あとがき

 えっと、あとがきです。
 これは、あたしの五つめの作品にあたりまして、ずいぶんと前に書いたものです。

 このお話は、あたしが高校生のときに見た夢がもとになっています。
 そのときはまだこんなややこしい話じゃなく、海から竜さんが出てきてラッパを吹く、というようなもんだったと思います。
 そのお話のことをぼぉっと考えていたのが、ちょうど二年生の始業式のことでした。
 クラス替えがあって、同じクラスになった女の子を見て。
「あー! あなた、あたしが夢で見た竜さんそっくりの顔してる!」
 なんて叫んじゃいました。……すいません、女の子に言う台詞じゃなかったですよね。今は反省してます。
 その女の子、あたしにそんなこと言われても、にこにこ笑ってくれたんですよ。
「あたし、666よ。これからもよろしく」
 ついでに名前もいただいちゃって、竜さんの名前は666ということになったのでした。ごめんね6っち。

 しかし、この666には苦労したのです。
 ぜんぜん思ったとおりに動いてくれないんだもの。
 いきなり竜さんと獣さんに分裂しちゃったし。
 このお話を書いているあいだじゅう、キーを叩きながら、
「きゃー! 6っちが偶像なんか作っちゃった!」
「ひゃー! 6っちがまた天使と戦争しちゃった!」
 なんて騒ぎっぱなし。周囲にはすっかり変な目で見られるし……。

 なんてことも、今はなんだかいい思い出です。
 そして最後に。
 もし、もしもこの預言が気に入っていただけたとして。
 もしも降臨がありましたら、いつの日か、また、お目にかかりましょう……。

 この時代の私は神学やオカルティズムに夢中になっていた。当時はまだ盛んでなかった宗教を知り、その知識を吸収しようと、次々と文献を揃え始めた。さらに「大いなるロオマは滅びん」との預言や神託に熱中して荒野をさまよい、さまざまな隠者や修道士に話を聞いたものである。三島や土方巽と出会ったのもこの時代のことだ。盲蛇に怖じざる勢いで彼らによく議論をふっかけ、苦笑させていたものである。
 本書はそんな時代に書いたものなので、幼稚な見解や誤解のある箇所も多い。また得意になって、あちこちに神託だの予言だのをちりばめている。今となっては気恥ずかしいくらいのものだが、自分の若書きを尊重する意味で、あえてこれに手を加えなかった。当時の時代を理解するよすがとでも思って御笑覧いただきたい。
 本書刊行の後、重要な発見がなされたり、浩瀚な研究書が刊行されたりして、この分野は長足の進歩を遂げている。興味のある読者は近年の拙著「666の手帖」を参照いただきたい。

 読者の皆さん。
 私は今、絶望のあまりグッタリしております。
 先に「福音書」を書いたとき、いちばん多かった投書は、
「他の人の福音書はちゃんとしめくくりがあるのに、なぜあなただけは尻切れトンボなのですか」
「最後に言い訳がましい言葉を書くくらいなら、最初から書かない方がマシだった」
 といった主旨のものでした。
 ですから今回こそは、ちゃんと首尾一貫して、立派な結末のあるものにしようと、はりきって書きだしたのです。
 ところが神よ悪魔よ、またしてもへんてこな終わりかたになってしまったではありませんか。御使いが出てきてしまってはなあ。
 じつは私も、こんなへんてこりんな結末ではなく、ちゃんとした結末にしようと、原稿を書きだしてもみたのです。しかし御使いとやらが、二十章で私の原稿を火の池に投げ込んでしまったのです。まったくけしからぬ存在ですね、御使いってのは。
 それでも私は、また新しい教訓を手に入れました。
「前がきはアルファであり、あとがきはオメガである」
「初めであり終わりであると書いても、ちゃんとした結末とは言わない」

 新約聖書には、ヨハネが三人登場する。
 パプテスマのヨハネ、福音書のヨハネ、そして黙示録のヨハネである。
 この三人はキリスト教の弾圧をのがれ、はるかシルクロードを抜け、秦を経て日本にわたり、東北地方で「さんじゅわんさま」として崇められた。やがて「讃寿庵」という字があてられ、長寿の神様として祠にまつられるようになった。ヨハネが長寿の神様になるという発想は、陽気でよい。

 宗教や思想に昂揚し熱狂できる体質の人間は、どの時代のどの地域の民族集団のなかでも、だいたい一割くらいしか存在しない。
 ただ、歴史が沸騰する時代、その一割が社会の前面におどりあがり、はげしく社会をゆすぶることがある。幕末やフランス革命がその典型であろう。
 ヨハネの時代もそのような時代であった。ローマ帝国の威信はゆらぎ、ローマ教、デュオニソス教、マニ教、グノーシス教、ミトラ教、ユダヤ教、キリスト教などの宗教団体が、たがいに覇権を賭けてあらそった。「信者」と称する昂揚者の群れが、「宗教」というイデオロギーに熱狂して殺しあった。このような現象は、イデオロギーの次元で考えるよりも、いっそレミングの大移動と同じような生物学的現象と考えるほうが、人類というものを考えるうえで有益だと思われる。ヨハネもその一員、昂揚して走り回った群衆のなかの点景であったにすぎない。

 かつてヨハネが生まれ育った街を訪れたことがある。パレスチナの瓦礫のなかを歩きながら、
(ヨハネは御使いと遭わねばよかった)
 という感慨が、涙ぐむような悲しさとともに湧いてきたことをおぼえている。


戻る          次へ