皮散らし

 その小屋は、播但街道を見おろす小山の上に建っていた。
 風の止まった夏の空気は、木陰にいてもむっとするくらい暑い。
 小屋の中はさらに暑かった。
 ふたりの侍が、戸口に貼りつくようにして、だらだらと汗を流している。
 小屋の主人は、そんなことも知らぬふうで、汗もかかず、平気で火の前に座っている。
 ふいごで煽られた炭火が、白い炎となって燃えあがる。
 男は炎にかざして、赤くなった平たい鉄塊のうえに、炭の粉をぱらぱらとふりかけている。
 炎で照らされた男の顔には、おびただしい刀傷の痕がある。
 傷痕がわずかに動き、男は口を開いた。
「明日の朝でいいのだな」
 汗だくの侍が答える。
「左様。明日の朝、大阪方の者が北から街道を通って竹田の街に向かうはずだ。秘密裏に切り捨てていただきたい」
「殿が内府殿に密書を送った件、けっして知られてはならぬのだ」
 男は振り返ろうともせず、鉗子で鉄塊を曲げながら言った。
「金五枚、置いていけ」
「また金五枚か」
 侍がぼやこうとしたところで、初めて振り向いた男は言い放った。
「太刀ひとふりと引き替えだ。五枚は高くあるまい」

「明日は早暁のうちに出立いたします」
 若い武士は、弾んだ声で語った。
 国安は膝を崩し、盃を傾けながら、その言葉を聞いている。
 安之進は正座したまま、にこにこと微笑んでいる。
 ここは丹波から但馬へ抜ける国境の寸前、夜久野の宿である。
 国安ら二人と相宿になったこの若い武士は、但馬赤松家の家中、榊小津馬と名乗った。
「五年の修業のすえ、京で吉岡流の印可をいただきました。これでようやく、美美どのと一緒になれます」
「美美さまのお父上は、赤松家の剣術指南役、欅鎮玄斎さまだそうですね」
 安之進が口をはさむ。
「はい。ですから武芸には厳しく、娘をやる男は、武芸に秀でた者でなければならぬ、と申されまして」
「そのため当代一流の吉岡流をきわめ、晴れて所帯がもてるわけだ」
 国安は盃を置き、独り言のようにつぶやいた。
「いえ、まだ、そう決まったわけでは」
 若い武士は、ちょっと顔を紅くしてうつむく。
「きっと大丈夫ですよ。おめでとうございます」
 安之進は明るい声で断言した。

 早々に床をのべたあと、屏風のむこうの寝息をうかがいながら、安之進と国安は、小声で話をした。
「いまごろ、恋人の夢を見ているんでしょうね」
「ふむ」
「幸せそうで、いいですね」
「安之進も嫁が欲しくなったか」
「そんなんじゃありませんってば」
 国安にからかわれ、安之進は頭から布団をかぶった。
 暗闇の中に、若い武士の、幸せをかくしきれない笑顔がうかんだ。

 その顔が無惨にも、血塗れになっている。
 草いきれがむっとするほど暑い、街道の脇の、丈の高い草むらに隠れるように、若い武士の屍が横たわっていた。
「だれが……こんなことを」
 立ちすくんだまま、安之進は譫言のように、それだけ言うのがやっとだった。
 その目から涙がひとつぶ、こぼれた。
「わからん」
 うずくまって屍の検分をしていた国安は、周囲を鋭い目で見渡した。
「街道からここまで、引きずってきた跡がある。おそらくこの男をどこかに捨てようとして、私たちが来たのに気づき、逃げたのだろう」
 国安は屍の顔を見た。傷だらけで血まみれではあるが、致命傷ではない。
 屍の身体をさぐってみて、致命傷をみつけた。脾腹が深くえぐられている。
 国安は若い武士の顔を、ふたたび子細にながめた。
 おびただしい金属片が、頬や額や眼球までも、その顔を無惨に突き刺している。
 その金属片のひとつを、国安は眼球から引き抜いた。そして瞼を閉じさせた。
「これは、刀の皮鉄だな」
 国安はひとりごとのように呟くと、やにわに立ちあがった。
「安之進、宿に戻るぞ」
「えっ」
「あした、ふたたびここへ来る。この男のとむらいは、仇討ちのあとだ」

 その翌日。
 街道の同じ場所、あの若い武士が死んでいたところで、国安は見知らぬ男と向きあっていた。
 男の顔貌には、おびただしく醜い刀傷の痕がのこっていた。
 街道はあいかわらず、風も止まりうだるように暑い。
 しかしふたりの間には、冷たい空気が流れていた。
 男が、ようやく口を開いた。
「昨日はぬかったわ。まさかおのれより先に別な男が来るとはな」
 国安は答えない。
 男は、勝ち誇ったように宣言した。
「しかし、またここへやってくるとは、俺にとってまことに有り難い」
 国安は答えた。
「わしに間違えられて殺された、その罪もない男の、仇を取りにきたのさ」
「ほざくな」
 男は上段に構え、国安へ走りより、そのまま剣を、まっすぐに振りおろした。
 国安は太刀を受けず、飛びすざって避けた。
「なるほど、つい受けてみたくなるほど、甘い撃ちこみじゃ」
「――」
「わしも刀鍛冶のはしくれじゃ。あの刃、芯鉄にかぶせる皮鉄じゃが、炭をよほど入れたな。硬い、硬すぎるぞ」
「――」
「硬ければそれだけ脆い。刃をぶつけただけで折れる。あの刃、わざと脆くして、木っ端微塵にする工夫と知れたわ」
「――」
「その撃ちこみを受けたら最後、その刃が木っ端微塵になり、顔じゅうに皮鉄が突き刺さる。うろたえたところをゆっくりと、脇差で脾腹をえぐるという寸法じゃな。え、当たっておろう」
「――」
 男は蒼白になりつつも、国安との間合いをつめ、ふたたび剣を振りおろした。
「もはや、その手はきかぬ」
 国安は横にとびのきざま、横殴りの一太刀で男の首を落とした。

 ふたりは竹田の街に入り、榊家に小津馬の屍を届けた。
 小津馬のとむらいには欅家も参列し、美美もその席に並んだ。
 国安と安之進は両家に頭を下げ、とむらいの席を去った。
「かわいそうですね、美美さん」
「……」
「好き合って五年、やっと一緒になれるはずだったのに」
「……」
 安之進が話しかけても、国安はなにも答えず、宿へ早足で歩く。
 その後を追いながらも、安之進は美美の涙に濡れた横顔が、脳裏に焼きついて離れなかった。
(うなじが、白かったな)
 そんなどうでもいいことが、思い出されてきた。


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