かび臭い生活。

 ここ数日、寝室を隣に移している。
 まあ半分は気分転換だが、パソコンのある部屋と寝室を別けたいというのが正直なところ。パソコンの放散熱で暑苦しいのもあるが、どうもあの画面がいけない。夜はつい魅入られてしまいそうになる。
 というわけで隣の部屋に布団を敷いて寝ている。
 この部屋はいまのところ空き部屋なので、荷物置き場になっている。
 段ボール箱が20個くらい、乱雑に積み重ねてある。
 その中身のほとんどが本だ。

 とりあえず読んだので詰めてある本や、面白そうなので田舎から持ってきた本や、弟が置いていったままの本や、とりあえず置き場がないのでここに置いてある本が、乱雑に並んでいる。
 どのくらい乱雑なのかというと。
 大岡昇平「武蔵野夫人」。
 中日新聞(中日ファンの弟が買った近藤ドラゴンズ優勝の日のだ)。
 西尾幹二「ソ連知識人との対話」。
 佐賀純一「浅草博徒一代」。
 吾妻ひでお「便利屋みみちゃん」。
 本多勝一「マスコミかジャーナリズムか」。
 中村浩「糞尿博士・世界漫遊記」。
 生出寿「凡将・山本五十六」。
 シュルツ「遠くへ行きたいチャーリーブラウン」。
 村上吉男「国際スパイ都市・バンコク」。
 梅図かずお「猫目小僧」。
 野中健一「虫食む人々の暮らし」。
 さあ、どんな趣味指向、思想宗教の人間か、わかるもんならわかってみい、という感じになってしまっているのだ。

 もう読んだのもだいぶ前なので、読み返してみると面白いこともあるし、読んでなかったものもある。
 てなわけで段ボール漁りの日々が続いている。
 ところで段ボールって、どういう意味だろ。段はなんか分かるような気がするけど、ボールがねえ。

 ソ連とか東欧とかインドとかの本が多いのは、なんとなく、そっちの国だったらがんばれば理解できるかも、って思っちゃったから。アメリカや日本やフランスは、なんかもう、理解しようって気にもなれないくらいわからなかったんで、意外とロシアやインドの方が理解できるかもしれんと思っちゃったんだよなあ。結局、理解できてないけど。
 理解できてない理由の95%は私が阿呆なせいだが、それだけではすまされないものもあるぞと、読み返してみて思った。
 国際関係研究会「クレムリンの論理」(日本工業新聞社)には、このような文章がある。

「ソ連の行動は、謎の中に包まれた謎である」―いまさら引用するのも気恥ずかしいくらい人口に膾炙した、チャーチルの言葉である。
 ところが、幸か不幸か、ブレジネフ政権下のソ連の対日政策の目標や行動に関する限り、故イギリス首相ほど深刻に当惑してみる必要はない。というのも、それは、昨年の流行語でいえばクリスタルな、いたって分かりやすい類のものだからである。

 ……わからん。
 分かったのは、「ああ、この本が出た前年に、田中康夫がデビューしたんだ」ということだけ。
 「なんとなくクリスタル」って、分かりやすいって意味でしたっけ?
 平明な文章で内容も乏しいっていう皮肉なの?
 単にクリスタルだから透明と、そう解釈すればいいの?
 本気で悩んでしまいました。

 荒松雄「現代インドの社会と政治」(中公文庫)は、「まえがき」を読んで突っ伏した記憶が蘇った。

このささやかな書物の直接の契機になったのは、1952年から56年にわたった私のインド留学であった。

 全然、現代じゃねえ。
 おかげでこの本にはガンジー王朝の話題も、インディラ・ガンジーの国民会議私物化も、映画「インドの仕置人」にみられる役人の腐敗も、なんにも出てこない。
 古本って奴はこれだから怖い。しかしなあ。文庫化したの1992年だぜ。題名くらい変えてほしいよなあ。と思ったら、裏表紙に、「若き日の近代インド研究」と書いて逃げてやがるぜ中公文庫。ひきょうだぞ中公文庫。

 鈴木康久「西ゴート王国の遺産」(中公文庫)は、なにか面白そうな内容がありそうで、2、3回チャレンジして読み切れなかった本だが、今回その理由が分かった。固有名詞がみなスペイン語表記されているため、私が知っている名前に翻訳するのに、やたら時間がかかるのだ。
 たとえばポエニ戦争を戦ったカルタゴの名将アニバル。まあこれは、ハンニバルのことだなと本にも書いてあるし、すぐ分かるが、ローマ側の名将ププリオ・エスピシオンとなると、ププリウス・スキピオのことだと理解するのに時間がかかる。さらにローマのシラとマリオの内紛になると、スラとマリウスのことだと、もう推理するしかない。ローマの将軍もアウグストやガルバはわかりやすいが、ベスパシアノ(ウェスパシアヌス)やトラハノ(トラヤヌス)、アドリアノ(ハドリアヌス)になると判じ物に近い。ローマを滅ぼしたウノス族のアヒラ(フン族のアッチラ)となると、もうなにがなにやら。
 そういう固有名詞の難関を突破すると、ようやく西ゴート王国の建国と歴史にたどりつく。
 西ゴート王国の序盤の歴史では、王は将軍の内乱により数年でその座を去るのが一般だったらしい。
 ところが686年の第6回の宗教会議によって様相が変わってくる。
 この宗教会議では、剃髪した者は王になれないと定めた。聖職者と王位を兼任することを禁ずる、政教分離の規定だが、これを逆用して王位を奪う者が、その後続出した。
 その後、トゥルガ王、バンパ王が、毒を飲まされ意識不明の間に剃髪され、気がついたら王位を奪われ修道院に放り込まれていた。
 剃髪した者は王になれないという定めは隣のフランク王国でも共通であったようだ。キルペリク1世の息子メロヴィクは、自分の息子を皇帝にしようと企むフレングルドの命令で、長髪を切られて追放された。日本でいうと花山天皇の落飾のようなものだろうか。

 やがて時勢が血なまぐさくなるにつれ、髪を剃るだけでは飽き足らなくなり、王や王位争奪賢者は、ライバルの目をくりぬくことを得意技としていく。
ロドリゴ王は2代前のエヒカ王に目をくりぬかれたが、なおも屈せず、約10年後王位に就いている。
 アルフォンソ2世に挑んだネポシアーノ、アルフォンソ3世に挑んだフルエラの息子ルムードとオドアリオ、ラミロ2世に挑んだアルフォンソ4世とオルドーニョとラミロ、彼らは可哀想に、くりぬかれっぱなしであった。
 目をくりぬくのは、おそらく地中海を隔ててアフリカに勢力を伸ばしてきたイスラム国家の影響であろう。10世紀頃のカリフは目を潰されるのが流行だったらしく、19代のカリフ、アル・カーヒル、21代のカリフ、アル・ムッタキー、22代のカリフ、アル・ムスタクフィーはいずれも両目を潰されて廃位させられている。イスラムでは目をくりぬくのではなく、目に焼けた鉄串をさしこむのが通例であったという。
 同時代のビザンチン帝国では、目を潰すのではなく鼻を削ぐのが流行だった。コンスタンス2世は競争相手である叔父のヘラクロナスの鼻を削いで追放した。ユニティアノス2世はレオンティウスに鼻を削がれて皇位を追われたが、黄金の鼻をつけて軍隊を率い、自分を追ったレオンティウスの鼻を削いで皇位にあったティベリウス2世を倒し、鼻無しでのカムバックも許さぬよう首をはねた。

 十返肇「昭和文学よもやま話」(編・吉行淳之介:潮出版社)は、買ったまま放っておいた本だった。
 作者は戦前からいた批評家で、「井上靖は粗製濫造」「坂口安吾は雑文ばっかり書き殴って」「三島由紀夫は吹けば飛ぶよな才人」「有吉佐和子はマスコミタレント」等の毒舌からして、えらく老大家だと思っていたが、死んだのは四十九歳か。若いなあ。私の産まれた年に死んでる。なんか、他人事とは思えない。
 「文壇けちん坊」「文壇奇人伝」など、すいすいと読みやすい文章が面白く続くが、中で、あれ? と思った文章があった。

 堀田善衛は、小説「香港にて」で、こう書いている。
「香港のホールでは、アルコール類を売らない。コーヒーか紅茶である。酒を飲みたい人は、地下室にあるバーまで、そのたびにエレヴェーターで往復しなければならない。また、ダンサーと一緒に飲みたい人は、いわば連れ出し料金を払わねばならない。ホールは午後一時までで、それ以前に連れ出したい人はその旨をマネージャーに話し、時間内連れ出し料を払うのである」
 堀田君は、何回も香港へ行っているので、私も”そういうものか”と信じた。

 ……あれ?
 なんかここだけ、記憶しているような文章が出てくる。
 私が堀田善衛の「香港まで」を読んだことはないのに、その文章になんか見覚えがある。
 ……たしか、これだ……、と、持ってきたのは北杜夫「高みの見物」。

 一方、四文作家もガイドブックをひらいて、
「香港では、ナイトクラブに女はいない。女のいるのはダンスホールである。しかし、ダンスホールでは一切酒は飲めない。出るのは支那茶と西瓜の種子である。もし女と酒を飲むためには、ダンスホールがひけてから、或いはそれまでの金を払って、彼女をナイトクラブに誘うことである」
 などと読み、(後略)

 ……似てません?
 気のせいかなあ。
 偶然の一致かなあ。
 それとも、ガイドブックが堀田善衛の「香港まで」をパクったのかなあ。

 ジョン&アン・スペンサー「世界の謎と不思議百科」(扶桑社ノンフィクション)は、1995年執筆、日本語訳の発行が1997年。「科学では説明つかない不思議現象の数々」とはいうものの、12年間のあいだに説明ついちゃったのもいっぱいあるねえ。ミステリサークルとかサイババとかトリノ聖骸布とか。
 なかでも呑気きわまるのがこの談話だ。

「イルカがリラックスさせてくれたおかげで勝てたのさ」
 ナイジェル・マンセルは、1993年にオーストラリアのクィーンズランドでおこなわれたインディカー・レースのあとでこう語った。彼は1994年のレースの前に、またイルカたちと泳ごうと考えている。

 ちなみにマンセルは1994年未勝利に終わり、95年には事実上の引退。なによりも94年には、よきライバルのセナが事故死している。明らかにマンセルは、イルカと呑気に泳いでる場合じゃなかったのだ。

 「世界の謎と不思議百科」には、「暗合―偶然の一致」という項目もあって、有名なリンカーンとケネディの副大統領がジョンソンとか、秘書の名前がお互いみたいなシンクロニシティを紹介している。
 偶然の暗合といえば、さっきの堀田善衛もそうだが、志水一夫「トンデモ超常現象レポート」を、「ああ、こんなのも買ってたねえ」と読み返している最中に、ガンで病死との訃報を見たんだよねえ、ネットで。享年五十五。これも若死に。


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