毛沢東トランプの謎

 もし敬愛の念と商業利用が両立しないものならば、チェ・ゲバラ、ジョン・レノン、イエス・キリストの扱いは悲惨なものだと言えるだろう。

 今日の北京観光の目玉商品のひとつは毛沢東である。それは空港売店や免税店といった、いわばオフィシャルな店でこそ日陰に隠れているが、王府井の観光商店街や万里の長城の土産物屋など、あやしげな地でこそ、その実力を発揮する。
 商業利用されるキャラには、ビジュアル的な理由がある。最初に挙げた3人もそうだ。ゲバラならあの髪型とヒゲ、レノンならあの眼鏡、キリストはあの冠とヒゲと十字架。一目で「あ、あれだ」とわかる風貌こそが強みである。
 毛沢東のビジュアルにも、あの広い額、独特の髪型、誰も真似ができないあの微笑、という強烈な特徴がある。毛沢東にくらべると周恩来なんて眉毛が太いだけの田舎のおじさんだし、ケ小平なんてヨーダと吉田健一のアイノコにすぎない。それ以外の中国の要人、林彪、劉少奇、江沢民、習近平なんてのは顔も思い浮かばないほど没個性的だ。かろうじて江青は人民服を着てれば識別できるだろうか。

 さすがに新中国の王者らしく、毛沢東のグッズ展開は多岐に及んでいる。
 まずは定番のポスターや絵はがき。そして立体的なブロンズ像や石膏像。さらに著作の毛沢東語録。これには中国語版、日本語版、英語版、ドイツ語版、フランス語版、スペイン語版、アラビア語版、スワヒリ語版、ハングル版などがあって、どの国の観光客をも満足させるようになっている。毛主義者が政情不安なところ世界各地に出没するように、毛沢東語録も汎世界的なのだ。
 文化大革命たけなわのころ、林彪夫人の葉群が収集して毛沢東に見せ、イヤな顔をされたという毛沢東バッヂも健在である。毛沢東の各種のポーズをとったバッヂ群が、ぽつんとある周恩来バッヂやケ小平バッヂを従えているところなど、まさに貫禄十分である。
 毛沢東の姿がプリントされたTシャツやタオルやスカーフやバッグなどなどは、ゲバラ、レノン、イエスの御三家でもおなじみの定番商品ですな。
 キッチュなところでは毛沢東の絵皿や湯呑み。秒針が毛沢東の腕になっていて、見るたびに持ち主を鼓舞してくれる毛沢東目覚まし時計や毛沢東腕時計。毛沢東の彫像をもっとリアルにしてウレタン成形し、全身24カ所が動く毛沢東フィギュア(1/24スケール)も存在するらしい。さらには、兵馬俑の兵士像をモチーフにして毛沢東を表現したという珍品もあるとか。

 そんななかで、隠然とひとつのジャンルを形成しているのがトランプの分野だ。
 観光みやげの中ではトランプは定番だ。中国でも各種のトランプが売られている。ブルース・リーのカンフートランプ、パンダトランプ、万里の長城や兵馬俑、北京風景などの観光地トランプ。三国志や西遊記、金瓶梅や水滸伝などの古典文学トランプ。歴代皇帝や歴代皇后などの歴史トランプ。これ肖像権の承認もらってないだろ、と言いたくなるような、飯島愛や桜樹ルイや蒼井そらなど一昔前のAV女優のトランプ(これは残念ながら購入しなかったため、内容がどのくらいの露出度なのか確認できなかった)。
 しかしなんといっても、それらトランプ群を圧倒する勢いで販売されているのが毛沢東トランプなのである。

 北京の観光地で販売されているトランプのほとんど、あるいはすべてが、皇城根系列珍蔵ボク(ボクは手へんにト)克、略して皇城根というメーカーから販売されている。そのトランプについている目録によると、現在販売されているトランプは87種類であるらしい。
 この87種をおおまかに分類してみる。

・歴代皇帝、皇后など近代以前の歴史的人物 10種
・革命前の北京などの歴史的風景 8種
・満漢全席、古代衣装などの歴史的事物 12種
・万里の長城、桂林など中国観光名所 15種
・三国志、水滸伝など中国古典文学 4種
・カンフー、京劇など中国の演劇武術 8種
・毛沢東 5種
・革命から文化大革命までの歴史絵巻 9種
・マイケル・ジョーダンやコービー・ブライアントなどNBAスター 3種
・その他(世界名車、名犬など)4種
・解読不能 9種

 このうち毛沢東主演は、毛沢東の部と歴史絵巻の合計14種である。これだけでも個人の占める割合としては異例なほど高いが、京劇ものも多くが江青の作った、いわゆる革命京劇であり、毛沢東が随所に登場する。さらに観光名所の風景の中にも毛沢東がさりげなく登場したりするから、おそらく87種のうち30種くらいには毛沢東が出没するのではないだろうか。

 ひょっとしたらこれがすべてではないのではないか、単にトランプの一面に文字を印刷できるのが87種類だっただけで、もっと多種のトランプを製造しているのではないか、と思ってぐぐってみたら、やはりありました皇城根のサイト。ムリョ227種類のトランプを数える。
 ざっと見ただけでも、山口百恵から少女時代、ウルトラマンからセーラームーン、黒執事からドラゴンボール、ありとあらゆるジャンルを網羅していますなあ。網羅するジャンルが多少偏っているきらいがなきにしもあらずですが。
 こちらのサイトでは飯島愛や佐々木希などのAV女優トランプも堂々と紹介している。してみると、版権問題はちゃんとクリアしているのかな。露出度は残念ながらイマイチというかイマゴくらいのようだが。
 プーチン、カダフィ、ビンラディンのトランプという珍品もある。当然というべきかなんというか、チェ・ゲバラのトランプも存在する。残念ながらジョン・レノンとキリストのトランプがないのは、文化的な制約であろうか。
 さすがにこれだけの種類を並べると、毛沢東も埋没しがちなのはしかたがないかな。

 しかしこちらで紹介している、「54名人シリーズ」のアナーキーさが凄い。「肖像54名人」ではヒトラーとアインシュタインが並んでいるし、「政治54名人」ではスターリン金正日とガンジー小泉純一郎が並列している。「科学54名人」は比較的おだやかなようだが、「芸能54名人」ではシェイクスピアとMr.ビーンが仲良く並んでいる。「商業54名人」は私にはなじみのない顔が並んでいて識別できかねるのだが、アップルのジョブスがちゃんと入っているようだ。「声界54名人」は声優トランプかと思ったがそうではなく、演説や司会などで有名だった人を並べているようだ。
 そしてこれら54名人の中に、毛沢東も堂々と登場していることはいうまでもない。
 ひょっとするとこの227種類のトランプの中にも、毛沢東が80種くらいは参加しているのではあるまいか。

 私はすぐにでも北京に飛び、このトランプの販売元に押しかけて全種買い占めたい欲望と戦いつつこれを書いています。



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