菓子を拾う

 段ボールの箱から菓子を掴みだしては、放り投げる。子供が歓声をあげてそれを拾いに走る。
 なんだかひと昔前にアメリカ兵がベトナムでやったり、ふた昔前にアメリカ兵が日本でやったり、み昔前に日本兵が中国でやったことのようだが、これは違う。ひと昔前に日本人が日本でやっていたことだ。
 これが正月の餅蒔きや「建前」ならば不思議はない。「建前」というのは、全国共通の行事なのかはわからないが、家の建築で骨組みが出来上がった段階でそれを祝い、喜びをわけあうために大工が屋根の上から餅や菓子を蒔く。近所の子供が集まってきてわれがちに奪い合う、という行事だった。当時の近畿地方の子供にとってはこの「建前」はとても楽しみな行事なので、近所の建築予定については不動産屋より詳しかったくらいだ。

 これはそういう行事でもない。なんとなれば、蒔いているのは子供であり、拾っているのも子供である。子供が子供に菓子を与えているのである。同じ小学校に通う同級生である。それがなぜ、片や恵む立場、片や恵まれる立場にあるのか。これほどまでに階級を異にした理由はなぜか。

 当時「仮面ライダースナック」というものが流行っていた。正確に言うと、「仮面ライダースナック」のおまけの仮面ライダーカードが流行っていた。スナック自体は流行っていなかった。ゲロまずい、などと正直な感想を述べる子供さえいた。私はといえば、なかなか美味いものだと思っていたのだが、それを言うとクラスで仲間外れにされる可能性があるので、「うん、まずい」と言っていた。なに、たまに「仮面ライダースナック」を買ったときには、喜んで全部食べ、袋を逆さにして残ったカスまで口に運んでいたのだ。当時から口がいやしい性だったのだな、私は。

 あるとき近所の原っぱで友人と遊んでいた。怪獣ごっこか、ひょっとすると仮面ライダーごっこだったかもしれない。当時からひねくれ者だった私は、たぶん死神博士の役か立花藤兵衛の役を演じていただろう。仮面ライダーと組み合って草むらを転がっているとき、友人が「あれ?」と声をあげた。
 草むらの陰に、見慣れぬ段ボール箱があった。それはまだ新しかった。封は切っていた。
「あけてみよう」
「うん」
 秘密結社の洞窟に忍び込むような真剣な表情で、私たちは蓋を開いた。中には、「仮面ライダースナック」が四十個、まったく手をつけずに入っていた。私たちは狂喜した。たしか四人で十個ずつ分配したと思う。両手にあふれんばかりにお菓子を抱えて家路に辿る私は、そのとき確かに幸せだった。親に見つからないように勉強机の奥に隠し、飽きるまで食べ続けた。当時はまだ食品に青酸を入れるような事件も起こらず、従ってその点では無防備だった。

 その十個のスナックも食べ尽くした数日後、また落ちていないかと私たちは原っぱに探索の旅に出かけた。段ボールはあった。それは男の子が抱えていた。彼は小学校の同級生だった。あまり親しくはなかった。新興の団地や社宅に住む私たちのグループに対し、彼は古くからの住宅街にある広壮な邸宅に住んでいた。応接間というものがあって、そこには瓶の中に入ったミニチュアの船、海亀の剥製、天狗の面など珍奇なものがたくさんあるという話だった。まあ早い話が、彼はいいとこのボンボンだったのに対し、われわれは近所のクソガキだったわけだ。
 段ボールを抱えた少年は我々の出現に驚いたが、話を聞くとにやりと笑った。「なんだ、そうか」抱えていた箱を開いた。そこには数日前のように、「仮面ライダースナック」がぎっしりと詰まっていた。「あげるよ」
 彼は両親にせがみ、問屋で数箱の「仮面ライダースナック」を買い込んだそうだ。彼にとって、ライダーカードだけが大事で、菓子は邪魔物でしかなかった。そこでカードだけを抜き取り、残りは捨てていたのだ。

「でも、ただあげるんじゃつまんないな」
 と彼は言った。彼の顔つきは覚えていないが、たぶんその時は、蔑みの笑いが浮かんでいたことと思う。そして冒頭の光景の如く、投げる子供と拾う子供が成立したわけだ。
 遠くに放り投げるふりをしては目の前に落とす。崖の方向に投げる。田圃めがけて投げる。手で投げるのに飽きたか、足で蹴り上げる。いろいろな投げ方で遊ぶ子供。そして、目を輝かせ、つまずいたり足を泥につっこんだり崖から落ちかけたりしながら争って菓子を奪い合う子供。
 公園の鯉に麩を投げ与えるか、猿山の猿にバナナを投げ与えるようなものだ。いま考えてみれば屈辱的な光景だが、当時のわれわれはそれが屈辱だとは知らなかった。学校で習っていなかったのだ。 なぜか楽しかった。金持ち少年の振る舞いに右往左往したり、ジャンプしたり、スライディングしたりが、まるでゲームのように胸がわくわくした。ノーバウンドで菓子をキャッチした時にはとても嬉しかった。それでいいのか少年の日の私よ。

 両親の名誉のために言っておくが、うちは決して極貧家庭ではなかった。裕福ではないが三食きちんと食べることができた。貸家だが住む家もあった。ちゃんと学校の給食費も払い、ノートも鉛筆も新品を買ってもらえた。ただ、いやしい子供だったのだ。私という奴は。そして友人も。 類は友を呼ぶ。

 いま、仮面ライダースナックは私の手元にある。内容はポテトチップになっている。
 いまはもう、菓子を拾いに行くことはない。齢を重ね、菓子を買う程度の金は持てるようになったので、近所の店で五個まとめて買ってきたのだ。こういうことができるんだぞ。羨ましいか小学生の私。
 容量が少ないのと早くカードを見たいのとで、普通にポテトチップスを食べるより消費が早いような気がする。中年にもなって、まんまと子供だましの作戦に引っかかっている。これでいいのか中年の日の私よ。
 たぶん、同じ種類のカードをまとめて制作し、箱詰めするのだろう。まとめ買いすると似た番号のカードが入っていることが多い。さっき買ってきた五個には、ラッキーカードが二枚連続で入っていた。
 たぶん子供の頃だったら走ってもう五個買いに行っただろうな、いや金がないから親友に「秘密」とか言って教えただろうか、などと思いながらウィスキーを呑み、チップスを喰らう。

 なんだか酔いが回るのが早い。あんなことを思い出したからだろうか。もう外出はできないな。そんなところも少年の頃とは、変わってしまったな。


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