ダイエット・ダイエット

 最近、腹部や脚が痒い。
 なんだか真皮の下、血管のあたりに松毛虫の一齢幼虫が数十匹寄生して、毎日ごにょごにょうぞうぞと松の葉を求めて周遊してでもいるかのような痒さ。爪で引っ掻いても表皮と脂肪層で阻まれ、真皮までは届かない。真皮への微妙な刺激で、余計痒くなる。いっそのことコンパスの芯で突き刺してもみたくなるような痒さ。
 はじめは皮膚病にでもかかったかと心配したが、すぐその原因に気付いた。
 衣替えである。

 冬物の背広はここ3年ほどに作った。夏物は5、6年前から10年前のものもある。
 この背広は作った年代順に並べるのがとても容易なのだ。もし私の背広が化石になったとしたら、後世の古生物学者は年代測定が楽なので喜ぶだろう。
 ウエストが小さいのが昔の背広で、でかいのが最近の背広である。私の背広は、現在の宇宙と同じく膨張を続けている。体型に応じて。早い話が太り続けているのだ、認めたくはないことではあるが。
 太り続けている私が夏物の昔の背広を着るとどうなるか。息を吐き、腹を思い切りへこませてからでないとズボンのボタンがとめられない。太股もパンパンである。このまま1日の仕事を終えて帰ると、腹にはくっきりとベルトの痕が赤く残っている。腹と太股の皮膚は1日中衣服の圧力を受け続けているのである。
 昔、スリムジーンズをはいている青年が皮膚の炎症に悩まされ、「ジーンズ毛嚢炎」と命名されたが、あれと同じ症状が私の身体にも起こっている。

 こうなった私がとるべき対策の選択肢は3つ。
 1)毛嚢炎を受け入れ、痒い生活を甘受する。
 2)新しい背広を買う。
 3)減量する。

 1)はどうも健康に良くないような気がする。仕事の能率も落ちるし、第一これは対策とは呼べない。
 2)はできれば避けたい。経済的にも問題があるし、ここで夏物のゆったりした背広を買えばどうなるか。安心した身体は太り続け、秋には冬物背広で同じ事態を招くことは火を見るより明らかである。
 やはり、だいえっとしかない。

 ダイエットとひとくちに言ってもいろんな方法がある。運動で痩せる、入浴で痩せる、カロリー計算で痩せる、ベニバナ油で痩せる、アガリクスで痩せる、紅茶キノコで痩せる、脂肪除去手術で痩せる、磁気パッチで痩せる、飲尿で痩せる、覚醒剤で痩せる、阪神で痩せる、ポジティブ思考で痩せる、相田みつをで痩せる、宇宙人で痩せる、キン肉ドライバーで痩せる、トランスジェンダーで痩せる、気で痩せる、宇多田ヒカルと北野井子の比較で痩せる、ビッグバンで痩せる。いくつあるのか見当もつかないくらいの方法が書店、テレビで日夜宣伝されている。

 私が一時試していたのは、鈴木その子式ダイエットである。本当に鈴木その子が考案したのかは知らない。吾妻ひでおが漫画でそう命名していた。
 このダイエットは酒を浴びるように飲み、飯をばかすか食う。遠慮はいらない。コツは酒をとにかく飲み続けることである。そうすると吐く。飲み食いしたものはすべて排出され、吐くエネルギーも使用して効果的に痩せることができる。
 この方式の欠点は二日酔いになることと、油断するとつい酒を控えて吐かずに寝てしまい、すごく太ってしまうことである。太った。二日酔いにもなった。やめた。

 運動で痩せるというのもあまり効率の良い方法ではない。
 たとえば軽いジョギング30分では約300キロカロリーを消費する。しかしながら、もし私が30分のジョギングをやり遂げたとしよう。心地よい疲労と達成感で深い満足とともに、ビール大ジョッキくらいは一気に空けてしまうだろう。これが300キロカロリー。差し引きゼロ。おまけにつまみで柿ピーの小袋を食ったとして220キロカロリー。つまみの分、逆に太ってしまうのである。
 この試算はむしろ控えめなのである。現実に去年スポーツクラブに行ったときは、ビール中ジョッキ3杯、ソーセージ、鶏唐揚げ、ジャガイモサラダを摂取した。ジョギング30分以上の運動量をこなしたとはいえ、明らかにオーバーカロリー。運動がいかに太るものか、この例からもおわかりだろう。

 カロリー計算で痩せる、というのも大きな障害がいくつもある。
 第一に、私は酒を飲む。ダイエットブックなどを読んでみると、まず最初に、当然のように、「もちろん、アルコールはいけない」と書いてある。私はここで本を投げ捨ててしまうのだ。私のことをなんだと思っているのだ。酔っぱらいだぞ。
 第二に、脂っこい物が大好きである。筑前炊きよりは鶏唐揚げを、ヒレカツよりはロースカツを、ジャムパンよりはカレーパンを、躊躇なく選んでしまう。「困ったときには油炒め」「楽しいときには揚げ物」をモットーとする人間なのだ。
 第三に、自炊生活である。よく本に「外食はカロリーが高いので自炊にしましょう」と書いているが大間違いである。自炊は太る。
 例えば外でトンカツ定食を食べる場合、トンカツは1枚だろう。自宅では2枚揚げてしまうのである。外で食べる餃子定食の餃子はせいぜい8個だろう。自宅では20個焼いてしまうのである。例えば「きょうは豚シャブが食いたいな」と思ったとしよう。駅前のスーパーで買い物をする。豚薄切り400グラム、ホウレン草1把か白菜半分、豆腐1丁、モヤシ1袋、胡麻しゃぶだれとポン酢と紅葉おろし、これだけ買うのだ。鍋に昆布を敷いてにんにくをひとかけ丸のまま放り込み、水を入れてコンロにかけ、煮立つのを待っていると、これはまごうことなき鍋である。鍋の見本である。優に4人家族の楽しい団欒をまかなうに足る量の鍋である。それをひとりで食うのである。これで太らなかったらどうかしている。
 これら飲食生活を改善すればたちどころに痩せる、というわけだが、そんな生活には耐えられそうにない。1日1本の缶ビール、夕飯は近所の定食屋でレバニラ定食、自炊禁止、揚げ物禁止、ううむ、考えただけでストレスが貯まる。きっと1週間以内に罪もない通行人に殴りかかって連行されてしまうだろう。太った方がマシだ。

 というわけで減量への努力(しとったんかいな)がことごとく潰えた私だが、だてに策士、軍曹と呼ばれているわけではない。最後の秘策があるのだ。
 それは、喫煙である。
 大学時代、1日1箱の煙草を消費する私の体重は60キロ弱だった。その後なしくずしに禁煙し、体重は増え、70キロを常時維持するに至ってしまったのである。
 煙草には4つの減量効果がある。第一に、煙草を吸っている間は口がふさがっているので食物の摂取を妨げる。第二に、フィルター越しに煙草の煙を吸うことは深呼吸とおなじ運動効果がある。第三に、酒を飲んで煙草を吸うと二日酔いの効果を倍増させ、飲酒翌日の食欲を確実に夕方まで抑制する。第四に、ニコチンの害で心肺機能が低下し、重い体重を維持することが不可能になり、嫌でも体重が低下する(か、もしくは死ぬ)。
 何事につけずぼらな私は、煙草に対してもずぼらだった。毎日毎日、たゆまぬ喫煙こそが大事だったのに、続けることができなかった。喫煙を継続できなかったのは私の意志の弱さからである。
 ここは心機一転、喫煙を再開しようではないか。されば体重は昔の60キロ弱に戻ること、ゆめ疑うなかれ。


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