ひどい恋人達

 目を覚ますと、一時間十分寝過ごしていた。もう夕方である。きょうは約束があったのだ。もう間に合わない。寝坊・ギブアップ。いやタイムアップだ。でもとりあえず、くじけずに出かけるのだ。たとえ怒られても。いじめられても耐えろ。寝坊の意志だ。
 とにかく慌てて服を着替え、顔を洗い、新宿の街に出た。忘年会の待ち合わせ時間を、もう三十分過ぎている。

 案の定、待ち合わせの場所にはもう誰もいなかった。これが新宿でなく木更津だったら待っててくれたのに。待ち人木更津。
 かわりに駅の伝言板に、でじこのイラストと一緒にこう書いてあった。
「遅いにょ! チコクにょ! ぷんぷん。先に店に行っているにょ! 北原」
 でじこ板という駄洒落なのだろうか。それにしても、女子中学生のような書き込みはなんとかしろ、北原。てゆーか、携帯電話くらい持ってネ(はぁと)。
 しかし、隣に書いてある「きみのこ」というのはいったい何なのだろうか。五郎、とか書いてあるが。

 やむなくおれは、忘年会場をめざし、歌舞伎町の方角へとぼとぼと徒歩で歩き出した。もうみんなできあがっているだろうな。みんなで楽しく飲んでるんだろうな。くやしい。お燗が煮えくりかえるくらいくやしい。後悔酒煮立たす。
 歌舞伎町の路地にはいった瞬間、おれの目の前に赤い影が現れた。
「うふ〜ん、ボウヤ、なにを暗くなっちゃってるの? きょうはみんなが楽しむ日よ」
 それは真っ赤なサンタクロースの衣装に身を包んだ、やけにセクシーな女性。よくみると衣装がメッシュ仕立てで素肌が透けて見えるのが、なお悩ましい。透けたクロースである。どうも奇抜なかっこうの人間は、いきなり現れることが多い。神出奇抜というやつだ。それにしても、どこかで見たことがある顔だ。たしかビデオだったか。どういう類のビデオだったか、それは思い出したくない。
「アタシはクリスマスイブちゃん」
「なんとなくわかるところが、我ながら嫌だなあ。お世話になったこともあるし」
 おれはひとりごちた。
「確かあんた、おれと同い年だよな」
「いやぁ〜ん、そんなこと気にしちゃ」
 クリスマスイブちゃんと自称する女は身をくねらせた。
「そして私はクリスマスアダム」
 同じくサンタの真っ赤な衣装に身を包んだ男が、唐突に登場した。ちょっと衣装が生乾きのようだ。洗濯したばかりらしい。洗濯ロースというつもりか。肉体は上ロースのようだが。
「で、なんだ。性感マッサージの呼び込みか、それともカラオケのコンパニオンか。それとも両方か。カラオケで椎名林檎の物マネをしながら、女房を売春させようというのか。アダムとイブが林檎を真似てから、不義不義不義不義あとを絶たない」
「そのどちらでもなーい! われわれは、クリスマスソングを世に広めるため、クリスマスの国からやってきた」
 クリスマスアダムが吼えると、横でクリスマスイブちゃんがキッスを投げかけた。
「そゆことで、ヨロシクね」
「クリスマスソングを聴けばー、ひとは心優しくなーる! 全世界のみんながクリスマスソングを歌えばー、世界は平和になーる!」
 なんだか相撲甚句のような節で歌うように怒鳴っている。甚句ルベルというやつだ。
「またかよ」
 おれはぼやいた。
「なんでクリスマスになると、こういうのが出現するんだ」

「ひとえに貴方の人徳のしからしむところですな」
 いつの間にかやってきた北原が、おれの横で話しかけてきた。こいつも神出鬼没なやつだ。いやこいつは軍国主義者だから、侵略鬼没か。アラブびいきだから侵略キブツかもしれない。
「うわ、北原、いつここへ来たんだ」
「いえね、上から拝見しておりますと、また貴方が楽しそうなお仲間を連れて跳梁しておられるご様子。さればさ、矢も盾もたまらずここに参上した次第」
 北原というのは、ふだんからこういう言葉遣いをするやつなのだ。
「言っとくがおれは、こんな連中の仲間じゃないぞ」
「然らず。類は友を呼ぶ、と申しまして」
「この女はルイじゃない。イブちゃんだ」

「まずはわれわれのテーマソングからだ」
 いつの間にかリースでごてごて飾られたマイクを持ち出し、アダムとイブは往来の真ん中でいきなり歌い踊る。ダンシング往来というやつだ。言葉にすれば嘘に染まる。

きみのこと好きだって
言えるはずもなくて
キーボードの上
指は止まったまま

「さてトップバッターは白組です!」
「いきなり紅白かよ!」
 おれのツッコミも無視して、ふたりはまたもや絶唱するのであった。ふたりで歌って白も紅もあるものか。音波に色があるというのか。色つきの音波でいてくれよ。

I'm blaming of a white Chemicals
Just like weapons I used, You know
Where envelopes glisten and children's licking
not to bear relayed kills in the sorrow.

「おい英語かよ、わかんないよ!」
「別に宜しいのですが貴方、三村になっていますよ。ツッコミにも当意即妙が必要ですぞ」
「しかし哀しいなあ。おれのまわりの人間はどんどんしあわせになっていくというのに、おれだけが毎年のクリスマスに女もなく、北原と酒を飲み、そしてこういう奇人変人と」
「何を言っておられるのですか。我々はみずから幸福を放棄し労苦の道を選んだのではないですか。選択労苦です。お気を確かに」
「どうもさっきから気になるんだが、このアダム、なんか関東北部のなまりがあるんだよな。イブちゃんは大阪弁のアクセントだし」
「きっと長距離恋愛なのでしょう。暇さえあれば中間地点でランデブーしているのです。ジュリーも歌っています。アダムとイブは暇、愛知会ってる」
「アホみたい」

「さて選手交代、こんどは紅組の番です。酒のこころは涙色。帰らぬあの人なぜ恋しい。女の憂さを雪見酒。めくるめく女の情念を、しっとりと歌いあげます!」
「しかも司会が浜村淳だよ!」

ねえもしも今 真っ白な傭兵が
舞い降りてきたら レジスタンスしよう
君たちに輸炭疸送るよ ジハードだから
クリスマスまで待てない 最低のプレジデント

「ぜんぜん紹介と曲が違ってるじゃないかよ! ぶっそうだし!」
「さきほどの歌もぶっそうでしたぞ」
「さあ今度は素晴らしいゲスト、今年のスポーツ界を盛り上げてくれたこの人です!」
「だから、紅白はやめっちゅうに」
 おれの抗議に耳も貸さず、ふたりは妙な角のついた帽子をかぶった。
「それはトナカイなのかい?」
 私が尋ねると、ふたりは憤然として言い返した。
「違わい、バファローだろ。バッファローじゃないぞ、バファローだぞ。うちのチームは詰まらないんだ。詰まった打球なんか、だれも打たない」
 そして高らかに歌うのだった。

恋人は三番ローズ 近鉄の三番ローズ
王の記録追い抜いて
恋人は三番ローズ 本名はカール・ローズ
米の国から来た

「それで、つまらない采配ミスがやたらにあったのか」
 こういう事態になると対抗意識が出るのか、つい茶目っ気を出してしまうのがおれの悪い癖だ。おれはいい気持ちで歌っているふたりに口をはさんだ。
「でも、やっぱりクリスマスソングといえば、『また逢う日まで』だよな」
「そ、それのどこがクリスマスソングなのだ?」
 北原が口をはさんだ。
「おそらく『きよひこの夜』という意では。また若人に通じないネタを出して喜ぶんだから」

「なんてやつだ。聖なるクリスマスを駄洒落で汚すなんて」
 アダムはおれを睨みつけた。
「さっきから駄洒落を連発しているのはどっちだよ」
 またもおれの抗議を無視して、アダムはますます怒り、殴りかかってきた。アダムの拳骨だ。
「おやめくだされ。あいや、今はクリスマス。休戦中でござるぞ」
 北原におしとどめられたアダムは、まだ怒りおさまらず、おれに怒鳴った。
「いいか、クリスマスに駄洒落を言うようなやつは、こういうことになるんだぞ」

あまりに古すぎて 誰にわかるだろう
サゲない オチない
きっと君わかんない ひとりよがりのクリスマスギャグ
サゲない オチない

「クリスマスを汚した制裁を加える」
 ふたりはマイクをおれに突きつけた。マイクから突如火が噴きだし、危うく身をかわしたおれは、背後のビルが炎上するのを見た。夜空を焦がすように、おれたちの忘年会会場は炎上していた。「クリスマスリース」と書かれた消費者金融の看板が焼け落ちる。「聖霊マッサージ」の看板も焼け落ちる。「ヤドリギの園」というピンクサロンにも火がつき、サンタにキッスしていたママが慌てて逃げ出す。「没薬」という看板をもった覚醒剤売りのコロンビア人が炎に包まれて悲鳴をあげる。「クリスマスは明日終わる」という看板をもった予言者が焼け焦げる。赤鼻の景品買いが逃げまどう。不法入国兼不法入居の外国人が立てこもるバラック建てのトーチカにも延焼する。トチカ燃えろよ根絶やししましょ。酒場が燃え崩れ、酒棚にも火の手がまわる。もろびとこぞりて逃げまどう。火はきませり。酒沸きませり。歌舞伎町ことし三度目の炎上だ。炎上のメリークリスマスだ。
 紅蓮の炎をバックに、この男女はなおも気持ちよさそうに歌い続けているのだった。こいつら、ネロかもしれない。

街はクリスマスだね
雪が降るといいね
きみに伝えたい
想い隠すように

 パトラッシュ、ぼくはもう疲れたよ。もう休んでもいいよね。おれと北原はこっそりとその場を抜け出し、カプセルホテルに逃げ込んだ。
 そして眠りにつくのだった。


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