横顔のレーニン

 リプレーの「信じようと信じまいと」風にいえば、ベトナムはハノイのレーニン像は、レーニン公園にはない。軍事博物館の向かいにある。
 もっともガイドブックの「地球の歩き方」や、神田憲行「ハノイの純情、サイゴンの夢」(講談社文庫)によると、レーニン像はレーニン公園にあると書いてある。ガイドブックはけっこうずさんな取材をするので、単なる事実誤認かとも思えるが、神田氏は実見したことを書いているので、あながち誤りとも思えない。
 ひょっとすると数年の間に、歩いたのかもしれない。レーニンならそのくらいするだろう。
 なんでもベルリンの壁が崩壊した日の深夜、レーニン公園から旧市街方面へ歩くレーニン像を見た人がいるという。そしてソ連が崩壊した日、レーニンが両手を動かせて顔を隠したのを見た人もいるという。指の隙間から見えた顔は、憤怒の表情をしていたという。
 ちなみにハノイのレーニン像は、よくあるように未来に向けて指さすポーズではない。フロックコートのチョッキをつかんでいる。神田氏によると、ベトナム人はこのポーズについて弁解したという。
「ハノイはスリが多いから、盗まれないようにポケットを押さえているのさ」

 もうひとつリプレー流にいうならば、ハノイにはレーニン像だけあって、ホーチミン像はない。
 そのかわり、ホーチミン廟がある。そこにはホーチミンがミイラとなって安置されている。レーニンをミイラにしたソヴィエト遺体保存チームの業績である。
 彼ら遺体保存チームは、これまでにレーニンとホーチミンの他にも、ブルガリアのディミトロフ、チェコのゴットワルト、アンゴラのネト、モンゴルのチョイバルサン、ガイアナのバーナム、北朝鮮の金日成などなど、社会主義圏の指導者の遺体をミイラとしてきた。
 遺体保存チームの首領だったズバルスキーはいま、ロシアで成金やマフィアの親玉のミイラを制作しながらも、北朝鮮の金正日とキューバのカストロの寿命をじっと見守っている。まるでハゲタカのように。

 ホーチミン自身は、遺言で、「私の遺体は火葬にして、灰はベトナムの大地に撒いてくれ」と言っているから、これは故人の遺志に反しておこなわれた。
 もともとベトナム人には輪廻信仰が強く、一般人も墓を農地の真ん中において、農作物としてよみがえることを期待することが多い。ホーチミンもその肉体を若いベトナムの大地に再生したかったのだろうが、その願いは踏みにじられた。ガラスの棺に閉じこめられ、低温で保存され、見せ物となって。

 ともあれハノイの地に、世界でも珍しいレーニン像が安置されている事実は動かしようがない。
 ロシアのレーニン像すら、クレーンで引き上げられて捨てられてしまったご時勢である。ポーランドやハンガリー、ルーマニアやチェコスロバキアなどの東欧ではとうに捨てられてしまった。中国や北朝鮮にはもともとレーニン像がない。
 おそらくレーニン像が残されているのは、ここハノイと、あるいはキューバくらいではないだろうか。

 そのレーニン像を見たいのだが、なかなかその機会がない。
 いや、やたらに見ているのだ。レーニン像はいわば交通の要地にあって、ハノイのどこに行くにしても、像のあるロータリーを通ることになっている。しかしながら、その通る場所が、レーニン像の、ちょうど後ろの場所なのだ。
 ハノイ旧市街、もしくはペンタイン湖の観光からホテルに戻る。タクシーはロータリーにさしかかる。遠目に銅像が見える。フロックコートに突っ込んだ右手が見える。レーニンの左横顔が見える。特徴のある禿頭が見える。尖った顎髭が、わずかに見える。しかしながらそこで、タクシーは右折し、フロックコートの裾と後ろ頭だけが、私の視界に残る。
 そればっかり。

 旅行中、ベトナムの人にはたいへんお世話になった。
 日本人の海外協力隊員だったり、ベトナム人の日本語学校生徒だったり、さまざまな人が案内してくれた。
 なぜかみんな、反応が一緒だったが。
「きょうは何が見たいですか?」
「レーニン像が見たい」
「……変わった方ですね」
 そして同行者の希望するシルクの店や水上人形劇や犬料理や蛇料理が優先され、私の切望するレーニンは、ああ愛しのレーニンは。
「もう夕方だし、あそこだけ寄るってのもちょっとめんどくさいんですよね。また明日ということで」
 と却下され続けた。
 ハノイ滞在の最終日まで。

 もうしんぼーたまらん。
 今日こそ、レーニンを見るのだ。
 真っ正面から、レーニン像を見るのだ。
 私は単独行動をとることを宣言し、ひとりでホテルから出て街並みを歩いた。
 断固として歩き続けた。
 途中から、シクロの運転手がしつこくつきまとってきた。
「ヘイ、ブラザー!」
 誰がブラザーじゃ。
「観光かい? 歩くと暑いぜ。どうだい、半日シクロで好きなところに行って、十万ドン(約七百円)ってのは?」
「……レーニン」
「は?」
「レーニンが見たい。レーニン像を見るのだ。レーニン像さえ見られたら、七万ドンくらいくれてやる」
「妙な奴だな。それにしても、なにげに値切りやがったな。まあいい。半日で七万ドンだ」
 こうして私はシクロに乗り込んだ。

 乗用車やバイクや自転車がごちゃごちゃと無秩序にいきかう道路を、シクロは快調に進む。それにしても、なんだか右折やら左折やら繰り返して、なんだか狭い道をくねくねと進んでいるようだが。
「おい、今、どこを走ってるんだ」
「心配するな。ノープロブレム」
「レーニン像だぞ。レーニン像。道を間違えてないか?」
「ドンマイ。まず最初に、面白いところから案内するよ」
「私にとって面白いところは、レーニン像しかないのだ。レーニン、レーニン像に連れてゆけ!」
「ノープロブレム。いまから、楽しいところへ案内するぜ。とぉぉぉっても、楽しいところへな」
 運転手は振り向くと、邪悪な笑顔を見せた。

 それがちょうどロータリーの近辺だったのだろう。レーニン像が右手に、ちらりと見えた。特徴ある禿頭。尖った顎髭。小汚い建物越しに、かろうじて右横顔だけが見えた。はじめて見る、右横顔だった。
 シクロは快速で走ってゆく。どこへとゆくのか。
 助けてレーニン。


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