「オチに至るまでが雑文です」 ←ぢゃあこれは雑文でないのか

「家に帰るまでが遠足です」という言葉を、皆様も聞いたことがあるだろう。
 小学校の遠足などで、出発前に校庭に集合した生徒の前で校長先生が言う、有名な台詞である。
 このほかに有名な台詞としては、
「バナナは丸ごとならおやつ、皮を剥いて切っていればお弁当のデザートです」
「水筒にジュースを詰めてはいけません」
「気持ち悪くなった人は先生にすぐ申し出るように。使用後のゲロ袋でバレーボールをしてはいけません」
「いいですか、博物館では騒いだりせず、他の人の迷惑にならないように」
「そこで原始人の真似をしている山口君! そんなことをしてはいけません。それにアイヌは原始人ではありません。失礼なことをしないように」
「そこの立て札が見えないのですか。芝生に入ってはいけません」
「他の学校の生徒にちょっかいをかけてはいけません」
「山口君、それは別の学校のバスです。よくバスを確認してから乗りなさい」
「君たちはなぜ先生の言うことが守れないのか」
「言いつけを守らないから、転んで怪我をするのです。先生はもう知りません」
「君たちのそんな態度では、もう外には連れていけません。次回の社会見学は中止です」
 などがある。これらの文字を見ているだけで、子供の頃の楽しかった遠足の思い出が蘇ってくる。

 ともあれ、「家に帰るまでが○○です」という台詞、あまりに有名なため、ギャグとしても散々使われ、笑いものにされてきたため、もはや校長先生も使うことができなくなっていた。
 ところが、長野五輪で華麗に復活した。
 閉会式で「家に帰るまでがオリンピックです」と、会長が高らかに宣言されたのだ。

 と、書いて、ちょっと不安になった。
 閉会式だったっけ?会長だったっけ?長野だったっけ?
 不安にみちた私は、「家に帰るまでがオリンピックです」で、各種の検索エンジンを検索してみた。
 結果は…ゼロ。誰もそんなこと書いていなかった。
 あれは夢だったのだろうか。
 私の狂える脳髄が紡ぎだした妄想を、私の狂える脳髄が現実と認定してしまったのであろうか。

 しかしそれでは話が進まない。
 ええい、あったのだ、あったことにするのだ!
 と喝破して話を進めることにする。

 これはしかし、オリンピックに独占させることはない。
 様々な状況で使える台詞である。

「家に帰るまでが鈴木その子です」家に帰ってメイクを落とした顔を想像したくありません。
「家に帰るまでがトロツキーです」結局帰れずに暗殺されてしまいました。
「家に帰るまでがノストラダムスです」予言者故郷に容れられず。
「家に帰るまでが従軍慰安婦です」家に帰っても存在を否定されたりして。
「家に帰るまでがサザエさんです」海に戻って貝になるという噂は本当でしょうか。
「家に帰るまでがプロレスです」ストリートファイト場外マッチ開催中。
「家に帰るまでが騎士遍歴です」家に帰ると郷士のアロンソ・キハーノさんです。
「家に帰るまでが家なき子です」当たり前です。
「家に帰るまでが忘年会です」
 そうなんだよ。あの日はハラ君が妙に元気で、「行きましょう!行くべきなのです私たちは」と元気に私と帝京大文学部助手を拉致していき、気がついたら3軒目の居酒屋でまたもや日本酒を頼み、そのくせ元凶のハラ君は寝込んでしまうし。そのうち私もうとうとして、ふと気がつくと帝京大学文学師範は失踪。いくら教育者といっても、やっていいことと悪いことがあるのではないだろうか。もはやその後は「寝るな!寝ると俺も寝るぞ!」などと訳の分からないことを言いながら5時まで呑んで、へろへろになって池袋まで山手線に乗り、ようやく始発の埼京線で帰り着くことができた。まったく35のジジイのやるこっちゃねえよな。反省。

 


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