原始監督

 原始監督は起こされた。よくわからないが、これから何かがあるらしい。原始監督にはこれから行うことを計画する智恵もなければ、スケジュールを立てる能力もない。すべてはその時になってから考えることしかできない。きょうのように誰かが呼びにくるから、それに従えばよい。原始監督は、それが楽しいことか不快なことかという、おおまかな二分法で物事を分類している。「ゴルフ」「宴会」「土曜ワイド劇場」「ハワイ」「タニマチ」は楽しいことであり、「野球」「ファン感謝デー」「編成会議」「甲子園」「ファン」は不快なことだ。
 どうやらこれから起きることは、不快な「野球」であるらしい。乗せられたバスは蔦のからまる古びた球場の前で止まり、原始監督は「若いの」と一緒に球場の中に追いこまれた。「若いの」は、原始監督の命令に従うという不快な義務を負わされた選手たちだ。

 相手の先発投手を予想し、それに対処して打線を組むなどといった智恵は原始監督にない。原始監督は気に入った「若いの」を適当に九人並べるだけだ。選手の個々の能力や適性を把握する知能は原始監督にない。原始監督はおぼろに、「若いの」の中でもとくに気に入っている二人だけは把握している。ひとりはより若い「若いの」で、もうひとりはやや老けた「若いの」だ。原始監督はこの二人を九人の中に入れることだけは忘れない。より若い「若いの」よりも外人の「若いの」のほうが守備範囲が広いことや、やや老けた「若いの」は二割がやっとという低打率であることを理解するためには、野球と数字を理解する能力が必要である。原始監督がその能力を発達させるのは、まだ四十六億八千七百九十万年先のことである。
 オーダーを組んだら原始監督は暇だ。そいつらが棍棒を振りかざし、投手の投げる球を滅多やたらに振り回すのをぼんやりと見ている。洗練された試合運びとはお世辞にも言えるものではない。振り回しすぎて腰や肘を痛めたら、ベンチにいる別な「若いの」と交代させる。痛めた奴はそのまま放置する。悪化しないうちに病院で手当てするという発想は原始監督にない。残念ながらトレーナーにもない。
 このように原始的な野球であっても、ながい間続けていくうちには偶然にバットがボールにぶつかり、たまたま仰角三十度の弾道を描き、うまいことスタンドに入って点になることがある。そしてまたそのような時には具合よく、なぜだかわからないが二塁に走者がいたりすることもあるのだ。
 もっといい方法があるのだろうか。原始監督はベンチで頬杖をつき、ぼんやりと考える。ぶんぶん振り回して球を打ち、スタンドまで飛ばす以外に点をとる方法なんて、きっとないんだろうな。

 ぼんやりと振るのを見ていると、「年寄り」がやってきて原始監督の邪魔をした。
「監督、次のイニングはどの投手を用意させておきましょうか」
 原始監督はたちまち不機嫌になった。原始監督には理解できない、「防御率」「コントロール」「先発適性」「クローザー」「カットボール」などという言葉をやたらに発する、この「年寄り」が大嫌いだった。原始監督がこれらの言葉を理解することは残念ながらない。そこまで智恵が発達する前に太陽が赤色巨星となって爆発するからである。
 原始監督のあいまいな分類によると、「年寄り」には二種類ある。ひとつは背広を着た「年寄り」で、これは原始監督より偉いので頭を下げなければならない。もうひとつは原始監督と同じユニフォームを着た「年寄り」で、これは原始監督の子分だからどのように扱ってもかまわない。だから原始監督は近くにある棍棒をふりあげ、
「ぐわ」
 と威嚇した。これは「いま攻撃中だからわからない」という意味である。
 「年寄り」は諦め、かぶりを振りながら去っていった。

 やがて逆に、こちらが球を投げ、相手が棍棒をふりまわす時間となった。塁上に走者が溜まった。相手は棍棒を左手にかまえている。
 こういうときはこちらも、左で投げるやつを出すのがいいと、原始監督はなんとなく思った。おぼろげな意識の中からあやふやな記憶を探し出す。たしか原始監督がまだ原始選手だった時代、やたらに小さな監督がそういうことをやって褒められていた。だから原始監督もやる。
「ぐぉ」
 原始監督は審判に告げた。これは「ピッチャーウィリアムス」を意味する。
 さっき原始監督に話しかけた「年寄り」が、ベンチの中で頭を抱えるのが見えた。原始監督はなにも言わなかったし、まだ試合中盤だから使う場面でないだろうと判断して、ウィリアムスはまだブルペンで準備させていなかったのだ。
 「年寄り」を無視してベンチに戻り、また頬杖をついて、原始監督はさっきひっかき出した記憶の残骸とたわむれる。原始監督が原始選手だった時代はよかった。原始選手は五番目に打つ役だった。それは最強打者の位置だった。一番の「顔のいいの」、二番の「ちっこい若いの」、三番の「髭のよそもの」、四番の「サルもどき」、みんな原始選手を尊敬し崇拝し、原始選手のためにせっせと塁に出て打点を稼がせてくれた。原始選手は棍棒を振ればかならず球に当たり、打球はかならずスタンドに入り、そして原始選手は三冠王と日本一の栄冠を手にした。監督の「ちっこい年寄り」は、何もせずベンチに座っているだけで勝てた。いい時代だった。
 原始監督の記憶はあやふやであるだけではなく、肛門期に固着した原始監督のリビドーによって大幅に歪曲されていた。

 こちらが左で投げるのを出してきたら、相手の監督は原始監督を見て目を光らせた。にやり、と笑うのに相当する目の光らせ方である。やがて審判に近寄り、なにか告げた。
 やがて棍棒の振り手が交代し、こんどは右で振るのが出てきた。原始監督はあっと驚いた。なぜあんなことをするんだ。せっかくこっちが左で投げるのを出したのに。
 相手の監督がやったことは、自分には理解できぬほどの高度な考えからではないか。原始監督にはそんな気がした。それが野球の初歩的な戦術であることを原始監督が理解するのは、まだ四十六億三千四百十九万年ほど先のことである。原始監督はいくぶん腹を立てているが、その怒りは智恵で相手に負けたことではなく、自分の思うように物事が進まなかったことに向けられている。
 こういうことを何百万回も何億回も繰り返し、原始監督は「ものごとは自分の思うように勝手に進むものではない」「ただ願っただけでは、自分の思い通りにはならない」「それなりの手を打たなければ、願い事は実現しない」などという教訓を得るようになるのだが、それはまだずっとずっとずっとずっと先の話である。

 よくわからんが負けたらしい。試合が終わると、若いのが寄ってきて原始監督に聞いた。彼らは「若いの」だが、試合をする「若いの」ではない。試合の前後に原始監督に寄ってきて、写真をとったり何かよくわからない言葉を発したりする「若いの」である。原始監督は、彼らを、「眼鏡」の若いのとして認識していた。眼鏡をかけている人間が多いからだ。
「きょうの先発、杉山はいかがでしたか」
 その言葉は、ずっと前からそうだったが、原始監督にとっては理解不能なものであった。原始監督が一般人なみの言語能力を獲得するのは、まだ四十六億二千八百四十五万年ほど先である。原始監督はおぼろげな意識の中で、かろうじて理解することができた「杉山」という単語をオウム返しに繰り返してみる。
「杉山? おお、もう……」
 それで納得したのか、「眼鏡」の若いのは去っていった。原始監督の就任二年目ともなると、新聞記者は慣れたもので、原始監督の発する支離滅裂な単語をつなぎ合わせて理解できるセンテンスに構成したり、原始監督の曖昧な気分を意味する単語をカッコでくくって読者の理解の助けにするなどということは日常茶飯事だ。
 さいきんは「眼鏡」の若いのがあまりうるさくつきまとわなくなったな、と原始監督は思う。それは楽なことなので原始監督は嬉しい。それが新聞記者の理解度の上達だけが原因でないことを原始監督は知らない。原始監督が就任してから球団の人気は急速に低下し、各スポーツ新聞社も派遣する記者を減らしていることを理解するためには、まだ四十六億五千九百万年ほどの歳月が必要だ。

 原始監督は未来を予測する智恵も能力もない。原始監督の理解できるのは現在と、「むかし」という、過去のおぼろな記憶がごたまぜになり、しかも歪曲された連合体だけだ。だから原始監督は、やがて自分が解任されることを知らない。四十六億年たっても、まだ解任されたままだ。つまり監督失格なわけだが、原始監督は自分が監督失格であることにも気づかないまま解任された。原始監督は無明の闇から生まれて球団を無明の闇にし、ふたたび無明の闇に去っていった。なに、名監督だって四十六億年たってみれば同じようなものだ。


参考文献:「原始人」筒井康隆


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