Evangelion Genesis y:x 更新日誌(1998 年 12 月)

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12 月 31 日。
去年は SS 書き していた。 今年は、3 箇所の BBS への書き込みに忙しい。

ものすごくダラクしてるな....
が、まあ、いつだったかに書いた抱負にちょっと近いのは確かなんで、ま、いいや :-)


12 月 30 日。
ここ数日の生存証明は 現代アニメ考 BBS 。 「二次創作は一次創作をあたかも言語の一部のようにして扱ったものだ」 といった論を展開してたのでした。私のオリジナルでなくて、元ネタがあるんだけど 元ネタな人は 評論ホームページ 持ってる割にそれについて書いてないので、 ぜんぶ書かねばならんかった ── 上に理解と記憶頼りだから 元ネタからはきっと変わってることだろう :-p

さて、今日は大掃除。キーボードの掃除なぞする。 atropos の奴は 101 キーである。一個一個それなりの洗剤浸けて拭いていくのだが、 .... あたりまえだが 101 回繰り返さなければならない。

「ふっ。109 キーの奴め、1 割近く多いでやんの、大変だなあ、ええ?」
と 109 キーを使っている知らない人の顔を思い浮かべ対比して安心しようとなんだろうと 101 個というのはやたらに多いという事実はぜんぜん動かないのであった。 それに表面積は 5% も違わんし。 OmniKey は本来キートップリムーバが付いて来てるんだけど、 んなもんどっかにしまってしまった。 次回までに探しだそう。たぶん PC 系のジャンクの箱の中だろうが....

ところで洗剤は FUJIFILM の レンズクリーニングリキッドを使った。
光学レンズ用でかなり高価である ;_; そのうえプラスチックには使うなと書いてある^_^;;
揮発性で細かい部分に入り込んでもほっておけるということと、 静電吸着な汚れに対して ふつーの OA クリーナとはケタの違う凄まじい威力を発揮することもあって、 切札としてマシンの汚れ落としにあちこちで使ってしまった。

ちなみにコレで落ちなかった場合、オリンパスのエーテル系洗剤の出番だが、 今回は使わなかった。

コミケに火炎瓶を持ち込みし男ありけり。
.... 犯人が捕まることがあろうとは思わなかったぞ。 コミケカタログに載る、賠償金は親類縁者が払うんだぞ、とか 有罪になれば我々(準備会)に補償しなければいけないんだぞ、とかいう 大嘘も犯人が捕まらない間は笑っていられたけど、 捕まったとなるとなんだな、このテの間違いがあるのばマズいんでないかな。

『彼氏彼女の事情』 Act:14.0「(前編)」, Act:14.5「(後編)」,
そんな訳で総集編。曜日まで違うぞ。 あんまりみるとこなかったので略。つーか、掃除のかたらわで観てたので いままでのと違いがあんまりない、ということしか分からんかった。


12 月 29 日。
コミケカタログのマンガレポートをようやく読み終わる。 前回のコミケは 行ったはず だが、そんな事件(ボヤ騒ぎ)があったなんて知らなかったか、忘れてたか。

マンガレポートの謎。
約 2000 コマであるらしい。これに約 10 時間かかるから、

36000 秒 / 2000 コマ = 18 秒/コマ。
1 コマに平均 20 秒弱かかっていることになるが、そんなにかけてる覚えは まったくないんだけど.... 3 秒/コマくらいのつもりでいるんだけども。
12 月 28 日。
ここ数日、またもアサヒネットの news サーバがおかしい。 も、かってにしてくれ ...
12 月 27 日。
秋葉に出かけて 先日買えなかった PC ケース を発見、購入。... ちなみに何を買いに行ったかといえば DVD drive である。 region code が drive 側に実装されるというヤな話を聞いたので今のうちに つーことだったが、ケース買って重かったのでそのまま帰った。 ま、ざっと見て回ったら地元で買ったほうが安そうだったということもある。

IBM-PC のケースは理論上どこまで小さくなりうるだろう?
もちろんチップサイズまでにきまっとるやん、という話は脇においといて、 ノーマル AT マザーを使ったとしての話である。 ATX や micro ATX は AT より確実に大きいので却下、LX, NLX は癖が強すぎて却下。 ま、そのうち NLX モノも考えるかもしれないが...
AT マザーの幅は 220mm, 奥行きは ISA カードサイズの 333mm, 高さはカードの 90mm が限度だから 230x340x100 がほぼ限度になるだろう。 これに電源は入るとして、あとは HDD が 1 基ってとこかな?

で、買ったケースは 230x450x155 で幅はマザーにキチキチで、 他のケースを見慣れていると マザーが入りそうにない錯覚を起こすが、たしかにぴったり入った。 高さの 155mm はちょっと余裕があり、もう少し下げられるようだけど、 んなことしたら空気の流通が悪くなりすぎるのは明らかだ ── suezo のケースは高さ 100mm で、これはこれで詰め込まれ方は感動的だけども (ケーブル引き回しはパズルな上に整理整頓しないと フタが閉まらんので中は綺麗 :-)
奥行きの 450mm はかなりの余裕があるようにみえる。ただ 5inch ベイに 180mm もの モノがつっこまれる可能性がある訳で、 計算上は最悪でフルサイズカードは 1 枚も入らない。 高さが 155m しかないからベイになにか 2 段に つっこめば下側のやつはまちがいなくカードの上に重なることはできなくなるから。 って、ハテ DVD drive の奥行きってどんくらいだろ?

まだ PC としては組み立ててない(まだ部品がいくらかたりない)から出来上がりの感触は分からない。 とりあえずシャーシの造りはいい。エッジは折り返してあって、ケース幅を広げるのに ちょっと貢献している^_^;; ついてきたマニュアルはこのケースのとはちょっと違うやつ用のだけど、 シャーシに関しては似たようなものか、 たぶん、このケース 2 段重ねとか横に繋げられるらしい .... ほんとかよ。 150W の電源ノイズはさすがに atropos の Power&Cooling の Silencer 230W とは比べる気にならずけっこう大きい。suezo の 250W モノと同じくらいか? しかも消費電流(or 温度)によってファン回転を制限するタイプでないらしく 何も繋がってないのにファンが全力運転している。グリーンキーなるスイッチが前面に ついてるとゆーのに何も繋がってないようだ...??
ただ、ファンは電源部の入口側(ケースの中のほう)についていて、 そのへんは騒音対策なんかな、と想像させるものはあった。 これってもしかして micro ATX 用の電源かな?
でもファン由来の騒音ってケースでの風切り音だから、ファンの位置がドコでも あまり関係ないんだけど。

ところで今日、買ったものにはコミケカタログというものもある。 今回(29, 30 日)のコミケにはエージェント:-)が立ちそうなので 私自身は行かなくてすむかもしれないけど、 ま、なんにしてもカタログのマンガレポートは楽しい。 これ、たぶんコミケが始まる前までには読み終わらんのだろうな ....


12 月 25 日。
おもいっきりクリスマスである。で、 Christmas with ... '98 を version 0.7 にしておく。システム的には、あとは save/load の機能だけ組み込めば 最低限は出来上がりである。On demand preload (実行中にテキストを読み込む) も 実装したいとは思う。 いまのまんまだと本番では 400kbytes ものテキストを最初に一気読みすることになる (0.7 ではテキストは 70k しか入ってない)んで、専用線ユーザーでなければとても実行できない。 ま、でも on demand preload を必要とするような dial-up ユーザーは どーせ最初から WWW 上 on line で読んだりしないだろう。

コンテンツのほうの修正は... だからあと 300k 以上あるんだってば。 さすがにこれだけあると校正が面倒で面倒で ...^_^;
で、今さっき WWW 上で動かしてみた。ぜんぶロードして回線を切ってみたら ... へえ、外部 JavaScript file (*.js) ってネスケのキャッシュに入らないんだぁ。 せっかく full load してるのに回線切ったら動かんかった -_-;;

『世紀末の詩』、最終話。
ここんとこは観てなかったけど、 亘のほうはどーでもいいんだけど、教授の顛末だけは見ておきたいってんで最後話は観た。 亘がタイムカプセルから絵を広げたところ、おもわず眼に涙が浮かんだ。 そうですか、「それは生涯の夢」ときましたか .... 約束オチではあるけれども。
お嬢様の筋は迫力がなかった。つまり亘の表層の語りでどうにかなるような心情なら 3 年もお遊びが続くとは思えん ── もちろん亘の経験談に基づく迫力が出てればいいけど、 べつにそーゆー語りではなかった。
亘の筋は意味不明だった。とりあえず「あなたを奪いにいきますから」「ええ」は無いだろう。 分かってるんならわざわざ婚約者の目の前で手に手をとって逃げるこたーあるまい。 婚約者さんに迷惑かけるだけだし、後処理も面倒。
そして相互に筋がほとんど絡んでいなくてひでー造りだし、 安っぽい演出と撮影で、やる気あんのか? という出来だったけど、 でもまあ泣けるトコが一ヶ所あったからいいよね。

『彼氏彼女の事情』 Act:13.0「幸せの主観」
..... こう疲れてなければ面白かったかも。
相変わらずの尺の短さが気になる(中身 20 分ないぞ) ── うえに次回は総集編かい。 それはともかく前半のアップテンポなギャグと後半のローペースなところが きっちり balance してた。

(雪野いうところの)「有馬と芝姫は同じ」から 「一馬と芝姫は同じ」というところへもっていった論理のこと。
そう簡単に同類が見つかるんじゃ孤独も何もないだろうとかいうことは脇に置いておくとして、 いや置いときたくないな。
世の家庭の半数以上が共働き、子供のいる家庭の半分が一人っ子というこの時代、 かなりの子供が家に戻った時に家には誰もいないという状態の筈である。 再婚相手の子供が長いこと孤独におかれてきていうことも論理的に必然である。 だから、同類が簡単に見つかっていることは状況的に問題がある訳ではない。 でもこれを理由に「姉弟(兄妹:-)みたいなもの」とするとちょっと、なんだな、 人類みな兄弟の世界になってしまうな。

他人ん中に自分と同じものをみつけて安心するというのは非常にありそうなことだけども、 その論理は孤独が癒されるというのとはちょっと違う。
── そうでもないかな?
依ってたつ基盤に同じところがあるという意味でなら、それは会話がなりたつということだから。 本人が必要とする部分について会話がなりたてば、その筋が同調だろうと対立だろうと 有難いことだろう。
意見、価値観を同じにするという意味で「他人と同じ」という 非常にくだらない「同じ」とはちゃんと違う。

今回の一言:

「ううん、あたしの友達に似てる」
3 重に深い。雪野が「友達」だし、芝姫の価値観において「似てる」ということだし、 「似てる」に positive な意味を持たせてるし。
12 月 23 日。
「1999 年問題」のこと。
<http://www.*.dtinet.or.jp/> へのアクセスが数日前から通らなくなり、 サーバが落ちてるのか、しょーがねーなあ、まったく、と思っていた。
実は or.jp → ne.jp 移行の一環として dtinet.or.jp がついに消えた、 ってことらしい。つまり <http://www.*.dti.ne.jp/> はちゃんと生きていた。

dti.ne.jp への移行は知っていたけど、移行期限のわずか 2 週間前な段階で止めるとはやってくれる ... 私が「1999 年問題」( ne.jp 移行猶予期限が 1999 年 1 月) に引っかかるとは思わなかったい^_^;;

ちなみに移行期間は 2 年もあったが、 なお混乱が予想されるとかでさらに 1 ヶ月ほど延びたそうである。 これを聞いた時は「まだ延ばすんかい」と思ったもんだが ^_^;;;

一応笑ってられたのは アサヒネット(asahi-net.or.jp) は ne.jp へは移行しない、はずだからで、 mail address のほうは既に kensyu@y.email.ne.jp に移行してしまっているというか そもそも bg3k-ysd@asahi-net.or.jp はロクに使ってなかった。
アサヒってば何気に ne.jp な domain name を二つ(email.ne.jp, www.ne.jp) も持ってるんだけど、その割には WWW は移行しないのねぇ... とのんびり構えていると実は移行する、という話もありそうだけど、 猶予期間のここ 2 年、一度もそういうアナウンスをユーザーの私が聞かなかったんだから まさか移行はあるまい。

という訳で、ひさしぶりに dti.ne.jp なサイトを回遊した。
『ロボットと帝国』ハードカバー初版は 1988 年ですか... 本気で 10 年たってますねぇ、 しみじみ。
どもです > 高橋@hope さん

私がいつハードカバーを買うかといえば、.... 実はハヤカワ SF のハードカバーは一冊しか買ったことがなかったりする。つまり、

D. キイス 『アルジャーノンに花束を』
ただ一冊。これは落ちて来るのを待つのを諦めた。これは許せた。 私的ハヤカワ SF ランキング 1 位でもあることだし。
本の値段のことよりも、本が占める空間にかかる費用が高価につくので 将来文庫で出ることがわかってるようなもののハードカバーを買うことはまずない。 先週本棚を新しく購入して、まだ組み立ててなかったりするけど、その間にも 床に積み重なる本の数は増えていくんだもんなあ。

ちなみにビデオにめったに保存録画しないのもよく似た理由である。 VHS カセットひとつの空間があれば、 文庫が 3 冊は入る。だから、少なくとも「文庫 3 冊分」? は面白くないと保存されることはない。

ジェネレイターガウル。
ベンフォードオチかベアオチか... 時間のループのところで タイムパラドックス概念を直接扱う場合、操作側の「現実」は変わる/変わらない のオチしかない、さあガウルの明日はどっちだ?!
ってとこで最終回。
しかしこの話、本当にタツノコが消化してみせたエヴァなんだな。要するに .... 説明のしつこい前半と、心理世界の後半と、ついでに未来が望むままに出現するなんて。
8 年も準備する期間があったわりには道具立ての不足が情けないぞ > コウジ

今回の一言:

「作りましょ、あたしたちで。素晴らしい世界を!」
この一言のインパクトでそれまでの展開をすべて忘れた。 ここへきてそうくるか ... 恥ずかしげもなくえらくしっくりハマった言葉であったことよ。
12 月 22 日。
某レストランでの夕食。隣の席の高校生? 3 人がおもむろにノートと参考書を広げ、 数学のお勉強。
ま、ここまではよくある話だが、... 問題を読み上げるんだな、これが。 なまじ問題が易しいもんだから、つい解いてしまう。 もちっと難しければ暗算で解こうなどという気にならないし、 もっと易しければリソース(脳 :-)をくうこともない、 そういう微妙なところで、声は小さいのに会話を妨害する効果は実に大きかった、 はずだが相方も妨害されていたのでどうということはなかった。
期末は終わってる筈だが、入試かな?
12 月 21 日。
という訳で 18 日から 21 日までまとめ書き ^_^;

12 月 20 日。
待ちに待った I. Asimov 『ロボットと帝国』をようやく入手。 長かった 〜〜 『ファウンデーションの彼方へ』が文庫に落ちてから何年たったのかなあ ... 10 年くらいか?

ロボットものとファウンデーションシリーズをつなぐ要になる話で、 ロボット系の特有の理屈っぽさ(つうか屁理屈っつうか...)が全体を覆っているので どちらかといえばロボット系の最後の話になり、 実際主人公もダニールやジスカルドだろう、... なんてことはわりとどうでもよく、 pre-Foundation series として心理歴史学の予感を語るのが いかにも科学の在り方に肯定的なアシモフだなあ、と思う。 足元を固めるような論理だけで未来を語ることができている展開は かなり好きで、それと対応するかのように語り手のジスカルドが 第二ファウンデーションの連中よりも極悪非道なことをやっているというあたり、 事実として科学の諸刃の剣を描き出したことになっているのは ── ま、計算のうちなんだろうな、Asimov だし。

Spacer world から Settler world へ繋ぐシリーズは 話にかなりの無理があって、読んでいてけっこう疲れる。 この話でも綻びはぜんぶジスカルドに押し付けて作者は頬かむりしているんだけど、 そういう役所だからあんまり気にならない ... のか?

この一言:

「すべての人間に敬意をはらうだけでは充分ではない、 知性ある存在にはすべて敬意をはらうべきです。 ですからわたくしは彼らをここに連れてきました。
わたくしはまちがったことをしたのでしょうか?

12 月 19 日。
メインのマシンに Wine(19981211版) を install した。
Win3.1 までだろーからとタカをくくっていたのだが、これがけっこう Win95 のも動く、 というか設定ファイルには Win98 の文字まである、どころか Win95 に設定しても Win98 的画面にしかならなかったりする。 開発中心はすでに Win98 系へ移行ってことか。
日本語化は 19971130 版までで止まっているおかげで事実上日本語のアプリは全滅だが、 フォントを自前でもっているゲームの類は逆に使用に耐える可能性をもつ。 実際ちゃんと音(PCM, CDDA とも)も出た。
Screen の redraw はかなり遅く、graphics accellation がぜんぜん効いていない。 普段の倍くらいに遅くなっている。 そのわりに PCI バスをぴっちり塞いでしまっているのか、 となりで PCI バスしか使わないアプリ (要は TV)を動かしていると時々フレームが抜ける。

ついで。
Load av. があっさり 1.0 に達している。 つまり busy-loop で回しているらしい。 この辺はせめて NT のマネして欲しい ...


12 月 18 日。
『彼氏彼女の事情』 Act:12.0「仕合わせの在処」
そろそろ観るのに飽きて来た。
おかげでバンドメンバーに貞本義行氏と樋口真嗣氏が声優やってるってこと、 fj.rec.animation でみるまで気付かなかった。
んなことやってる暇があるならエヴァの連載再開して欲しい...

内容的にもみるべき点は無いようなので、省略。


12 月 17 日。
今年のアニメの year's best. 完結したものから、
  1. センチメンタルジャーニー
    特に 1, 3, 5, 7, 11 話。文句のつけようもなし。 話の構図が固定されていても、脚本と演出だけでここまで出来るという見本。 今年唯一の保存対象アニメ。
  2. DT エイトロン
    えらく positive な発想と、そのわりにハードな現実と。 結末 も妥協しなさすぎて物語として形をなしたのやらなしてないのやら、 よくみれば平たい展開を気にさせないほど面白かった。 再放送してくれたら、保存すると思う。
  3. トライガン
    主義主張のピンと張った衝突は、でも ラストでちょっと描きそこねた感じ。 前半のカメラワークはすごかったけどそれより絵が止まって来た後半のほうが シナリオは充実してたかも。
  4. アキハバラ電脳組
    「旅立ち」 の回のためにこそ、この物語全体が存在した。 散漫な印象のある前半も、この回へむけて focus するための土台。 絵がぐしゃぐしゃだったのがちょっとナンだったが。
未完のものからだと、
  1. カウボーイビバップ
    せめて影技の喧嘩もこれくらい動いてくれれば... しかしビバップって実は アニメでやる必要をぜんぜん感じない。
  2. ポポロクロイス物語
    極端に記号的でビバップの対極をいく。微細な感情を織り込むのにあまり表情を realistic にする必要はないことを感じさせる名品。
再放送組からだと、
  1. スレイヤーズ NEXT
  2. バイファム
こどちゃ大運動会 もよかったけど、今年にはいってからのぶんはあんまり... なのであった。 大運動会には名品 「光」があるんだけど、 それだけだから。

ざっと眺めてみると、 個々の話としてはシリアスで重い話を好む割には 物語としては明るいものを上にもってくる傾向があるなあ。 うーむ、えらく難しいことを注文しているか? もしかして ...


12 月 16 日。
左手人さし指の爪をちょっと削って、キーを叩くと痛い ...

kernel を 2.0.36 に上げ、module なども整備しなおした翌日に Debian 目的で Unix User 誌を購入するあたりちょっとチグハグかもしれない ... ま、いいか。
ところで Unix User 誌は DOS/V magazine 誌と並んで読むところのない雑誌というイメージがあるが、 ..... やっぱ読むとこないな。
CD-ROM 2 つで約 1Gbytes, 64kbps で落とすと約 2400 分。 3 分 10 円なら 8000 円ほどで、確かに CD-ROM のが安いけど、 Internet 上にあるほうが新しいし、それに実際には 200 Mbytes も使わない (そんなにディスク余ってないって^_^;)ので、 1400 円もだせるかどうか毎回迷うんだよなあ。


12 月 15 日。
うんむ、気にしないふりはできても、微妙な精神力の要る作業にかかれば やはり気力がざくっとえぐれている自覚がある。もちろん Verse for Evangelion の閉鎖の件だけども。

ところでこの V.F.E, 急の完全閉鎖で下に潜れない。 困ることもありそうなので直下 URL のうち、まだ存在しているものをここに掲げておく:

... も、寝ます。お休みなさい。


12 月 14 日。
fsck の失敗で suezo の kernel image が破壊された。 じゃあ、ってんで kernel build しようとしたら、コンパイル(これは atropos で作業)が通らない。
「ちょ、ちょっとまてい」
そんな訳で、只今マシンの電源をきることができなくなっている .... 落としたが最後、二度と立ち上がらないだろう。
fsck などというシビアな作業の脇で gicq の build なんかしてるから バチがあたるんだ、という話。

その gicq もなんか動作がヘンで、gtkwidget.c が warning 吐いてる-_-;
registration のやりかたもわからんし ...

で、しょーがねーなあ、といいながら kernel 2.0.36 の get してる脇で VFE の閉鎖を知った。うわあ...

『彼氏彼女の事情』 Act:11.0「1 学期の終わりに」、Act:11.5 「夏の休みの始まりに」。
昨日書いた『ポポロクロイス』では、主人公の 3 人 ピエトロ、ヒュウ、ナルシアが いちおう三角関係を構成しているが、心理的距離を大きく離らかしてあるために そのままで各々について独立な筋が立つ。 個人的事情がしっかりと描かれる分、 それぞれの思想背景が単純であるにもかかわらず衝突(喧嘩)がきっちり映えている。
『彼氏彼女の事情』では雪野、有馬の心理距離が近すぎて、雪野の筋を立てる時には 有馬を物語から追い出さなければならない。 前回では雪野に拒否され、今回は京都にとばされてしまった訳で、 それなりに不幸な男である:-)

「1 学期の終わりに」
そんな訳で、有馬を京都に飛ばされる過程の話。 ちゃんとカレカノの主筋やってるなあ、という気になるのは、 慣れさせられてきているか。

「夏の休みの始まりに」
こちらは典型的なカレカノの副筋。
それにしても ... よく放送できたな。

勉強「だけ」できるってことは たいして有意義なことでもない。 ただ、芝姫が 13 時間/日勉強する脇で 1 時間/日で足りたとすれば、 のこりの 12 時間は哲学的瞑想:-)などに自由に使える訳で、 それはそれなりに力を生む。 とりあえずクラスのボスたりえるほどの力にはなった訳だし。

ところで。 めまいがするほど下手だ、 瀬奈りか役の声優 ...

今回の一言:

「こいつ心から祝ってやがる、
あれだけあたしに酷い扱いをされて 何故こころから祝える?!」

12 月 13 日。
ある知合いがサーバを立てた。その URL は知らんかったんだけど (以下に書くように必要になればすぐに分かることだしな)、 別の知合いから教わった。が、メモもせずに聞いただけなので帰ってきたら きれいさっぱり忘れていた ^_^;;
「うーむ ... 尋かないほうが良かったかな ....」
知らないことになっているなら知らないままでもいいが、 知っていることになっているのに知らないのはまずかろう、 というので、ちょいちょいと捜し出した。 向こうのアクセスログを眺めれば軽いアタックにも見えるかも(汗)とか 思いながら(をいをい)....
いやそれらしいのはわりとすぐ見つかったんだけど それかどうか確認する方法が、ちょっとね。

しかし、逆にみれば存在だけ知っていれば URL を探しあてることは 本当に簡単なことな訳だ。 それはそれでちと恐いものがないでもない。

ポポロクロイス物語、『一粒の豆』
たまーにファンタジィだなあ(この物語の限界だなあ)、 と思うことがある。今回もそうだ。

手には豆が一粒ある。これは村人達の(来年の農業?)ためのものだ。 ところで、目の前には飢えて死にかけている仔狐が一匹。 さあ、どうする?
という問いかけをしたところで A part が終わる、というきり方は鮮やかだ、 つうか、なんつう切り方だ ...
そしてこの解答(実際例)を答えることをせずに「あなたならどうする」と B part で引っ張りきった。しかしある意味、この解答は分かりきっている。 つまり、 ポポロクロイスという物語の性格上、 その豆を仔狐に食わすという解答以外がでてくる筈はない。
ならば私は知りたい。この回答は必然的に村人の困窮をまねくものである。 この回答を聞いた村人はどう思ったか ── ということを。 そして、この物語はちゃんと問いに答えた。
「パウロ、あんた意外と人気あるんだねぇ」
この "その判断を我々は支持するだろう" という、 あまりに肯定的なものを眺める時、 「敵」であるガミガミ魔王への仕打が非常に '現実' なものにすぎる (名を取ったくらいで実がついてくるものではない)との差が .... まあ、もうちょっとガミガミには苦労して貰うのか ... ~_~;;
権力とは人を使わなくていいところに人を使うものである、 と書いてあったのは田中芳樹のどの話だったか。 だから、 人を使うところに自作のロボットを使うガミガミに 何らかの力があるわけではないんだけども。

ところで、論理のレベルで悩んでいたピエトロより 態度と表情だけで悩んでいたヒュウのほうが脇筋ながら良い味だしていた。 やっかいなものとはいえ、形のはっきりしているピエトロの悩みは 所詮は単純なものだから。


12 月 11 日。
news.asahi-net.or.jp が復活したと同時に news を逆流させている人がいる。 ちょうど Dec. 1 から 10 までの記事だから なにやってるか想像がついたりもする .... つうか、これもしかして アサヒネットの設定ミスによる逆流か?
しかしさすがに asahi-net.or.jp からのニュースを塞ぐというのは ちょっとナンなので、無抵抗のままである。 SPAM 対策用に 発信サーバ別の配信許可/不許可は簡単に切替えできるようにしてあるけど From: 別の配信許可/不許可はそうなってない。 やっぱやっとかなきゃまずいかなぁ....
12 月 10 日。
今月に入って停止していたらしい news.asahi-net.or.jp が正常に動き出した。 ってんで、臨時に DTI から振り分けていた経路を元に戻す。 あーめんどくせー...

DTI も ASAHI-NET もあんがい記事の欠落がある(1 - 2 % くらい)な、 と DTI に届いてない記事の経路をみれば、post 位置からアサヒに直接 渡ってきているような奴ばっかりである。 なんのこたない、ASAHI-NET の対ユーザー配送ばかりか、サーバ間の 配送も少しおかしかったらしい。


12 月 9 日。
『彼氏彼女の事情』Act:10.0「すべてこれから」の 感想(25k bytes) が書き上がった。 対をなすリアリティ論がまだなので、カレカノページではアナウンスしない。
12 月 8 日。
感想というもののスタンスとして。
まず一義的に作品を絶対的なものとみなす立場をとる人々がいる。

私を含むある種の人々は「〜〜 のようにすべきところだ」 などという発言をすることがあり、テキストそのものを信じていない。
N. Wiener がかつて語った ──

「(私の文章の)誤りが判らないのなら(私の)文章を読む資格はない」
作者が書こうとした内容を理解するときでさえ、書かれている文章を 絶対視してはならない、少なくとも私はそういう教育を受けてきたし、 たとえば世のプログラムのソースを読む時にそれを絶対視できれば どれほど心安らかか、と嘆く人は多いに違いないと思う。
この立場は、当然ながら先の 作品を絶対的なものとして解釈をすすめる人達に受けが悪い ^_^;

しかし、我々が「ここはこうすべきだ」と語る時、それは一般に

「ここはこうしてほしかった」
という要望を意味しない。 むしろ、そういう感想によって そういう風に修正されたとしたら非常に失望することだろうと思う。 "Evangelion" という物語は何回も改訂されたが、原典は 最初の TV 版であり、一般に格上の扱いをしていることからも想像がつく。これは
「ここはこういう風にした時に非常に明確になる意図(だか意志だか)が、 おそらくは作者のやりたかったことなのだ、と私は 物語をみてそう理解した」
という感想の、一種のレトリックなのだろう。 物語として描かれたことには、 作者の力不足でか、読者の観察不足、製作者の気分その他の理由によって 相互に首尾一貫した解釈が存在するとはかぎらない。 相互に矛盾したものを基盤におきながら論旨を組み立てるのは第一級の禁止事項だから、 物語の解釈理解に踏み込む時、そこには(他と矛盾するために)切り捨てられたものがあり、 それを上のように表現しているのだろう、と私は思う。

作品世界の理解において 「こうしたほうがよいはずだ」といって何気に それを基盤に混ぜることも第一級の禁止事項で、 その辺の危険性は上に書いたようにちゃんと理解してはいる。 しかしこの辺はテキストを絶対視すれば良い、としてすむ問題ではない。 どんな(矛盾のない)テキストが絶対視されるべきなのか、というのが問題なのである。

理解できないからといって矛盾しているに違いないと安易に切り捨てるのは 私の立場の最大の悪癖である(しかしあまり気力がない時はよくやる:-)。 これとは対照的に、無批判にテキストを受け入れることは、 とりもなおさずどんなことでも(論理的に間違ったことも) 語りうる立場を手にする危険を背負うことになるだろう .... ためしに「A かつ not A は真」について何かを語ろうとしてみれば分かることだ。

一義的にテキストを絶対的なものとみなす立場として、 あるメールのやりとりの中で「文献学」が挙がってきた。 これをみた時、手を「ポン」とうったものである。これまではそういう立場が 存在する理由さえ分からなかったのだが、 彼らが何を危惧してそういう立場をとっているのかが多分^_^; 分かったからだ。
と同時に、これは私にある面白い感想を抱かせた。

文献学においてテキストが絶対視されるのは、基本的には 書いた人と読む人との間に知識(知見)の共有がないことを前提にするからである。 解釈と読者の価値観の間に齟齬が生じれば、優先すべきは解釈であり、 それはまさにテキスト以外に信頼すべき知識がないからである。
ということはつまり逆にいえば、 テキストと作者の言い分との間に齟齬があることを発見できるとする私の立場は、 作者の言い分についてその場所のテキスト以外の知識を利用していることに他ならない。

ところで、私は常々作品外のたとえば作者の思想等の知識を利用して 作品を理解しようとすることに異を唱えて来た。 逆に、「文献学」の名を挙げてきた人は、 これまでもかなり積極的に作品理解に作品外情報を援用してきている。 これを面白く思わずして何を面白く思えるだろうか。
ちなみに、この点に関しては 作品外情報の利用を自覚してきたか否かという点において、 私のほうがやや分が悪いかもしれない :-)


12 月 7 日。
野望の続き、もう一つ。
Linux にせよ FreeBSD にせよ、フロッピー 1 枚に一通りのシステムをぜんぶ つっこんでしまったパッケージがある。 /bin/* のバイナリなどの数を最小限にケチったのでなく、 サイズを縮小するように書き直してしまったものである (GNU バイナリはバカでっかいからねぇ)。 先日ためしにそのうちの一つ muLinux を使って見たらホントに on Memory で動いてしまった。 緊急用フロッピーなどとは格が違い、/bin/* , /usr/bin/* が宣伝文句通りけっこー豊か。 なにせネットワークやサウンド周りまで入ってる。 それがラムディスク 3Mbytes の中に収まってしまってる。 これだと MobileGear のメモリ 8M で量的には動く。
..... フラッシュメモリなしで動く! カードスロットが空く! イーサカードとか、モデムカードとか etc. etc !!

ま。話はかなり遠いけどね。
atropos のハードディスクの電源を完全に止めてしまうにも、このシステムけっこー良いかも。


12 月 6 日。
Coolshot II 片手に散歩。何枚か撮る。 .... 付属の 2Mbytesではかなり不足するな。 直接日光を入れると、強烈な光柱が入る。気を付けよう。
PocketBSD 化 MobileGear に入れてある 30Mbytes のコンパクトフラッシュには DOS パーティションを 5Mbytes ほどきってある。 このコンパクトフラッシュを Coolshot II につっこんだ時に 5M のコンパクトフラッシュとして認識してくれるようなら MobileGear の上で画像の編集が可能になるなあ ── という野望がちょっとある。
けど、まだ試してない。30M の DOS 領域は 16bit FAT, 2M のは 12bit FAT, そして何故か 12bit FAT の DOS パーティションを MobileGear が 認識してくれない、というコトを知っていると、その逆がありそう (実際 15M 以上のコンパクトフラッシュはフォーマットが 16bit FAT になる筈だが、これを理解しないデジカメが存在するそうな)で、 パーティションが破壊されたら目も当てられんし ...

『彼氏彼女の事情』
Act:10.0「すべてこれから」。
この回を書かずして何の「カレカノ」か!? という回なので 別ファイル.... にしようとしたけどまだ書き上がってない。
楽しそうに製作している感じが伝わってきたのは面白かった。 でも遊ぶべきところとそうでないところが分かっていない感もあった。

ところで、ここでの「いじめ」をリアルでない、と主張する向きがあるが、 学力が権力に化けるほどの学力差がある場合の「いじめ」ってな、 あんなもんだと思う。
ただ、あまりにも集団の描き方が酷いだけで ...

今回の一言:

体育「10」!
「そおぉゆう問題かぁあっ!」

12 月 3 日。
デジタルカメラの絵の解像度の話。
Coolshot II は 640x480 pixel, 35mm カメラ換算で 55mm 相当のレンズだそうである。 ここからただちに画像中心での 1 pixel の幅は角度にして 3.5' だと計算できる。 pixel size が 3.5' なら接近した 2 線が分離してみえるためには 7' だけ離れていなければならない訳で、分解能は 7' である。

人の視力は分解能を分であらわした時の逆数(1' 離れた 2 線が離れてみえる時に 1.0) なので、 つまりは Coolshot II で得られる絵はどんなにがんばっても(どんな画像回復フィルターをかけようと) 視力 0.14 の人が裸眼で観た世界と同じ程度ということである。 ... 実際には、4 pixels で画素一つ(3 原色揃う) なのとパンフォーカスなので 実効分解能は これをさらに下回る。
近眼で (5m 離れた図に対する視力が) 0.14 などになっている人でも眼を対象に近づけると(ピントがあうようになって)良く見えるように なるけど、カメラを対象に近づけたからといって分解能は上がったりしないから、 どっちかってえとマクロ能力をもつカメラのほうがこれは深刻だな。

自分自身の目でみた印象さえ写し取れないとカメラの印象は格段に悪くなるんだけど、 この計算、買ってから気付いた。 銀塩ではほとんど問題にならない事項だけに盲点だった ... 銀塩と違い、デジタルカメラではできるだけ望遠系のもののほうがいい、 という定性的傾向までは考察できていたんだけども、明瞭な閾値があるとは思わなかったい。

天体写真やってるのは基本的に自分の眼で眺めるより綺麗なものが撮れるからで、 自分の眼よりいいかわるいかってのはけっこう切実な観点なんである。


12 月 2 日。
Deconvolution filter 用に書き出したコードの最初がたまたま C 言語だったのでそのまま書きついだ。したら、指が死んだ。普段 C++ ばっかだから ... つい
  for(int i
と書き出して 'int' を消すなんてことをやっていた。うーむ。
ちなみに GIGO (Garbage In, Garbage Out; ゴミを入力するとゴミしか得られない) とはよくいったもので、Coolshot II のレンズの収差特性が分からんので適当に 決めたら、その辺の輪郭強調フィルターと大差無い出力しか得られんかった。 わはは (^^;;

ところで、今日、ここの 2 周年である。1 周年関連の λ さえまだできとらんのに 何かある筈もないのだった。反省。


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