3人のゴールド

あらすじ
 北の国の政治家、成沢(ソンテク)ルージは無慈悲な我利我利亡者で、他人を陥れ民衆から収奪しながらのしあがってきた男である。
 そんな成沢ルージのもとに、あるクリスマスの前日、黄博士の亡霊が訪れる。
 黄博士はかつての同僚だが、成沢ルージが誹謗中傷して失脚させ南の国に追いやり、そこで窮死した男だった。
 クリスマスまでに成沢ルージのもとに3人のゴールドがやってくることを告げ、黄博士は消えた。
 やがて現れた第一のゴールドは、頭がふたつあるかと思えるほど大きなコブが首のうしろについた長身の老人。
 彼は成沢ルージに過去の幻影を見せる。
 地上の楽園建設に希望を燃やした若き日の成沢ルージ。やがて理想を失い、私利私欲に目覚める成沢ルージ。恋人を捨て、政府要人の娘との結婚を選ぶ成沢ルージ。
 ふと目覚めた成沢ルージの前に、第二のゴールドが出現する。
 第二のゴールドはちんちくりんの小太りの中年男。彼は成沢ルージに、ちょっと前に終わった現在の幻影を見せる。
 クリスマスどころか毎日繰り広げられる深夜の饗宴。イギリスのスモークトサーモン、黒海のキャビア、松坂のサーロインステーキ、ペルシャのメロンなど、よりすぐりの珍味。コニャックとシャンパンがざぶざぶと消費され、ダンヒルの煙草がもくもくと林立。半裸の若い娘たちがかしずき、偽の百ドル札がばらまかれる、いつ果てるともしれぬ狂宴。
 いっぽう、国のあちこちでは食うものがなくて民衆がばたばたと餓死している状態だが、成沢ルージは「自助努力でなんとかするんだな。これからは我が国も改革開放政策を導入していかなければならん。天は自ら助くる者を助く」と冷酷にうそぶくのであった。
 ちょっと前に終わった現在の夢から覚めた成沢ルージは、第三のゴールドを待つ。


 第三のゴールドは、第二のゴールドによく似たちんちくりんの小デブでした。違うのは年齢だけでした。
「ゴールドさま」成沢ルージはおそるおそる話しかけました。
「あなたさまのお仲間のおかげさまで、わたくしめも貴重な体験をさせていただきました。今度はどのようなものを見せてくださいますのでしょうか」
 ゴールドは何も言わず、ただ前方を指さし、動きだしました。成沢ルージはその影のあとをついて行くのですが、その影が自分を運んでくれるような気がしていました。
 そこはごく普通の平壌の街角でした。ゴールドの指は、立ち話をしている二人の男をさしていました。
 成沢ルージはその二人とも見覚えがありました。ひとりは部下として使ったことのある男で、収賄で収容所に入れられそうになったところを、全財産を将軍様に献金してようやく許してもらえたのでした。もうひとりは日本の企業と取引をしている実業家で、こちらも不正利得のうわさが絶えない人間でした。
「やあ、今日は」
「おや、今日は」
「とうとうあの悪魔め、くたばったじゃないですか。ねえ?」
「いやあ、私も驚きました。しかし寒いですな」
「クリスマスだから、これが普通でしょう。ところで今日はあちらの方は?」
「どうにも忙しくてねえ」
 会話はそれだけでした。成沢ルージは、なんで貴重な時間をこんなつまらない会話を聞くことに費やすのだろうといぶかしみながらも、ゴールドと同じように黙っていました。
 ふたりは通りを抜け、ものものしい門構えの中に入っていきました。成沢ルージはこの建物を知っていました。それは軍の施設でした。
 軍服に身を包んだ男たちがそこらにたむろしていました。かすかに硝煙と血の臭いがするような気もしました。
「グズのおやじさんも、今回はえらく思い切ったもんだなあ」
「なんといっても上からのお声掛かりだからなあ。断ったらえらい目に遭うよ」
「しかしぶざまな死にざまだったなあ」
「ああ、泣きわめいて椅子にしがみついてなあ」
 その横を通り抜けていく男は、同じ軍服ですが勲章がたくさんついていました。
「やれやれ、ようやく肩の荷がおりたよ」
「閣下、11時から幕僚会議です」
 成沢ルージはたまりかねて、そっとゴールドに話しかけました。
「ゴールドさま、ゴールドさま、これは一体どういう教訓なのでしょうか。私にもわかるようにお話しくださいませ」
 しかしゴールドは何も言わず、先に進むのでした。

 やがて到着したのは、よほどの特権階級しか住めない、平壌の高級住宅地でした。
「ゴールドさま、なぜ、こんなところに……」
 成沢ルージの声はふるえていました。その大邸宅には見覚えがあったからです。
 その一室の入口ちかくで、ふたりの警官が敬礼していました。
「同志、それではこれで失礼いたします」
「さっさと帰んな」老女の濁った声が答えました。
「できればあのゴミクズも持って帰ってほしいんだけどね。うちにゃあんなもんいりゃしない」
 朝からスコッチウイスキーを生のまま飲み続けていたらしい、その女が毒づきました。
 成沢ルージはぶるぶるふるえながら、この光景を見守っていました。
「まったくもう、あの亭主ときたら、若い女にかまけて帰ってきやしない、帰ってきたと思ったらこれだ。もう私の地位もなんもかんもメチャクチャだよ」
 老女はやけくそのようにがぶがぶと酒を飲みました。

 やがて二人は隣の部屋に入りました。
 冷えきった部屋のなかに寝台があり、そこに豪勢な部屋には似つかわしくないぼろが横たわっていました。
 成沢ルージはぎょっとして後ずさりしました。ぼろぼろの麻布の下になにか覆いのしてある物が横たわっていたのです。
 ゴールドはそのゆるぎない冷たい手で、そのぼろを指さしていました。
「ゴールドさま、わたしにはできません。私にはその力がないのです」
 しかしゴールドの指は動かず、じっとぼろを指さすのみでした。
 成沢ルージはふるえながら、「国家転覆を企んだ極悪人」「犬にも劣る醜悪な人間のくず」と乱雑に書き殴られたぼろ布をとりのけると、
「ああ、ゴールドさま! そんな、いやだ! いやだ!」
 と叫びました。
 体中が蜂の巣のように穴だらけになり、あちこち血の噴き出したものが固まってこびりついていましたが、それは成沢ルージの顔に間違いなかったのです。
「ゴールドさま!」
 と、成沢ルージはゴールドの衣にかたく、しがみつきながら叫びました。
「私は心を入れ替えました。もう、あんな人間には決してなりません。だから、これは夢だ、心を入れ替えなかったらそうなっていたかもしれない、単なる幻だとおっしゃってください!」
 だけどゴールドの手はただ冷たく、成沢ルージの死骸を指さすのみでした。
 成沢ルージはその手にすがりつき、
「お願いです! 心から人民を愛し、決してゴールド様のおぼしめしに逆らうことはいたしません! だから、だからこれ可能性のひとつだ、やり直せることだと、どうかおっしゃってくださいませ!」
 ゴールドの手はふるえましたが、恐ろしい力で成沢ルージの手をふりほどき、へたへたと小さく縮んで消えてしまいました。

 そしてふと気づくと、成沢ルージはたったひとりで、ベッドに寝ているのでした。
 ちょうどそのとき、平壌にたったひとつだけある、外国人観光客向けの教会の鐘が鳴り響きました。
「してみると今日はクリスマスなのだな。おお、おお、クリスマスの日に、おれはまだ生きている!」
 成沢ルージは泣いたり笑ったりしながら部屋の中でとびはねるのでした。
「ゴールドさま、ありがとうございます! あなたがたの教えはけっして忘れません!」

 それから成沢ルージは心を入れ替えたのでした。
 酒と煙草を断ち、人民の気持ちを文字通り味わうため、コーリャンとトウモロコシ粉と唐辛子抜きのキムチしか食べず、歩いてオフィスに通うのでした。
 そして路上でひとりぼっちで飢えている老人を見つけたら、子供の代わりとなって食を与え、両親に死なれてボロをまとった宿無しのコッチェビがいたら、父親の代わりとなって育ててやるのでした。
 成沢ルージの同僚たちは彼が別人のようになったのを見て笑いましたが、彼は笑うままにさせておき、気にかけませんでした。この国では何事も善いことなら必ず笑いものになるということを知っていましたし、笑う人たちは祖国の運命が見えない盲人だということを知っていたからです。

 もうすぐ北の国が滅びると思ってほくそえんでいた、腐敗した資本主義国の豚どもはあてがはずれてしまいました。
 その元凶ども……オバカなので「オバカ大統領」と呼ばれているアメリカの首領、父親の悪行について聞かれるといつも聞こえなかったふりをするので「バックレ大統領」と呼ばれている南朝鮮のボス、古き良き時代を懐かしむ同志は兵隊を使って逮捕し片っ端から収監するので「収監兵国家主席」と呼ばれている中国のドン、都合が悪くなるとお腹と頭が爆発するので「あべし首相」と呼ばれている日帝の親玉は、額を寄せ合って
「わけがわからないよ。頭が痛い。私にオバカケアをくれ」
「もうすぐ北の体制は崩壊して私の領土になると思ったのに、先に崩壊したのは私の求心力だわ」
「いままではわしに従って資本主義に寝返る改革開放路線だったのに……工業団地や鉄道敷設の飴玉をしゃぶらせようとしても言うことを聞きやがらねえ。くそ、チベットやウイグルなら力づくでも言うことを聞かせるんだが」
「あんたの国ですら共和国をコントロールできなくなったのか……まるで我が国の原発のようだ」
 とぼやくのですが、どうにもならないことでした。

 それ以来、ゴールドは現れることがありませんでしたが、朝鮮の人民は成沢ルージのことを心から讃え、「人民の父」とも「成沢ロース」とも呼ぶようになり、毎年のクリスマスには成沢ロースの格好をした人民がクリスマスと成沢ルージを祝うようになったのでした。
 どっとはらい。


戻る          次へ