読売巨人軍に就いて

 昔トーキョーという町に一人の男が現れた。この男は言うことが景気がいいわりに内容がないので「ラッパ男」と呼ばれていた。自分は男捕り男だと称し、いくばくかの金と引き替えに町のならず者を皆殺しにすると約束した。市民はこの男と契約を結んだ。男がラッパを吹いて町から出ていくと、屈強なならず者たちが群れをなして男の後を追った。男はやがて川の中に消え、ならず者はそれを追ってみな溺れ死んだ。しかし市民は金の支払いを拒んだ。男は怒ってラッパを吹きながら町を去っていった。その後を若者がぞろぞろとついていった。市民は男の後を追ったが、男も、若者たちも、ついに見つけることができなかった。

 有名なおとぎ話「トーキョーのラッパ吹き男」を先頭に持ってきたことには理由がある。この有名な物語に実在の根拠があるとしたら、読者諸兄はどう思われるであろうか。私はこの伝承に記された事実が、おそらく1990年代末のニッポンで実際に起こったと確信している。

 トーキョーの伝承についてはまだそれほど研究されていない。それはニッポンの文化自体がアメリカの亜流に過ぎないという見方が学会の主流を占めているせいもあるが、2007年の大地震でトーキョーを含むニッポンの大部分が海の底に沈んだことが大きい。紙と木でできた文明はほとんどが消えた。本当に大事なことは秘伝として隠す民族的習性のため(原注1)、ネットで外国に伝えられていた情報もおどろくほど少なかった。
 その残されたわずかな資料から、私は「ラッパ男」の原型となる文書を発掘した。それは先年バーデンバーデンの図書館で、html文書の山の中から発掘した。極めて短いものゆえ、ここに全文を紹介する。

 ミスターがまた狙ってるよ。今度はエトーだ。また四番が消えていく。野球界はどうなってしまうのか。嗚呼。
 ヒロサワ、キョハラ、イシイ、……有望な選手を飼い殺すのがそんなに楽しいのかね?

 これだけだ。しかし「ミスター」という人物がラッパ男なのは明らかだし、エトー以下の人物名が説話のならず者を指すことも、ほぼ間違いないだろう。
 ラッパ男の原型を、一部の研究者は「永田ラッパ」もしくは「平和ラッパ」という名で知られる人物に特定している。彼はコメディアンとして巨万の富を得て、その金でプロ野球球団を購入した(原注2)。彼がその金力と権力で野球界を混乱させたと言う説なのだが、私はこの説は採らない。
 なぜなら、年代の辻褄が合わないのだ。最近の研究により、エトー、ヒロサワ、キョハラ、イシイの活躍年代が確定できた。彼らはみな1980年代後半から1990年代後半にかけて活躍した選手なのだ(もっともエトーに関しては、1960年代から70年代にかけて活躍したという説もある(原注3))。そうすると平和ラッパ、もしくは永田ラッパの活躍年代と合わないのだ。平和ラッパは戦前、永田ラッパは1970年代までには野球界の権力を失ったと推察される。ラッパという言葉は説話の通り意味不明で声だけ大きい「ミスター」への揶揄ではないだろうか(原注4)

 説話が現実に起こった事件だとする有力な証拠を、私は持っている。日本の野球ではデータは重視されない。タイトルも我が国のようにホームラン数や勝利数で選ばれるのではなく、情実や同情票、「チームへの貢献度」といった非数字的なものでしばしば決められる(原注5)。そのため我が国のような浩瀚なレコードブックは存在し得ないが、それでも記録はわずかながら残されている。先ほど名前のあがったエトー、ヒロサワ、キョハラ、イシイの各選手は、前年まで盛んに打っていながら、なぜかその最盛期に突如として記録が途切れているのだ。その時期は一定していないが、すべて1990年代後半のある年である。
 さらに私は、カワグチ、コウノ、ヒルマンといった投手にも同時期に同じ現象が起こったことを確認した。これだけの数の選手がみな、そのキャリアの絶頂期に突如として不調や怪我、病気で倒れたとは思えない。ペストのような伝染病を想定するにも無理がある。並み以上の成績を残した選手だけを襲うペストといったものが想像できるだろうか?

 考えられるのはただ一つである。野球界で大粛清が行われたのだ。この時期、我が国に倣ってニッポンのプロ野球選手のギャラは増加し続けた。それまで「一オクエンプレイヤー」になることが野球選手の夢だったが、数年でそれは平均的レギュラーの年俸となった。トップの選手はその五倍を得るようになったのである。
 ところがそれに反比例してニッポンの経済は落ち込んだ。1990年前半、それまで世界有数の経済力を誇るニッポンが一夜にして不況のどん底に落ちた。ここから立ち直れず大震災で国家として破産したわけだが、豊かで金持ちの野球選手、貧乏な市民という貧富の差はみるみる拡大した。一部の裕福な選手は「ならず者」として市民に憎まれた。おそらくこの時期、青年将校によるクーデターが起き、高額所得選手の大部分が処刑された、そんなシナリオではないかと推測される。

 最後に「ミスター」と名付けられた人物は何者かという疑問が残る。ミスターは我が国では男性を示す冠詞に過ぎないが、ニッポンではその分野の第一人者を示す。おそらく「ミスタープロ野球」の省略形であろう。
 そうすると二人の候補者が存在する。ひとりはサダハル・オーで、彼はニッポンマイナーリーグとはいえ八百本以上の本塁打を放ち、日本国内では崇められた(原注6)。もうひとりはイチローである。マリナーズに在籍した五年間で三割を三回マークした彼のことはご存じだろう。ミスタープロ野球と呼べる存在は、ニッポンではこのふたり以外には存在しない。
 有力なのはオーである。彼は好成績を残しながら金銭には恬淡だったことで知られる。どんなに活躍しても、その年俸を一オクエン以上にすることを自ら許さなかったと伝えられる。そんな彼が金に執着する後輩選手を憎み、青年将校を指揮してクーデターを起こしても無理はないだろう。(原注7)

 いずれにせよ、この時期を期にニッポン野球は記録から消えた(原注8)。おそらく二十一世紀初頭の日本文化崩壊の波に呑まれてともに沈んでいったのであろう。「二十世紀のバビロン」とも呼ばれるトーキョーの都市と共に。

参考文献 「ハーメルンの笛吹き男」(阿部勤也:ちくま文庫)

 

(原注1)ニッポンでの情報公開の割合が世界有数の低さを示した証拠はいくつもある。インターネットで情報公開を進言した部下に対し、「そんなことをして、誰かに見られたらどうするんだ」と上司が問いただした不可解な文書がいくつか残されている。
(原注2)野球とエンターテイメントの結びつきは珍しくない。我が国の卓越したエンターテイナー、ダニー・ケイはマリナーズを一時所有していた。日本でもヨシモトという興行会社がハンシンという球団を持っていた。ハンシンでは藤山寛美という屈指のエンターテイナーがセカンドを守り(野球をする寛美と言う意味で、「ノムカン」と呼ばれた)、「カコカケケコカケキンチョール」というギャグで一世を風靡したカトリという選手がサードを守った。彼は猿に似た風貌で人気者だったので、天然芝のグラウンドをまるで牧場のように軽やかに駆け抜ける姿を当時の観客は「牧場の猩猩カトリ」と呼んだ。
(原注3)「三人のエトー」(T・ムラマツ)参照のこと。
(原注4)ラッパ銃は音はでかいが命中率が悪い。そのためミスターの持つ球団の打撃効率の悪さを皮肉った表現だという説もある。ニッポンでは「ダイナマイト」「マシンガン」、果ては「水爆」と打線を兵器にたとえる習慣があるので、この説も検討の余地がある。
(原注5)ひどいケースはキョハラとウエハラという新人選手で、彼らはいずれも泣いたからという理由で新人王を授与された。
(原注6)反対論者は、ニッポンでは八百という数字が嘘をつくときに常用されることから、彼の本塁打は虚構であり、オーという選手も存在しなかったと主張している。
(原注7)ミスターの解釈には別な説もある。マスターもしくはマイスターの転訛で、超自然的な能力を持った神秘的な人物が野球選手を大量に誘拐したという説である。彼らは「オズの魔法使い」として野球界で恐れられた人物こそがこの人物だと主張し、タブタ、エナッツ、エモヤン、エガワといった人名を消された選手のリストに加えている。しかし「オズの魔法使い」なる人物の生存時期はまだ確認されておらず、まだ仮説の域を出ない。
(原注8)大多数の研究者は、この事件を期にニッポン野球はきわめて短い期間に絶滅したという説に傾いている。しかしその数年後にも「トーキョースポーツ」という新聞に「テリー激白! これで巨人も再建だ! 今年こそミスターと心中の覚悟!」という記事があることから、ニッポン野球はゆっくりと崩壊したと主張する研究者も少数存在する。もっとも、「トーキョースポーツ」の記事は用語法がきわめてエキセントリックで、詳細に読み進むと野球以外の事柄が書いていることが多く、ほとんどの研究者はこれを野球の記事だと認めていない。 


戻る             次へ