマンスを望んでいたが。そのまま火をつけて古式ゆかしい蓑踊りの拷問に移ることもできるし。

 でも、結局つぶれたんでしょうね。だって、日本の伝統といっても、実感がないんですもの。私にとって、いま伝統的度量衡で親しみがあるのは、前出の、「4畳半」と、「1升5合」くらいなものです。酒飲みなもので。それでも「1斗」に親しみを持つほど、飲んでません。

 それ以外の、「尺」とか「寸」になると、まずメートルやセンチに換算してからでないと、実感が湧かない。「貫」になると、何キログラムなのか換算すらできない。昔の土地でも、1貫が1石に当たるのか、10石なのか、はっきり分からないほどだ。

 まあ、「使っちゃいけない」というのは、嫌ですけどね。「秀吉が1石の米を買いかねて今日も五斗買い明日も御渡海」や「平沼が1斗の米を買いかねて今日も5升買い明日も五相会(議)」という川柳は、やはり文化遺産として大事にしなければ。

 ところが、日本伝統の度量衡がこのように衰亡していく一方で、南蛮渡来の異端の度量衡が、静かに侵略の手を伸ばしている。ヤード・ポンド法だ。

 ヤード・ポンドの魔の手は、おもにスポーツ界に向けられている。

 ゴルフ界は完全に制覇している。農家のオバチャンとしか思えないキャディに、「グリーンまであとどのくらい?」と聞くと、「87ヤードです」と返ってくるのだ。「170ヤード、アゲンストですから、4番くらいがいいでしょう」とも言うのだ。170ヤードとは何メートルだ。アゲンストって何だ。4番とは何だ。川藤か。あいつが阪神の背番号4だったのは10年以上前だぞ。キーオか。あれだって5年以上前だ。いまは誰だ。カミソリスライダーを投げるという、噂のリベラか。わからん。私はそれが恐ろしくて、まだゴルフをやったことがない。

 アメフトやラグビーでは、侵略はそれほど進んでいないようだ。もちろん、場内では、「22ヤードライン」のように、ヤードで統一している。しかし、アナウンサーは、「東芝府中の平均体重は89キロ。さあ、あと2メートルのところまで押し込みました」などと実況している。(追記。2月1日にラグビー日本選手権決勝を見たが、22メートルラインだった。何か勘違いしていたようだ。失敬致した。それにしてもマコーミックはいい男だな)

 昏迷を続けているのは格闘部門である。ボクシングは「赤、ピストン堀口、120ポンド」などと言っている。(それにしてもたとえが古すぎる)これはイギリスで発祥し、アメリカで栄えている現状から致し方ないだろう。もっとも、19世紀のイギリスでは、ストーンなどという面妖な単位で表示していたようだが。どうせ馬鹿なえげれす人のことだ、拳大の石1個の重さを1ストーンとして、などという馬鹿な単位をでっち上げたのだろう。違うかな。1ストーンは約6キロらしいから。アンドレの拳でもそんな大きくないだろう。子供の頭の大きさ、というのはどうだ。ちょっと猟奇だが。

 K−1などの新規格闘技はキログラムだ。微妙なのがプロレスである。国内のメジャー団体のうち、新日本プロレスは「青コーナー、小島聡。115キログラム」とアナウンスするのに対し、全日本プロレスでは「赤コーナー、大森隆男。240ポンド」と旧来のポンド法を堅守している。昔は全日本がNWAに加盟したりしてアメリカのメジャー団体と提携していたので、そこらを共通にする必要があったのだろう。しかし今やアメリカの団体と積極的に提携しているのは新日本で、全日本は鎖国状態であるにもかかわらず、こうなのである。女子団体は全団体ポンドで共通しているようだ。これは、女子の場合、「青コーナー、千春。33キログラム」などとやるとなんとなく情けない、という事情からのようだ。私は「青コーナー、ザ・ジャイアント。0.24トン」というのが豪快でプロレスらしいと思うが。でも千春は0.033トンになるか。3.3*10-3トンという表記はどうだ。何となく科学的だし。

 ディケンズやジェロームなどの英国作家を読むと、やたらに訳の分からない単位が出てくる。ポンドやヤード、シリングやペンスはまだしも、ストーンとかブッシェルとかペックとかソヴリンとかファージングとか異形のものが頻出する。なんでもこれらの単位は、英国人ですらあまりの複雑さにたまりかね、ほとんど廃止してしまったという。

 


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